第41話 魔界領域

「墜ちるがよい」


 そう目の前の白い魔人がつぶやいた瞬間だった。


「――何ッ!?」


 それは誰の声だったか。それさえも分からない程その場にいたものは一瞬で混乱に陥った。

なぜなら、先ほどまで確かにあった地面。それが消えたからだ。

突然襲う胃袋などの内臓の浮遊感に混乱しながらも雲林院は周囲に指示を出す。


「――ッ! 全体、飛行術式の使用をッ!」


 魔力を術式へ転換し飛行を行おうとする。しかし僅かに身体は浮遊するが、それでも重力に従い墜ちていく。


「これはッ!」


 下を見るとどこまでも深い深淵のような闇が広がっている。

雲林院は冷静に周りを見ると、イディオムやソードドールズなども同様に落下していた。

いや、一人だけ落下させずに上空に留まっている者がいる。


「セレスティア軍曹ッ! 危険な相手だッ! 注意しなさい!」

「……了解」


 同じく落下しているヴァージルがそうセレスティアに指示を出していた。

空中でなんとか態勢を整えつつ、普段の術式以上に魔力を練りだす。

すると、徐々に落下の速度は収まりようやく空中に留まる事ができた。

雲林院は他の者の様子を確認すると、雲林院よりやや下の方に葦原、ウィリアム、ソニアがいる。

そしてさらに下方に天沢、雫、アルフレッドがいる様子だった。

よく見ると天沢は雫を助けるように肩を組んでいる。恐らく、とっさに助けたのだろうと考えた。


「雲林院さん、恐らくこれは……」


 そう声がする方向を見るとヴァージルは雲林院よりやや上空に浮遊していた。、


「保有魔力量……ですか」

「恐らくそうでしょう。セレスティア軍曹のみ魔人と同じ上空にいるという事を考えるとその結論で間違いないかと思います」


 その予想は正しいと雲林院も直感する。あの白い魔人の周囲に漂う霧。

あれから離れると先ほどまで感じていた寒さがなかった。

(であれば理由は一つでしょう。あの異常な寒さは我々から魔力を奪っていたために起きた現象の可能性が高い)


「ヴァージル殿。セレスティア殿にあの霧の中に留まらないように伝えて頂けませんか」

「私もそう考えた所です。セレスティア軍曹ッ! 恐らくその霧は魔力を奪う可能性が高いッ!」





****





 下に落ちたヴァージルの声が聞こえ、セレスティアは考えた。

(魔力を奪うね。ならその前に殺してしまえばいい)


「うん? なぜ人間如きがまだあそこにいるのだ。それに貴様。なぜまだそこにいる。目障りな」


 そうつぶやいた魔人は右手をセレスティアの方へ向けた。

その一瞬でセレスティアはまるで南極へ放り込まれたかのような錯覚に襲われる。


「”アディシオン”ッ!」


 異能を使用したセレスティアは目の前の魔人、それに下から聞こえる声などがスロー再生のように遅くなる事を知覚していく。ゆっくりと上げる右手の速度が先ほどよりも2分の1まで遅くなり、さらに魔人の力に呼応するように周囲に白い結晶体が出現していくのが見えた。


(フォルスアーツ? どのみち回避したほうが良さそう)


 セレスティアの異能により周りの時間は彼女の速度に追いつくことが出来ない。

50を超える尖った結晶体がセレスティアに接近するのを横で見ながら魔人の側面へ回る。

現実の時間よりも2倍の速度で移動するセレスティアの移動は肉眼では映らない速度へ上がっている。ただでさえ、膨大な魔力で強化したセレスティアが他の生物よりも倍の速度で移動する様は目の前で見ると一瞬消えてみえる速度になる。

 手に持っていたナイフを構え、魔人の横へ移動する際にそのまま魔人の顔をセレスティアは切り裂いた。視界を奪うために両目を横一閃で切り裂く。

さらに返す一閃で首を切り落とそうとしたが、思った以上に魔人の身体が硬く、切断するには至らなかった。その事を心の中で舌打ちしながらも魔人の近くから一気に離れ、異能を解除した。


 セレスティアが異能を解除した瞬間に、先ほどまでセレスティアのいた場所には結晶体が出現し壁に突き刺さっていた。そして、魔人の両目から赤い血液が噴出し、さらに首の動脈部分からも血液が噴出する。普通の人間ならそれで間違いなく死亡していたであろう攻撃だった。


「魔人さんの血って赤いんだね。ボクはてっきり青いのかと思ってたよ」


 見た目が人間と同じ構造に見えたためにとりあえず急所を攻撃したセレスティアは念のため距離を取りながら魔人の様子を見ていた。


「……が」

「ん、なんか言った? ていうか生きてるの?」

「人間風情がッ!! この我に血を流させるなどッ!!」


 そう鬼気迫る様子でセレスティアの方を見て叫ぶ魔人。

その様子を見てセレスティアは僅かに目を見開いた。

先ほど間違いなく切り裂いた両の目、そして首から


「――傷が回復してる?」

「下等生物の分際でッ! この我を倒せると都合の良い妄想をしているのかぁ! 許さぬぞ、楽に死ねると思うなよッ! 人間がぁぁ!!」


 魔人からさらに白い霧が出現する。

そして、それが徐々に魔人の背中へと集まっていくのがセレスティア、そして下方にいる一同にも視認できた。

渦を巻き徐々に形成されていく。そしてその姿はセレスティアにも見覚えのある姿であった。



「――天使?」


 白い髪から赤く光った瞳を宿し、憎悪の顔をセレスティアに向けている魔人の背に、白く透明なひし形の結晶が集まり、まるで翼を広げているように見えたのだ。


「これは、我ら魔人が戦闘行為をするために出現する外部器官だ。ようやくこれを出せる程度にこの場所は魔力が満ちてきた。本来であれば貴様ら人間など今は相手にする予定もないのだが、ここまで我を侮辱したのだッ! その報いを受けるがよい!」


 その魔人の言い方にセレスティアは疑問に感じた。

(人間など相手にする予定がない?)


「どういう意味?」

「はッ! 怖気付いたか!」

「違う。人間なんて相手にしないってどういう意味? 私たち人間を倒してこの世界を手に入れようとしてるんでしょ?」


 そうセレスティアが魔人に向けて質問を投げると魔人は先ほどとは一変して笑い始めた。


「くくく。逆だ、人間。我らはこの世界を手に入れた後に人間を駆逐する予定なのだ。害虫のようにどれだけいるかもわからない人間なんぞ一々潰していっては時間が掛かるだろう。この世界を作り替え、その後に娯楽代わりに殺す予定なのだ。とはいえ、貴様らの様に多少知恵がある人間がいるとは思いもしなかったがな」

「……つまりボク達の事を舐めているって事だね。うん、死ぬといいよ」

「はっはっは! 楽に死ねると思わぬことだッ!」


 魔人の背の羽がさらに白く輝く。

セレスティアの視界がその輝きで照らされる瞬間に背筋に冷たい物を感じた。


「”アディシオン・スタグネイト”」


 そうセレスティアが異能を発現したとほぼ同時に先ほどとは比にならないレベルの結晶体が襲った。今回は魔人に予備動作がなく羽が光った瞬間に攻撃されたためにセレスティアは咄嗟に躱す事を放棄した。

白い結晶がぶつかった衝撃で発生した煙が晴れると無傷のセレスティアがそこにいた。


「はぁはぁはぁ。やっぱりこれ使った後は身体中が痛いから使いたくないなぁ」

「この程度では倒せると思わなかったが、。妙な魔法を使う。

まぁ良い。この世界で羽化した我の力を存分に振るうよい実験になる。さて、ではこうしようか」


 魔人は両の手を合わせ、さらに背の羽が白く輝く。

するとまたダンジョン内に地鳴りが起きた。


「……今度はなに?」


 すると下方から何か獣の叫び声が聞こえた。


「なに、あれ」

「この魔界領域を守護する星獣を創造したのだ。この領域は我の庭。領域の創造など片手間で行えるしあのように星獣の創造も容易なのだ」


 眼下には16階層で何度か戦ったカラベラのような姿の魔物がいた。

あの不気味な骸骨のような犬の姿、そしてその背中に骨のような羽が生えており、遥か下の闇からこちらに向かって浮上してきていた。

(先ほどの魔人の言葉から魔界領域とは恐らくダンジョンの事だと思うけど、星獣ってもしかして守護者の事かな。そして、いきなり足場が消えて落下したのはこの魔人が足場を消したからって事か)


 そうこのペラペラしゃべる魔人から得た情報を整理しつつ、下の魔物を見る。

まるで地獄から来た使者のような造形をしている魔物に対し、どこが星獣よと思わず言葉を零してしまった。

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