第4話 刻んだ年輪の数だけの思い出を
目鼻は、共有する為に。
口は、届ける為に。
耳は、受け止める為に。
腕は、繋ぎ止める為に。
指は、触れる為に。
脚は、巡り歩む為に。
自分はただ、存在する。
陸にも、海にも、空にさえ。
目に見えて存在するのに。
触れる事さえ、できるのに。
この身に留める事は、決してできない。
君の隣にいる為に。
「ちょっと来い」
「大丈夫ですよ。葵様」
後ろを振り返るや草玄の瞳には、自身の頭二つ分ほど高さがある長身の、若布のようにくせっけのある短髪、冷えた瞳を持つ男が映り。外に連れて行こうとした草玄に、文句を言おうと立ち上がった葵を、その男は手を上げて抑えた。
「どうやら男同士で話したい事があるようなので。そこで待っていてください」
「…分かった。乱暴な事をしたら一生赦さないからな」
睨み付けるように見つめる葵に、ただ一言分かったと告げた草玄は男と共に倉庫の外へと出て行った。
「何なんだ」
全く意味が分からない。
どうして自分は今。
こんなにも。
唇を強く一文字に結んだ後。
短い吐息を漏らし、椅子に座って手に持っていた新聞に目を通し始めた。
「おまえ。孔冥、だよな。全然変わってねぇ」
怒りを含んだ見上げる顔に、男はほんの少し口の端を上げ、曲げた腕を胸の前に添え、小さく会釈をした。
「はい。お久しぶりですね。草玄。いやはや、前回と違い」
男、孔冥は自分より背の低い、草玄の頭の先から足のつま先までをざっと見つめた後。
「ちんちくりんな少年に転生したようで」
口元を手で押さえた。
「うるせぇ。人が気にしている事をズケズケと言いやがって」
「いやいや。前回は蠱惑的な雰囲気を持つ野生美男子、と言う感じでしたが。そちらの方がお似合いですよ。何せ、ふざけた行動取り放題でしょうから。『ドッキャリ』って。以前の格好つけだったあなたとの落差に、物陰で笑いを堪えるのが大変でしたよ」
噴き出す孔冥に、草玄は噛みつくように迫った。
「俺だってな。前みたいな姿で生まれ変わりたかったっての。そうしたら、俺だってあんなふざけた行動取る事もなかったし。葵だって」
「へぇ。では彼女は見た目だけで選んだと。そう言いたいわけですか」
「…五割、くらいは。何だよ。見た目は肝心だろうが」
「はぁ」
「何だよ、その眼は」
「いえ。見た目を気にしていた。つまり、自信、なかったんですね。葵様があなたのことが好きだと」
不意の射抜かれるような視線に、暫し無言のまま視線を泳がせた後。
草玄は髪の毛をくしゃりと掴んだ。
「自信なんて、なかったよ。俺の方が好きになったんだからな。当たり前だろう」
「葵様の言葉を信じなかった、と」
「自信がないのと信じない、とは話が全然違うだろうが」
「そうですかね。まぁ、どちらでも構いませんが。今は、どうなのですか?」
「今は?」
「彼女は演じるのが巧かったですね。数千年は生きていますから、当たり前と言えば、当たり前、ですかね。まぁ。そうでなくとも、女性は演じるのが巧いですけど」
「何が言いたい?」
「記憶を失っているふりをしているだけ、と。考えはしないのですか?その上で、あなたを拒んでいると。もしくは、自分に翻弄されているあなたを面白がっている。とか」
「ない」
言い終えると同時に、すかさず言葉を発する。
「葵は確かに、演じるのが巧かったし、自分が面白いだろうと思った事をよく仕出かしていた。けど、人の心を踏みにじるような事は絶対にしなかった」
「手紙一枚だけ残して去るような女性だったのに?」
「理由があったんだろう。俺には言えない、言いたくない何かが」
「では今の彼女は本当に記憶を失っていると?」
「ああ」
「合格です」
「…は?」
訝しげな表情に、冷めた目は何処へやら。猫のような陽だまりの笑みを返す。
「実はですね。今の葵様に転生する前に彼女が突然。『記憶喪失になってみたい』と言い出しまして」
「で?」
「それでですね。神様から授かった百八つの道具が収められている箱を探った所、丁度記憶を失わせる道具、一回限り、ですが、それがありまして」
「で?」
「使いました」
「で?」
ズンズン顔を近づける草玄に、孔冥は鬱陶しいと両の手で肩を掴み進行を遮った。
「で、で、としつこいですね。彼女が記憶喪失になりたいと言った。それで私が道具を使いその願いを叶えた。それだけです」
「何か重傷な事故に遭って、とか。記憶を失うような辛い事件に遭った、とか」
「そんなのないですよ。逆に面白がって、です。『記憶を失うってどんなかな~』と鼻歌交じりに明るく告げていたんですから。面白がってです。面白がって……幻滅しましたか?」
「いや。何か言いそうだなって。いろんな経験したいって言ってたもんな。ハハ。そんな理由で記憶喪失……おい。その百八つの道具の中に記憶を取り戻すのないのか?」
「ないです」
「本当か?」
「はい」
断定の返事をもらい、がっくしと肩を落としていた草玄の身体は今にも地面にのめり込みそうだ。
「じゃあずっとこのままかもしれないのかよ」
「いいじゃないですか。もう一度恋をするのでしょう?ああ。口先だけ、ですか。大抵の男性は過程より結果を優先したがりますからね。早く手に入ると思ったのに、そうならず。先程のような無様な姿を晒した、と。いやはや」
「情けないですね」
「…返す言葉もねぇ」
「素直な性格も相変わらず、ですか。しかし、よく彼女が葵様だと分かりましたね。あなたと同様に、姿は……まぁ、あまり変わっていませんか」
「死んだ瞳以外は。まぁ、それで、と言うわけじゃないが。なぁ、気になってたんだが、どうして敬称を付けて呼んでいるんだ?おまえ。呼び捨てだったよな」
「今の立場上。葵様の執事をやっているものですから」
「通りで。タキシードに蝶ネクタイってわけか……執事って事は。結構家柄が高い出の生まれ?つーか。今の葵の出自って…いや、いい」
自ら打ち止めした草玄に、孔冥はニンマリと笑った。
「ご自分で訊きたい。答えが知りたい、ですか。ご立派です。影ながら応援しますよ」
「そりゃあ、嬉しい限り、だが。厳しいよな」
「厳しいですね~」
「何か楽しんでないか?」
「昔馴染みに会えたのです。嬉しいんですよ。また一緒に過ごせるのですから。ところでどうしましょうか?」
「どうしましょうかって?」
眉根を寄せる草玄に、孔冥は第一にと人差し指を上げた。
「私たちの関係を葵様にどう説明しましょうか。親友?単なる知り合い?」
「親友でいいんじゃないか」
「分かりました」
孔冥は次に、第二にと中指を上げる。
「葵様の記憶を取り戻すか否か。取り戻す場合、どのような手段を取るか?」
真剣な瞳に、草玄は慎重に言葉を発した。
「おまえは、さ。記憶を取り戻した方がいいと思うか?」
「葵様にとって、ですか?そうですね」
孔冥は顎に手を添えて言葉を紡いだ。
「私は取り戻した方がいいと。次に転生した時、混乱するのが目に見えて分かりますから。どうして死んだはずの自分がここにいるのか、とね。まぁ、ですから取り戻すにしても早急に、と言うわけじゃないですね。徐々に。で宜しいのではと。ですが。あなたは早く取り戻してほしいのではないですか?イチャツキたいでしょうし。出て行った理由も知りたいでしょうし」
(本音を言えば…そうなんだが)
草玄もまた顎に手を添え、沈思黙考し始めた。
(色々経験したいからって、普通記憶を失いたいとか思うか?俺にも会いに来てって約束したのに。あ~。けどあれが嘘だったとしたら、別に記憶を失ったって。いやいや。俺じゃなくても、忘れたくない思い出もあるだろう……それよりも、忘れたい思い出の方が多かったとか……葵。おまえ。何考えてたんだよ?)
分からない。いつも愉しそうに過ごしていて。悩みなど抱えている風には見えなかった。
だが見せてなかっただけだとしたら?
(大体。ずっと生きる事自体しんどいだろうに。それをおまえは。幸福だと。神様からの贈り物だと。嬉しそうに話すだけで。だからつい俺も)
会いたい。
自分を知っている葵に。
だがそれを葵は望むのか?
もし、記憶を失ったままの自分と会わせたかったのだとしたら?
(俺はどうすればいいんだ?)
草玄は頭を抱え込み石畳の地面に膝をついた。
(会いたい。会いたい。会いたい。だけど)
「いいのではないですか?莫迦正直に行動しても」
「孔冥」
地面に視線を落としていた草玄の瞳には、先程とは別人だと思うほどに真顔の孔冥の表情が映ったかと思えば。
「記憶を取り戻してほしいのでしょう?なに。不都合は全くないです。ええ。言い切れます。逆にそうしてもらわなければ」
目を細め告げられた最後の言葉に。
どうしてか、背筋が凍るように感じた。
「おまえ。何か隠しているのか?」
「ご自分で答えを得るのでしょう?」
草玄が立ち上がり、暫し視線が絡み合うが。
「…俺は葵の記憶を取り戻したい」
本音をぶつけた草玄に、孔冥はズイッと顔を近づけた。
「ではショック療法が宜しいのではないですか?」
「ショック療法?」
「はい。例えば……接吻、とか」
目が点になった草玄が絶句して。一秒。十秒。一分が経ち。
「はぁ!?」
顔を真っ赤にさせ口元を腕で押さえた草玄に、孔冥はやれやれと腕を上げた。
「何を今更純情ぶっているのですか。夫婦として子作りまでしているというのに。接吻など、数えきれないでしょうが」
「ば。そ。れは。そうだが。けど。生まれ変わるまで。どんだけ時間が経ってると思ってんだ?純情真っ盛りだっての。恥ずかしいお年頃だっての」
「いや~。世の中の男性が何時までも純情ぶっていれば、離婚率はぐっと下がるのではないですかね。いや。それはそれで気持ち悪いですかね。前言撤回します。何時までも青春真っ盛りの少年ぶって。気持ち悪いですよ」
「おまえはな。本気で人に恋した事がないからそう冷静に分析できるんだよ。男は何時だって惚れた女の前では純情なの。けど、そうそう口にできねぇンだよ。それでしばしば真逆の行動とって怒らせんだよ」
「へぇ」
「何だよ?」
「いえ。あなたは歯の浮くような言葉を次々と口にしていたような…気のせいだったでしょうか」
「それは…そーゆー時期もあんだよ。調子に乗ってる時期もあんの」
「で?」
「でって」
思わずたじろぎ、後ろに下がってしまう。
「接吻するんですか?しないんですか?」
「本人の了承無しにできるか。んなこと」
「ほぉ」
「さっきから『へぇ』やら『ほぉ』やらうるせぇんだよ」
やりにくいと言ったらない。
やはり自分の過去を知る者、しかも恥ずかしい過去を知る者とは遭遇しないに越した事はない、と痛感する。
「いえいえ。昔、強引にして反省する反面、少し嬉しそうな表情を浮かべていた人物がいたような。いなかったような。いや。強引にしたのに、嬉しそうにするなんて。変態ですよね。最悪ですよね」
「おま。人の過去の傷をえぐって楽しいか?」
「いえいえ。そんなあなたの事を言っているわけではないですよ。どこぞの先走ったお莫迦さんの話ですから。ああ。何とか。その方は両思いになったそうですよ。いや~。良かった良かった。ですが。なるほど。その方を反面教師として接吻はしないと。ご立派です。やはり人は他人からでも学べるんですね」
(この野郎)
怒りは生まれるが、事実なだけにぶつけるのもどうかと鎮静化させる。
「ではどうしましょうか?他に衝撃的なことと言えば…あの方に会わせる、くらいですか?」
「あいつに、か?けど、無理だろう」
「いえいえ。それがですね。来週、この星に映画の宣伝に来るらしいのですよ。ですから」
「けどよ「嫉妬ですか「誰が」
孔冥に背を向けた草玄だったが、彼がどのような表情を浮かべているかは容易に想像できた。
(くそ。社長が二人いるみたいだ)
「いや~。青春ですね~」
ふふんと軽やかな鼻歌を口ずさむ孔冥。
ここにランドがいれば見事なハーモニーが生まれただろう。
次回。ロマンスは止まらない。葵とあの方の恋が始まるかも?
「この星は終わりだー!?」
「なんでやねん」
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