第2話 川の中に佇む大木のように

「どうした?何時も以上に冴えない顔をして」

「いえ。ちょっと変な夢を見まして」



―――少女の仕事場『オール』にて。


 五階建ての石で作られた建物の三階の一室。『清廉潔白』の四字熟語が似合う、真っ白な部屋を仕事場とする『オール』。


 そこの、長髭がご自慢の紳士を自負する社長兼上司、ランドに話しかけられた少女は、彼の後ろにいる人物に視線を送った。


「ああ。オラルドの新しい相棒だ。こう見えて腕っぷしが強いんだ」

「へぇ」



 落ち着いた金色の髪はふわふわで、小柄な体躯に、ぱっちりとした青い瞳、小さな桜色の唇、肌は雪のように真っ白。まさに物語のお姫様、の敬称が相応しい少女で、名はオリーブ。

 筋肉ムキムキの全身真茶色に妬けたオラルドとはまさに対照的な存在だ。



「でも、何でこの仕事を?」


 幾ら腕っぷしが強いといっても、外見は接客業とかが似合いそうなのに。

 いや、他も引く手あまただろうに。

 何故こんな仕事場に?

 謎過ぎる。



(まぁ、似合いっちゃ、似合いか)



 オリーブを無言でじっと見つめていた少女に、ランドはいきなりにやけ顔でククッと笑うや、『ちょいと奥さん』と、手をこまねいた。



「惚れたんだと」

「…ほれた?何を」

「おまえな。何かを掘ったんじゃないの」


 呆れ顔のランドは、やれやれと両腕を上げた。


「おまえ。こういう話は一番、縁なさそうだもんな。つまり、オリーブがオラルドを好きになって、あいつの役に立ちたくてこの仕事に就職しに来たってわけだ。健気だね~」


 ホッホッホと笑うランドに、オリーブは頬を赤らめた。



(可愛いな)



 朗らかな瞬間であった。



「社長。オラルドには」

「分かってるって。おいちゃん。無粋な事はしませんよ」


 ニマニマ笑うランドは、惚れたはれたの話に興味津々の五十代男性。


「これからよろしくお願いします…えっと」

「ああ。私の名前は東洋圏の漢字で記す葵、と言う。よろしく」


 ぺこりとお辞儀をしたオリーブに、葵は小さく会釈をして、読んでいた新聞に視線を戻した。


「社長。葵。おはようございます…依頼人ですか?」


 真打、オラルドの登場である。

 扉を開けた彼の瞳には、誰よりもこの部屋に相応しい少女が真っ先に映り込んだのだ。


「いやいや。おまえの相棒「社長。ちょっと」


 言い終わるよりも早く、オラルドはランドを連れて部屋の隅っこに連れて行った。


「あの」

「あのさ。どういう仕事か、社長にちゃんと聞いた?」


 困惑するオリーブに、葵は視線を向けた。


「この仕事は下手すりゃ捕まる。犯罪人になる。それでも?」

「聞きました」

「それでも?」

「はい」


 弱弱しい印象を吹き飛ばす、凛とした態度だった。



(恋をすりゃ人は変わる、か。それとも、元々こういう性格だったのか)



「あいつ。仕事と筋肉莫迦だぞ。何処に惚れたんだ?」



 葵の視線の先には、何やら社長に肩を掴まれ説得させられているランドがいて。

 仕事と筋肉を増やす事にしか頭がない男なのに。

 謎だ。

 葵の困惑などそっちのけで、そう尋ねられたオリーブは、気恥ずかしそうに微笑んだ。



「見れば、何時も身体を鍛えていて。強くなろうとする男の人って、素敵じゃないですか?」

「暑苦しいだけだぞ。汗臭いし。臭うだろう」

「彼の魅力ですよ」



 恋する乙女は最強だ。

 葵は強くそう思った。



(まぁ、傍にいて実態を見れば、心も変わるかもしれんし)



「そうか。まぁ、ほどほどに頑張れ」

「応援してくれるんですか?」


 爛漫に輝く瞳を向けられ、軽く慄く。


「ま、まぁ」

「じゃあ、協力してくれるんですね?」


(それは嫌だ。メンドイ)


 瞬間、答えを弾き出した葵は、思考と寸分違わずに表に出そうとしたのだが。

 あまりにも真剣な表情に。


(…可愛いってのは、最強の武器だな)


 心の中だけで嘆息をつき、そして、しどろもどろに言葉を発する。


「まぁ、出来る範囲で、なら」

「嬉しいです。お願いします」


 喜色満面の笑顔を見れば、誰でも惚れそうだ。



(オラルド。果報者だな)



「優しい人たちばかりで。良かったですね」



(?良かった『です』、じゃなくて、良かった『ですね』?)



 第三者に、まるで自分と同じ待遇の者に話しかけるようなオリーブの言葉に。

 葵は身体を動かし、恐る恐る、彼女の後ろに視線を送れば。



「ドッキャリ」



 喜色満面の笑顔の、食い逃げ野郎がいたのだ。



「社長。不法侵入者がいます。警察に連絡を」

「莫迦たれ。下っ端の警察に来られたら面倒だ」

「…もしかして上の警官はこの仕事を!?///」

「ああ。と言っても、極秘の極秘。一人しか知らないし、いざと言う時は助けてはもらえずに切り捨てられる。要は、使い勝手のいいトカゲの尻尾ってわけだ」

「そ、そうなんですか」



 オリーブにとっては。

 汗臭い匂いも。

 オラルド専用の香水のように、芳しい匂い。

 滲み出る汗は。

 オラルドをさらに輝かす照明。

 恋する乙女の五感フィルターは猛稼動中である。



「俺もこの仕事に就職しました。よろしく」

「ああ。悪い。こいつはおまえの相棒だ。理由は訊くなよ。お楽しみだからな」


 スッと立ち上がり、手を前に差し出す食い逃げ野郎に。

 ニマニマと笑みを絶やさない社長に。

 葵は小さく息を吐き、社長にお辞儀をした。


「何だ?」

「実は先日、ひょんなことから占い師に占ってもらったところ、早急に仕事場を変えないと不幸な目に遭うとのお告げを告げられました。なので、お世話になりました」

「おい!」

「私もそろそろ独り立ちしてもいい頃だな、と思っていましたので。丁度いいかな、と」

「無視すん「新入りは黙ってろ」「すいません」


 おいちゃんも決める時は決めます。

 凄味のある態度に、何だよと唇を尖らせるも、押し黙る。

 一応、空気は読めます。時もあります。


「別にいいが」

「が?」


 嫌な予感がひしひしと迫り寄る。

 腕を組み真面目な表情を浮かべるランドを、葵はじっと見つめると。


「それなら尚更、相棒が必要だろう。つーことで、こいつを連れて行け」


 ランドに肩を掴まれ葵の前に差し出された草玄は、何故か、もじもじし始めた。


「そんな急に二人だけなんて。展開が早すぎる」

「気色悪い事をするな。言うな」


 全身に鳥肌が立ってしまった葵は、ランドに詰め寄った。


「社長。一人でいいです」

「莫迦たれ。独り立ちっつっても、うちの看板背負うんだろうが。なら無様な姿を晒す事は断じて許さん。分かってるな」

「分かっています。ですが」

「保険だ。連れて行け。嫌なら認めるわけにはいかん」



(この頑固じじいめ)


 一時無言で睨み合うが。



「もう少し、ここで勉強させてください」

「いいでしょう」


 なるべく二人きりにならない方を選んだ末での結果だった。



(何でこんなことに)


 数時間前に死んだ魚の瞳が数日前にまで急速に衰える。

 葵がじっと睨みつけると、元凶はポッと頬を赤らめた。



(あんたがやっても可愛くないっての)



「もしかして、草玄さん。葵さんのことが好きなのですか?」

「ああ」


 オリーブに肩を軽く叩かれ、こそっと問われた草玄は胸を張って答えた。


「愛してる」

「愛、ですか」

「愛だ」

「私たち、仲間ですね」

「ほぉ。あんたも」

「はい。あちらの方です」


 二人はこそこそと聴こえないように話しているつもりだろうが。

 丸聴こえである。




「いや~。青春ですね」



 時折口調が変わるという変な癖を持っているランドは、ニヤニヤ全開で葵とオラルドを見つめた。

 今にも口笛を吹きそうだ。

 色恋沙汰に全く縁がなかった仕事場だっただけに、この愛の狩人二人の出現は飛び跳ねたいほどに喜ばしいものだったのだろう。



「オラルド。あんたはいいよな。あんな可愛い娘に好かれて。男冥利に尽きる。な?」

「いや~。俺って、筋肉ムキムキの女性が好きだから」


 能天気な発言に、濃い影が舞い降りる。


「莫迦。本人を前に堂々と言うやつがいるか」

「こう言うことはきちんというのが筋じゃないですか。ごめん。そういうわけだから」


 ランドの叱咤に、オラルドは表情を改めてこれまた堂々と告げた。


「大丈夫か?え~と。オリーブつったっけ?」

「格好いい」


 同士の草玄の心配をよそに、オリーブはぼ~っとオラルドを見つめた。

 漢気のある態度に、乙女の心は完全に掻っ攫われたのだ。

 一度や二度断られたくらいで諦められるわけがない。


「私、筋肉むきむきになります」

「おい。気をしっかり持て」

「いえ。好きな人の為なら」

「分かるぜ。おまえの気持ち。俺だって、葵の為なら」

「なら今すぐ消えろ」

「ふ。照れちゃって。可愛いな。もう」

「あんたな」

「葵は果報者だな。こんなに好かれて」

「あんたが罰当たりなことを言うからややこしい事になったんだ。目を覚ませ。あんな可愛い娘が筋肉ムキムキになった姿を想像してみろ。見るに堪えん」

「いや。いいだろう」

「この阿呆」

「いや~。青春だな~」

「社長。あいつは食い逃げしたんですよ。丹精込めて作られて食料を、丹精込めて作られた料理を無下にしたやつですよ」

「葵」

「な、何ですか?」


 不意の真面目な顔に、ごくりと唾を呑み込む。


「人間。食わんと死ぬ。だからな」

「生きる為なら盗んでなんぼ」

「命を繋いだその身体で、稼いで返せばいい」


 社長は新入り、と、草玄の方に視線を送った。


「ここで稼いで、食い逃げした店に利子付けて帰してやんな。謝罪も忘れるなよ」

「「「社長」」」


 誰よりも漢気のある人はこの人だ。

 誰もがそう思った瞬間であった。








「なぁ、機嫌直せって」

「煩い」


 その後、仕事を任された葵は結局、草玄を連れて現場に向かう事となり。


「大体。あんたはこれから何をするのか知っているのか?」

「さぁ?」

「さぁってな」

「葵に逢う為に来ただけだ。言ったろう?捜し出すってな」

「…そうか」



(あれ。もしかして、本気で照れてんのか?)



 急に俯いた葵にそんな感想を抱いた草玄だったが。


「なら、その嗅覚で青の薔薇を見つけ出して来い」

「へ?」


 屋根の上にいた草玄は背中を押され、急落下。池にゴチャンと落ちてしまった。

 幸い、屋根と池の距離が短かった事、さらに池が深い事で怪我は全くなかった。


「へ?」


 刻は深夜と言えど、その音にその豪邸の者が目を覚ますのは無理からぬ事で。



(どう言うこと?どーゆーこと???)



 草玄が元いた屋根に視線を送れば、もう葵の姿はなく。



(もしかして俺。囮にされた?)

(つーか、仕事って)

(泥棒かよー!!)



 池の周りを野犬とガードマンが囲い逃げ場を失う中。

 草玄は心の中で絶叫しまくりましたとさ。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る