第6話  目醒め 氷の華との邂逅

 サナは瞼を開けた。

 ここは、ベッドの上だろうか? 視界に白い天井が広がっている。

 全身の痛みがひどく、起き上がることすらできない。

 腕からは点滴のチューブがのびていた。どこかでナースコールの呼び出し音が鳴っている。どうやらここは、病院の一室らしい。

 生きている。ようやく現実の世界に戻ってこられた。サナは安堵し、再びゆっくりと瞼を閉じた。現実でも夢の中でも、いろいろなことが起こった。頭の整理が追い付かない。

「お邪魔します」

 ベッドを囲うカーテンの仕切りの向こうで、よく知っている若者の声がした。

 サナは目を開け、「どうぞ」と答えた。カーテンが静かに開き、黒髪の青年が姿を現した。赤い羽織に黒いブーツ、腰には大剣。その姿はアルドに違いなかった。

「サナ! 無事に目が覚めてよかったよ。攻撃を受けたあと、ずっと意識を失っていたんだ。具合はどうだ?」

「体が痛みますが、なんとか」

「よかった。ヴァルヲも心配している様子だったぞ。今は病院の外で仲間たちと一緒にいるんだけど、外に出られるようになったら、また遊んであげてくれよな」

 サナが微笑んでうなずくと、アルドは満面に笑みを浮かべて応えた。ふと胸の奥がちくりと痛む。どうしてこんな私に笑いかけてくれるのだろう、と。

「助けていただき、本当にありがとうございました。でも力不足で、足手惑いで、本当にごめんなさい!」

 声を張り上げるサナに向かって、アルドは首を横に振った。

「気にするなって。無事だったなら、もうそれでいいじゃないか」

「だけど……」

 サナの心の中は、申し訳なさでいっぱいだった。なぜ自分が戦力になると勘違いしてしまったのだろう。自分は所詮ただのモブキャラクター。物語の蚊帳の外の存在。イスカに憧れているだけで実力不足。それなのに……。

「じゃあ、一つだけ文句を言わせてくれ」

 アルドの眉間にシワが寄る。いつになく低い声音。サナはごくりと唾を飲む。

「自分の事を大切にしてほしい」

 そう言い切るアルドの目は、真剣だった。

 サナは拍子抜けした。

 もっと直接的にけなされたり、罵倒されたりすると思ったからだ。

 アルドは黙って窓際のカーテンを勢いよく開けた。眩しい陽光が部屋いっぱいに広がる。サナは思わず目をつぶった。

「オレ、これまで色々な所を旅をしてきたよ。危険な場所、命をかけて戦うような局面、いろいろあった。だけど、こうして生きている。たくさんの仲間たちの力、守りたい人の存在があったから。俺一人じゃ絶対にここまで来られなかった」

 アルドは自分の黒い髪の毛を手でくしゃくしゃと障り、「うーん」と唸った。

「なんだか、うまく言えないんだけどさ……サナは自分の持てる力で、君の全力で、敵に立ち向かおうとした。オレもそんな君を救おうと、無我夢中になった。みんな頑張ったし、みんなこうして生きている。これ、仲間の受け売りなんだけどさ、前を向いて生きていたらきっといいことがあるんだってさ。だから、前を向いて生きていこうぜ」

 この青年は、どこまでお人好しなんだろう。

 押しとどめていた感情が胸の奥から一気にこみ上げてきて、目頭が熱くなる。

 アルドはサナに背を向けた。ベッドを取り囲むカーテンを閉め、黙って病室の外へと消えて行く。

「ありがとう……アルドさん」

 サナはティッシュで鼻をかむ。まだまだ涙はあふれ出る。ティッシュを数枚まとめて箱から引っ張り出し、ぎゅっと瞼に押し当て、アルドの言ったことを思い出す。

――前を向いて生きていたら、きっといいことがある。

「ずっとこのままじゃ、前に進めないよね。気持ち、切り替えよう」

 サナは両手で両頬をぺちんと叩いた。口角を上げ、手の中の紙屑を力強くゴミ箱に投げ捨てる。

 そのとき、病室の自動ドアが開く音がした。

 アルドが戻って来たのかと思いきや、サナのベッドにやって来たのは、白い制服に身を包んだ見知らぬ少女だった。同い年くらいだろうか。切りそろえられた前髪の下には、青い瞳が光る。

「初めまして。IDEAのサキと申します」

「は、初めまして。ハイスクール二年のサナです」

「お加減はいかがですか?」

「まだ起き上がれませんが、気持ちは元気です! ある方に助けていただいたおかげで、こうして生きています」

 それを聞いてサキは、「よかった」と、目を細めて呟いた。

「もしかして、例の事件を調べていらっしゃるんですか?」

 サナが質問すると、サキは真剣な面持ちでうなずいた。

「はい。被害者の数は増える一方で、ほとんどの方が今も昏睡状態です。意識を取り戻したのは、現状サナさんだけで……。目が覚めたばかりで恐縮なのですが、お話を伺えないでしょうか?」

「私なんかで力になれるなら、ぜひ」

「ありがとうございます!」

 サナは記憶を辿りながらサキに語った。アルドと共に機械に襲われた場面、そして夢の中の出来事を。

「ご協力ありがとうございました。私は至急IDEAに戻り、今の貴重なお話を会長に報告します」

 颯爽と去っていくサキの背を、サナはぼんやりと見送った。自分と同じぐらいの年頃なのに、IDEAの白制服に選抜され、任務を遂行している。凄いな……。サキと自分を比べて、勝手に自己嫌悪になる自分が嫌になる。

 カーテンが開く音がして、サナは顔を上げた。そこに、紙袋を抱えたアルドが立っていた。

「さっきサキとすれ違ったよ。ここに来てたんだな」

「アルドさんのお知り合いの方ですか?」

「ああ。あの子も前に色々あってね」

「そうだったんですか」

 もしかしたら、サキもアルドに助けられたことがあったのだろうか。

 サナがそんなことを考えていると、甘い香りが鼻をくすぐった。アルドは袋からお菓子を取り出し、サナに差し出す。

「これは?」

「ふっふっふ……なんと、数量限定でしか販売していない幻のスイーツ。レゾナ・ラ・ネージュだぞ!」

「ええっ、あの噂の!」

 噂では聞いたことがあるけれど、実物を見るのは初めてだった。

「遠慮しないで食ってくれよ」

 一口食べただけで、心が幸福になるような味だった。サナの顔が自然と綻ぶ。その様子を見たアルドは満足そうにうなずいた。

「さてと、オレもIDEAの調査に協力してくるよ。このままあのヘンテコな機械をほっとけないからな」

「アルドさん。いろいろとありがとうございました。どうぞお気を付けて」

 サナに手を振り、アルドは病室を去っていった。

 サキも、アルドも、みんな自分にできることを頑張っている。ベッドの上で寝ていることしかできない今の自分にもできることは、いったいなんだろう? 

 白い天井を睨みつけながら、サナは考えを巡らせた。

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