みしろと詩央

怜 一

みしろと詩央


 規則的に揺れる、二人の身体。

 私の隣に座るみしろは、真っ直ぐ前を向き、なにも言わない。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。そんな後悔をしても、もう遅い。思考を放棄した私は、みしろと同じく、窓の向こうに流れる景色をただただ眺めた。


 「次はー…」


 次の駅へ到着するアナウンスが車内に流れる。

 まだ、終点には遠い。

 人生で初めて学校をサボった緊張感と心地よい電車の揺れが混ざり、私は、いつの間にか目蓋を閉じていた。

 


+



 「今から海、行こう」


 最寄駅の改札。

 一緒に登校していたみしろから、ナンパの決まり文句みたいなセリフを言われた。


 「えっ?冬だよ?」


 あまりにも突拍子もない提案に、私はピントのズレた返事をしてしまった。

 成績優秀、品行方正、唯一やったことがある悪事は、学校の図書室で貸出されてるミステリー小説に犯人の名前を書いたしおりを挟んでおいたこと。そんな真面目な私なら、サボっちゃダメだよとか、先生に怒られるよとか、普段なら最もらしい理由を言っていただろう。


 「冬は、ダメなの?」


 無表情のみしろは、くりっとした黒い瞳で私の顔を覗き込んできた。みしろから感じる無言の圧力に、私は顔を逸らす。


 「いや、冬がダメってわけじゃないけど…」


 みしろは無表情のまま、私の腕にしがみつき、ぐいぐい引っ張ってくる。今まで、みしろが駄々をこねることは何回かあったが、しかし、ここまで積極的なのは珍しいことだった。


 受験を来年に控えている私達からすれば、ここで学校をサボるという選択はありえない。授業に遅れてしまうし、内申点にも影響するだろう。しかも、親にバレたら怒られるのは目に見えている。みしろだって、それを理解しているはずだ。


 「みしろ、なにかあったの?」


 私の問いかけに、みしろはなにも答えない。ただ、痛くない程度の力で、私の腕を抱きしめていた。ここまで必至に訴えかけてくるみしろを無視して学校に行ってしまったら、きっと後悔してしまうのではないか。そんな、漠然としたなにかが脳裏を過った。

 ええい。もう、どうなでもなれ。


 「海って、どこの海に行くの?」


 私の言葉に、みしろは満足げに鼻を鳴らして、こう言った。


 「終点の海」



+



 誰かに肩を揺さぶられ、目を覚ます。

 怒っても笑ってもいないみしろが、目の前にいた。


 「詩央、着いた」


 私は寝ぼけ眼を擦り、みしろと共に電車を降りる。


 「寒っ!?」


 町にいた時とは質の違う寒さに、私は、反射的に着ていたダッフルコートのポケットに手を突っ込んだ。

 寒いというか、痛い。身を切る寒さと言うけど、これは、どちらかといえば刺されてる。極細の針で毛穴を刺されてるような、そんな感じ。


 「みしろ、大丈夫?」


 心配した私は、みしろの方を見て、唖然とした。そこには派手な柄のイヤーマフを装着し、黒い手袋をはめ、首に対して長すぎるマフラーを巻いたみしろがいた。それらは先程まで着けていなかったのに、目を離した一瞬のうちに身につけていた。そんな芸当ができるのは、舞台役者か魔法少女かみしろくらいだろう。

 

 「…?」


 みしろは、固まってしまった私を見て、不思議そうに首を傾げた。

 そこまで用意してくるなら、昨日のうちに言っておいてほしかった。切実に。


 「うわぁ…」


 木造で出来た改札を抜けた先は、なにもなかった。正確には、よくわからない白い建物が一つと駐車場があるだけだった。流石、田舎の終点というべきか。


 「こっち」


 みしろは、私のコートの袖を摘んで誘導する。片手には、スマートフォンを持っていて、画面にはマップのアプリが表示されていた。どうやら、すでに目的地まで決まっていたようだ。

 時刻は、九時を回っていた。完全に遅刻だ。もう、後戻りはできない。

 みしろに導かれるまま歩き、小さい建物が並んだ町のようなところを通り過ぎると、左手の方から徐々に海が見えてきた。


 「おー…」


 私は、思わず感嘆のため息を漏らした。天気は生憎の曇天だったが、それでも、このどこまでも続くような広大さには心打たれるものがあった。


 「私、ここまで来たの初めて」


 みしろは、うんともすんとも言わず、黙々と歩き続ける。海は見えたが、まだ、目的地は先らしい。

 更に歩くこと三十分。ようやく、みしろの目的地へと辿り着いた。


 「ここって…、岬じゃん」


 みしろは、私の袖を離して、岩でできた階段を駆け上がっていく。そこそこの距離を歩いて疲れていた足に鞭を打ち、私は、みしろを追いかける。


 「ちょっ、みしろ、待って」


 登った先で、みしろは仁王立ちで海をジッと見つめていた。なにをするわけでもなく、脚を広げて、両腕を下げ、海を受け止めるかのように、岬に立っていた。

 あまりにも雄々しいみしろの姿に、私は、思わず口にしてしまった。


 「みしろ、なにやってんの?」


 すると、終点からずっと無口だったみしろが、微かに口を開いた。


 「…りよ」


 みしろの小さい声は、波の音にかき消される。


 「なんて?」


 私は、みしろに近づいて耳を澄ませる。すると、みしろは私に抱きついて囁いた。


 「ここから一緒に飛び降りよ」

 「いきなりすぎるわっ!」


 驚いた私は、みしろの両肩を掴んで引き離す。

 ポタッ。

 みしろの足元に、なにかが落ちる。

 私は、恐る恐る視線を上げると、みしろの両眼から涙が溢れていた。


 「えっ?なっ、なんで、泣いてるの?」


 私は、あまりのことに動揺を隠せなかった。なんせ、みしろと知り合ってから四年くらい経つが、泣いている姿は一度たりとも見たことがなかった。なのに、なぜ、真冬の岬まで来て、こんなにも泣いているのか。それが、私には理解できなかった。


 「おっ、おっ。おお、おっ」


 みしろが何か言おうとしているが、嗚咽が酷く、なかなか次の言葉が出てこない。


 「大丈夫だよぉ。ゆっくりでいいからねぇ」


 私は、なぜか、小さい子をあやすような口調でみしろを宥める。


 「おっ。おおぉ…」

 「お?」


 そして、ボロボロになった顔で、みしろはついに言葉を発した。


 「大人になりたくないっ!!」


 波が岩に強く打ち付ける音と、みしろの鼻水を啜る音が曇天に響いた。

 泣きたいのは、私の方なんだよなぁ。

 喉元まで出てきた言葉をぐっと飲み込み、この一連の謎をなんとか解明しようと、状況の整理をすることにした。


 「えっと…。泣いてるところ悪いんだけど、まずは、学校をサボってまで岬まで来た理由を、改めて教えてほしいんだけど」


 みしろは、ポケットから取り出したティッシュで鼻を擤みながら、私の質問に答えた。


 「みしろと海が見たかったから。あと、みしろと飛び降りようと思ってたから」


 物騒な理由が追加されてる。


 「なんで、私と飛び降りようと思ったの?」


 みしろは、二個目のティッシュを取り出した。


 「大人になりたくなかったから」


 極端すぎる。考えが極端すぎる。そして、私が巻き込まれる意味がわからない。


 「えっと…。じゃあ、なんで泣いてるの?」


 涙と鼻水を吐き終わり、いつもの無表情に戻ったみしろは、当たり前のことを聞くなというような視線をこちらに向けて、こう答えた。


 「死ぬのが怖かったから」



+



 私は、みしろから剥ぎ取ったイヤーマフとマフラーを身につけ、帰路についていた。後ろで寒い寒いと念仏のように文句を言っているみしろの声は聴こえない。イヤーマフをしてるから、しょうがない。

 私は、肝心なことを聞き忘れていたことに気がつき、再び、みしろに質問する。


 「みしろは、なんで、死にたくなるほど大人になりたくないの?」


 みしろは、答える。


 「詩央と遊ぶ時間が減っちゃうから」


 なるほど。

 下らない理由だと思ってたけど、もっと下らない理由だった。

 私は、みしろの横に並び、マフラーの余っている部分をみしろの首に巻いた。


 「一緒に大人になろう。それで、一緒に遊ぼう。時間は減っちゃうかもしれないけど、ずっと一緒にいれば、死ぬ必要はないでしょ?」


 私は、みしろに笑いかける。

 どうやら、みしろは、私の提案に納得したのか、満足げに鼻を鳴らした。そして、みしろは言う。


 「聴こえてるなら、イヤーマフ返して」


 私は、笑顔で答える。


 「いやだ」



end

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