第7話 時空を超える猫

 サナが入院してから数日が過ぎた。

 身体は順調に回復し、「もう間もなく退院できるだろう」と医者にも言われた。

 ある日の朝。起床したサナは、病室のカーテンを勢いよく開け放った。部屋いっぱいに光が満ち溢れる。

「いいお天気」

 目を細め、サナは呟く。

 今日は特に検査などもない。外の空気を吸いに出かけようか。サナはそう決め、松葉杖を使って歩き出した。たどたどしくも力強い足取りで、病室を後にする。

 病院の周囲には木々や花が多く生い茂り、患者達の憩いの場となっている。サナはベンチに腰掛けた。そよ風が優しく髪を揺らす。爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 そこに一匹の黒猫が近寄って来て、足元で「にゃーん」と鳴いた。

「あら、ヴァルヲちゃん。会いに来てくれたの?」

 ヴァルヲは甘い声で鳴き、サナの膝の上に飛び乗った。そのまま身体を丸くする。

 周囲にアルドの姿はない。今日もIDEAの捜査に加わっているのだろうか。

 あたたかい陽光と、吹き抜ける爽やかな風。周囲で談笑する人々。

 膝の上で丸くなる黒猫の体温。

「平和だなぁ……」

 今ではこの穏やかさが当たり前ではないと思える。陰でIDEAが守ってくれているからこそ、この学園都市は平和なのだ。

 サナの傍らで、蝶がひらりと飛んだ。

 ヴァルヲが勢いよくジャンプして、蝶を追いかけていく。

「イスカさん、今頃どうしているのかな」

 バチバチという音がして、空気が大きく振動した。

 突如として、空中に青い光の穴が開く。

「え……なんなの、これ?」

 穴の中から、三毛猫が飛び出してきた。そのままサナに飛びつき、強い力で服に噛みつく。

「猫?」

 三毛猫は強い力でサナを穴の方へと引っ張る。

「こっちに来い、ってことなの」

 あまりに唐突な出来事で、サナは困惑した。

 でもこの猫は困っていて、誰でもない自分に助けを求めている。

 もしアルドならどうする?

 イスカなら、どう動く?

 恐怖を飲み込み、サナは決意して青い穴へと飛び込んだ。

 無重力空間にいるみたいに、身体がふわりと浮く。それは永遠に続くようで、あっという間の出来事だった。つま先が地に届く。

 そこは、見渡す限り草原だった。風の匂いが少し違う気がする。遠くの方に家が並ぶ。ここは、どこかの村の外れなのだろうか。

 なんだか、いつもより空が遠く感じる。

「ここってもしかして、地上だったりして」

 少なくともエルジオンのプレート上に、こんなに広い平原はないはずだ。だからと言って、緑豊かなラウラ・ドームやニルヴァとも雰囲気が違う。

 だけど、汚染された地上にこんな場所が残っているなんて、ましてや人類が暮らしているなんて聞いたことがない。時空でも超えない限り、そんな地上に降り立つことなんてできる訳がない。

「私しかいないの? ヴァルヲちゃんは?」

 足元で猫が鳴いた。先ほどの三毛猫だった。

「にゃー!」

 三毛猫に急かされて、村とは逆の方向に連れて行かれた。見晴らしの良い平原の遠くに、巨大な城が見えた。どこかで見覚えがあるような城だな、とサナは思った。

 三毛猫に連れて行かれた先で、魔物が武器を振りかざしていた。白い猫を守るように、数匹の猫が無謀にも戦いを挑んでいる。

「だから私を呼んだのね。……助けなきゃ」

 そう言っても、この身体では武器を扱えない。そもそも、薄いワンピースにカーディガンを羽織っただけの姿。丸腰ではどうしようもない。

「待ってて。助けを呼んでくるから」

 そのとき、背後で違う猫が「にゃあん!」と鳴いた。一匹の黒猫がものすごい勢いで駆けて来たのだ。黄緑の瞳を持つ黒猫だった。

「え、ヴァルヲちゃん……?」

 猫は魔物の腕に噛みつき、離そうとしない。他の魔物の斧が、ヴァルヲに向かって鈍く光る。

「危ない!」

 咄嗟に、サナはヴァルヲを包み込むように防御魔法をかけていた。

 久々に力を使った為、脱力して地面に倒れ込んでしまう。

 意識が遠のいていく中で、声が聞こえた。

「大丈夫か!」

 あれ、なんでアルドさんの声がするの?

 また青い穴が見えた気がする。

 意識が、途切れる。

 

 目が覚めると病院のベッドの上だった。

 アルドが深刻そうな目でこちらを見つめている。

「あれ? なんだか私、変な夢を見ていたみたいで」

「あ、ああ……きっと夢だ。夢に違いない」

 アルドさん、なんで目を合わせてくれないのだろう?

 変なこと言って呆れられてしまっただろうか……。

 サナは首を傾げた。窓の方に目をやると、カーテンはすでに開け放たれている。いったいどこから夢を見ていたのやら。

「あの、少し私の話を聞いてもらえないでしょうか」

「どうしたんだ?」

「私はこれまで、戦闘実習やミッションでは刀を使って戦ってきました。けど、武器を使わずに特別な力を使う方もこの世界にはいるのでしょうか?」

「力って?」

「例えば、ゼノ・プリズマの力を使わずに自然の力が使えるとか」

「俺の仲間には似たような能力者がいるよ。彼は自分のことをシャーマンって名乗っていたけど。でも、いきなりそんな話をしてどうしたんだ?」

「夢の中で、不思議な力で防御シールドを張ることができたんです。もし現実でも鍛錬して使えるなら、習得したいなと」

 アルドはしばらく考えてから、こうサナを励ました。

「うん。サナならきっと大丈夫だな。この先オレが傍にいられなくても、きっと……」

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