第3話 舞い落ちる花びらは望まれん

 まるで待っていましたと言わんばかりに、豪邸の照明が余すことなくつけられ、庭の者たちが照らされる中。


 この状況に追いつけずに呆然と立ち尽くす草玄に、黒いサングラスとスーツを身に付けるガードマンはじりじりと迫るが、不意に高らかな笑い声が辺りを駆け巡る。


「あれは!」


 塀の上に立った笑い声の人物に、その場にいた全員の視線が集まる。

 それは草玄も同様で。

 ガードマンの声に反応し、のろのろと顔を上げて見れば。



(社長?)



 『オール』の社長であるランドが赤いマントを翻しながら、華麗に佇んでいたのだ。



「怪盗ルルンだ!」

「は?」


 まるで憧れの正義のヒーローに会った子どものように、嬉々とした歓声がその場に響く。


「うわ~。マジで来たぜ」

「俺。ここに就職して良かった」

「サインくれ~」


 草玄などそっちのけで、ガードマンたちは全員ランドの元へ駆け寄らんと、塀の前に集まった。


「ホッホッホ。ンデガラナイス」


 両腕を上下に動かしガードマンの興奮を沈めたランドは、奇怪な笑い声を出したかと思えば、渋めの大人の男性の声音を発し奇妙なポーズを取った。

 そんな自分たちの期待に応えた彼に対し、観衆たちの奇声が飛び交う。



(どーなってんだ?)



 一人、この状況に全くついていけずに取り残される草玄。

 説明を求めんと熱い視線をランドに向けるや、視線に気づいたのか。彼は親指をグッと上げたのだ。



(そうだった)



 それだけで十分だった。

 草玄は池の中から跳ねるように飛び出し、ルルンの魅力が分からない番犬の攻撃を水を吸い上げた重い衣をまとったその身体で躱しながら、豪邸へと駆け走ったのだ。




(頑張れよ。新入り)


 新入りを行かせる為、またアンコールの声に応えんと、ランドはポーズを取り続ける。

 近所迷惑と、近所の住民が呼びつけた警官が現れるまで。






(…社長。来たんだな)


 歓声でランドの出現を察した葵は今、長い廊下を忍び足で駆け走っていた。

 青い薔薇が置かれているであろう保管庫へと。


「葵」

「…早かったな」


 保管庫の前へと辿り着いた葵の横に、何時の間にか。草玄が立っていたのだ。


(…怒らないのか)


 名を呼ぶだけで何も口にしない草玄に、漸く見切りが着いたのかと思ったのだが。


「ここにはない」


 全く予想していなかった発言に、眉根を寄せる。


「ここの主の部屋、分かるか?」

「どうしてそこだと思う?」

「当たり前だろう」


 ほんの少しだけ怒気が含まれているような気がするのは、気のせいか。


「本当に大事なもんてのは、手放せないんだよ」


 不意の真顔に、軽く目を見開き、視線を外す。


「事情を知らないくせに」

「なら終わったら聞かせろ。言いたい事も、そん時だ」

「…分かった」





 

「よくここにあると分かったな」


 背が低く全身細めの男性は高めの女子の声音で、不気味な笑い声を発した。

 この豪邸の主で、自室で待ち構えていたデバスジャンは、その両腕に青い薔薇を抱きかかえていたのだ。

 渡さないと言わんばかりに。


「ガードマンなしとは、軽く見られたものだ」


 部屋にいるのは、デバスジャンと葵と草玄のみ。ガードマンが隠れている様子はなく。


「邸の中は、お気に入りのもの以外入れない主義でね」

「返してもらおうか」

「嫌だね」


 葵が一歩踏み出し距離を縮める度に、デバスジャンもまた一歩ずつ後ろに下がる。


「返せ」

「嫌だ。この薔薇は、今までで一、二を争うほどのお気に入りだ。渡さん」


 じりじりと葵が迫る中、デバスジャンの背に壁が当たる。

 もう逃げ場はないはずなのだが。


「葵」


 不敵な笑みを絶やさないデバスジャンに、嫌な予感がする。


「不正に手にいれて嬉しいか?」

「手に入れる為ならどんな手段も問わないね。君たちも分かるだろう?」

「「分からん/でもない」」「おい」


 葵は隣に立つ草玄に視線を移した。


「気持ちは分からんでもない。俺も、おまえの隣にいる為に、色々と手段を講じたからな」

「その葵に同情をする」

「だが、力ずくでどうこうしようとか、考えたが、実行に移した事はないね」


 草玄はあんたさと口にし、葵を背にデバスジャンの前に立った。


「どっかに引っ掛かりを感じているはず。そんなすっきりしない気持ちでそいつに触れて満足か?」

「…渡してやらんでもない」


 あまりに呆気ない望んだ回答に、逆に嫌な予感が増す。


「が」

「「が?」」

「おまえと交換する事が条件だ」

「葵は渡さねぇ」


 指差す方向に、草玄は葵を護らんと両腕を上げるが。

 デバスジャンは違うと、手を一度左右に動かした後、真直ぐに指差した。

 草玄を。


「…俺?」

「一目見た時に、ビビッと来た。その平凡な容姿。今までに見た事がない」

「良かったな、褒められて」


 葵に肩を叩かれた草玄。

 目を点にする中、頭の中では猛速急で思考を行き交わせ。


「分かった。俺があんたの元へ行けばそいつは返してもらえるんだな」


 答えを導き出したのだ。

 葵に惚れさせる為の最高の言葉を。



(一度こっちに戻れば後はどうにでもなる。クックック)



 黒い笑みは葵には見えず。

 草玄がデバスジャンの元へ行かんと、一歩踏み出した時だった。

 思いもしない言葉に、素っ頓狂な言葉が飛び出る。

 後ろに振り向けない。


「葵。今、何て?」

「駄目だと言ったんだ」


 瞬間、草玄の身体から後光が飛び出す。


「絶対。『分かった。お安い御用だ。あんた。似た者同士しっかりやれよ』。くらい言うと思ったのに。もしかして。惜しんでくれたのか?嫌がってくれたのか」

「いや。そのまま私の目の届かないどっかに行ってくれれば、どんなにか有難いことだが」


 ズバッと切り捨てられ、倒れそうになる身体を必死に立たせる。

 葵は草玄の隣を横切り、ズカズカとデバスジャンとの距離を縮め、手を目と鼻の先に突き出した。


「返せ」



(うわ。迫力が増したな。あれじゃあ)



 淡々とした口調と無表情なだけに、凄味が増しているようだ。


「手に入れたいのならまた堂々と申し込みに来い。同じやつではないかも知れないが、心を込めて創られた物だ。気に入るはずだ」

「嫌だ。こいつでなければ、嫌だ」


 恐怖に怯え身体も声も小刻みに震えてはいるが、抱く力は増すばかり。



(あ~)



 草玄は天井を仰いだ後、ずかずかと葵の隣に立ち膝をついて、デバスジャンと視線を合わせた。


「俺があんたの所に行けば、そいつは返すな」

「ああ」

「おい」


「悪い。こいつの気持ち、分かるんだよ。代用品じゃ。駄目だってよ」

「おまえしか目に入らないって、気持ちは」


「いや。こいつはこの青い薔薇の代用品としておまえが欲しいって言ってるだろう?代用品で事が足りているじゃないか」


 トテッチトテッチテーン。


「おい」


 鬼の形相へと変容を遂げる。


「おまえの青い薔薇への気持ちはその程度ってわけか?ああ?情けねぇやつだな」

「だって」

「ああ?」

「おまえの方が気に入った「男が頬赤らめんじゃねぇ!」

「理不尽だ!男だって頬を赤らめる権利はある!」

「やっていいのは女だけなんだよ!」

「男女不平等だ!」

「この機会に相対的平等って言葉を覚えろ!」

「…信条に反するが、仕方ない」



 男二人が言い争う中、ガスマスクを身に付けた葵は白く丸い球を地面に叩きつけるや、煙が部屋の中に充満し、その煙を吸ったデバスジャンが倒れる前に、青い薔薇を取り返そうとしたのだが。

 意識がないにも拘らず、なかなか手放そうとはせず。



「…面倒なやつばかりだ」


 時間はほんの少しかかったが、それでも何とか取り返した葵は踵を返した。








「ありがとうございました」

「さっさと渡した方がいい。あいつも他の星までは追いかけないだろうからな」



―――『オール』の新場所、一階建てのボロイ倉庫にて。


 怪盗であるルルンことランドは普段は変装しているが、仕事場にいる時と依頼人に会う時、また盗みに入る時など、仕事全般に関わる時はその変装を解いている為、用心として、居を転々としているのだ。


 今回の依頼人は、硝子細工で作られた青い薔薇を取り返してほしいとのことだった。

 何でも、本物の青い薔薇を人工的に作ろうとする友人への手向けの品だったとか。

 仕事場は道沿いに様子が見えるように硝子張りで、それを見たデバスジャンに売って欲しいと申し込まれたが、断り続けた結果が今回の事件の詳細だ。



「今度来た時は売ってやってくれ。あんたの作品を気に入ってんだ」

「…はい」


 そう告げた草玄の瞳には依頼人の、ほんの少し笑みを浮かべた顔が映った。






「今度あんな事したら、姿消すからな」

「それは願ってもない申し出だな」


 二人きりになった瞬間、草玄は椅子に座って新聞を読んでいた葵の前に立ちはだかった。

 何時もと変わらぬ淡々とした口調でそう言われても、今回ばかりはへこたれはしない。


「嘘じゃないからな」

「だから」


 新聞から草玄に視線を移した葵は目を丸くし、手の平をこめかみに添えた。


「泣くな。卑怯だぞ」

「泣いてねぇ。これは、花粉のせいだ。くそ」


 手荒に擦った為か、瞳に赤みが増す。


「あんたは悪いやつじゃないだろうと思う。だが、気持ちには応えられない。あの男のように、代用品を見つけろ」



(…いや。私がその代用品か)


 だから余計に執着するのだろう。



「無理だ」


 予想通りの答えに、嘆息が尽きない。

 草玄は葵の両肩にそっと手を添えた。


「思い出してくれよ。頼むから」



(想いが膨らむばかりだ。こっちばかり)



 情けない事をと、自己嫌悪するも止まらない。

 追い求めて。追い求めて。

 洗濯機に回される中。

 前世の記憶を必死に掴んで、離さないで。

 気が眩みそうになる刻が過ぎて。

 やっと出会えたのに。

 共に暮らせると、確証があったのに。



「思い出してくれよ!」

「しつこい男は嫌われると、ママンに教わりませんでしたか?」



(その声は!?)







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