第8話 繭

 翌日。サナは再び病院の外を散歩していた。

 足元には今日もヴァルヲがいる。

「あれ? あの猫って……」

 背後で誰かが呟く声が聞こえた。振り返ると、同い年ぐらいの少女が立っていた。

 薄い茶色の髪。陽光に煌めく紫水晶のような髪飾り。

 目が合うと、少女は微笑んだ。

 サナが微笑み返すと、少女はゆっくりと歩み寄って来た。

「はじめまして。私はマユ。この病院に入院しているの」

「私も入院中。一緒だね」

 二人でベンチに並んで腰かけた。

 今日も風は穏やかで、青空の下に緑の木々と花が広がっている。

「サナちゃん、って呼んでもいいかな?」

「もちろんだよ。私もマユちゃんって呼んじゃおうかな」

 同じ年頃ということもあってか、二人は早々に打ち解けた。

「マユちゃんは、ヴァルヲちゃんを知ってるんだね」

「命の恩人といつも一緒にいる猫さんだからね」

「それってもしかして、アルドさん?」

「ええ。友達と一緒に私を救ってくださった大事な方よ」

「そうだったんだね。私も、アルドさんには助けてもらってばかりだよ」

「サナちゃんも?」

 サナが話す事件の内容を、マユは食い入るように聞き入った。

 ――謎のドローンと、襲われる生徒達、目覚めない被害者、不思議な夢。

「だから最近のサキちゃん、とても忙しそうだったんだ」

 なんと、IDEAのサキはマユの友人だという。

「被害者が意識を失ってしまって目覚めない……というのは、ヤミリンゴ事件に似ている気はするけれど」

「ヤミリンゴ?」

 マユは、夢意識事件のことをサナに説明した。

 あのイスカも含め、IDEAの中心メンバーが動くような大事件に巻き込まれていたなんて。IDEAの活動内容は公にはされていないので、サナはマユから事件のことを聞いて驚いた。

「そんな凄い事件があったんだね」

「ええ。イスカさんは二度も私を助けてくれた。だから、今度は私がイスカさんやサキちゃんを助けたい」

「マユちゃんは凄いね」

「サナちゃんはどうなの? IDAの生徒なら、IDEAに入るチャンスもあるんじゃないの?」

「私は……」

 じっと見つめてくるマユの瞳に、吸い込まれそうになる。

 その時、遠くで爆発音がした。

「なんなの? 今の音」

 サナは周囲を見回した。

「セントラル・パークの方から聞こえた気がするけど」

 マユはか細い声で言った。

 硝煙の焦げ臭い匂いが、風に乗って漂ってくる。

 セントラル・パークの方から叫び声が聞こえる。

「逃げろ!」と、大人たちが叫ぶ。

「怖いよ」と、子どもたちは泣き叫ぶ。

 平穏な日常が、音をたてて崩れ去る音が聞こえる。

「サナちゃん! あれ、こっちに近づいてくるよ」

 現れたのは、戦闘用ドローンだった。まるで軍が使うような大型の。

 サナの身体は恐怖で凍り付いた。

 マユがサナの袖を引く。

「サナちゃん、逃げなきゃ!」

 そう言うマユも怯えて腰が抜けてしまい、とても動ける状況ではない。長い間この病院で入院生活を送り、やっと普通に出歩けるまでに回復したばかりなのだ。

 かつて彼女を守り抜いたアルド達は、今ここにはいない。

 サナも心の中は恐怖と不安でいっぱいだったが、それよりもマユを守れるのは自分だけだという強い意志に駆られた。

 まだ刀は振るえないけれど、技なら出せる。

 あの猫を守ったときのように、きっとできるはずだ。

「大丈夫よ。私が守るから」

 サナは決意した。

 ドローンが、二人を標的にして射撃を開始する。

 サナは力を使い、自分とマユにシールドを張った。

 何度も、何度も。だが、その力も長くはもたない。

「諦めないよ!」

 サナはシールドが破られないよう、意識を集中する。

 だが敵の火力も強くなる。

 もう駄目かもしれない。サナが諦めそうになったその時。

 二人の真横を疾風が駆け抜けた。

 それは、白制服の少女だった。

「イスカさん!」

「キミたちとならやれるさ」

 IDA会長のイスカは凛とした声で言い放ち、ドローンに向かって刀を構える。

「最後まで諦めずに戦おう」

 アルドが続いて駆け付けた。

「この力、あすを紡ぐために!」

 サキも戦闘に加わる。

 後衛にはIDEAの白制服組、クロードとヒスメナの姿もあった。

「作戦どおりにいくよ!」

 イスカの声が号砲となり、戦闘が始まる。

 アルドとヒスメナが前衛に出て行き、敵に刃を浴びせた。

 少し後ろからクロードが弓矢、サキが氷の鎖を放つ。

 イスカは前衛と後衛を巧みに行き来し、機敏に戦場を駆け抜けた。

 圧倒的な戦力で、IDEA達がドローンを追い詰める。

 いよいよ最終局面、アルドが腰の大剣を引き抜いた。

 彼の体躯以上の、赤と青が禍々しく入り混じった大剣が見える。

 ――次の瞬間、すでに決着がついていた。

 まるで時が止まっている間に、すべて終わったかのようだった。

 地面には、ばらばらになったドローンの破片が山積みになっている。

 現場は事後処理の為に駆け付けたIDEAのメンバーにより、すぐさま封鎖された。

「もう大丈夫ですか? 何も襲ってきませんか?」

 混乱するサナを落ち着かせるように、イスカは優しい声音で告げた。

「ああ、大丈夫だよ。よく頑張ってくれたね、サナ。キミのおかげでマユも助かった」

 サナの目に涙が滲む。張りつめていた糸が切れたかのように、その声で安堵した。

「いったい何が起こっていたんですか?」

「結論から言おう。今まで生徒を襲っていた機体は、暴走した図書館のAIプログラムだったんだ」

「AIが暴走……?」

 穏やかではない言葉だ。

「詳しくは、現場が落ち着いてから説明するよ。事後処理があるので、わたしは行かなければならない。サキ、みんなを安全な場所まで。護衛を頼むよ」

「承知しました。サナさんとマユちゃんは、いったん病室へ戻りましょう」

 去り際、サナはイスカに向かって声を張り上げた。

「イスカさん。助けていただき、ありがとうございました!」

「どういたしまして。また後で、一緒に美味しい紅茶でも飲んで話そう」

 よかった。全部、終わったんだ。

 そのまま、サナは再び意識を失ってしまった。

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