02
午前四時。体温37度1分。
「よし」
適性体温。平熱。
もともと、基礎体温が高い方だった。37度5分までは平熱。37度6分を越えて、ようやく微熱ぐらい。
「さて」
書類を先に片付けるか。
机の上に、ばらばらと書類を並べて、簡単そうなものから書いていく。
これは、違法薬物の取引関連。
大学に入って、いきなり大当たりだった。未成年に酒を呑ませる時点で間違いだったけど、まさか薬物までやっているとは。誘われるまま家までついていって、薬物の現場を押さえた上で全員ぼこぼこにして警察に引き渡した。
次は、汚職。国から大学に支給される給付金の一部を、学生支援団体と教授連中が着服していた。中身が空っぽの経営報告書。
「よし」
そこそこ書き上がった。
電話する。上司のところ。
「あ、どうも」
『なんだおい。午前四時だぞ』
「書類できました」
『おお。そうか。その程度の連絡を午前四時にしてくるなよ』
官邸直属の、覆面捜査官をしていた。高校のときは単純に捜査の手伝いや検挙時の囮。その功績が認められて、黒い噂の耐えない大学の調査を命じられている。
「次は、何すればいいですか」
暇だと、心が引きちぎられそうだった。
好きな人がいる。高校のときにあまりに自分に惚れてくるものだから、つい、付き合うのを了承してしまった。軽率だったと、思っている。
捜査予定の大学はランクが高かったので、彼には無理だと思った。よくある、高校で付き合っていたけど大学入学に伴い疎遠になって別れるパターン。よくあるやつ。
でも、彼は違った。必死に勉強して、わたしと同じ大学に入学できた。嬉しかったけど、切なくもあった。この大学に入っても、特に良いことはない。黒い噂が絶えない大学だし。自分が今から、その大学を浄化するわけだし。
結局、新歓初日にいきなり薬物の現場押さえからスタートして以降、まったく彼とは会っていなかった。授業にも出ていない。自分は、すでに特例で遠隔地授業認定と論文の提出、博士課程までの取得が終わっていた。官邸直属になるだけの知力と体力、精神構造は兼ね備えている。
それでも。
彼には、会いたかった。
正直、好きな人ができるとは思わなかったし、自分はそういう恋愛事にまったく触れずに一生を追えるものだと、勝手に思っていたから。彼に会って、変わってしまったわたしがいる。
大学に入って、彼が、どれだけすごい人だったのか、思い知った。右も左も、人間の善意と悪意を間違って配分してきたような学生ばかり。純朴で真っ直ぐな人間なんて、存在しないんじゃないかと思えるぐらい。
でも、彼は。彼がわたしに向ける好意と、彼の気持ちは。まっすぐだった。それが、とても嬉しくて。
『おい。どうした。聞こえてますか?』
「あっすいません。どこまで話しましたっけ」
『なにも話してないぞお前は。疲れているんじゃないのか?』
「いえ。疲れてはいません」
『そうか。まあ、年長者から、ひとつだけ忠告しておく』
電話先の上司。女性の高級官僚。官僚と政治家を、芸能人と同じように、ショーの対象として国民に監視させる報道の仕組みを考え出した、化け物。
『学生時代の恋愛は重要だ。失恋も純愛も、今後の人生を大きく左右する』
「はあ」
この上司は、夫と子供が3人、だっけか。家に帰れば普通のお母さんをやっている、化け物。
『わかってないな。人は、
その一言で。すこし、心がざわついた。
「彼は、そんなことにはなりません」
『それをたしかめるんだよ。どうせ忙しさを理由にして、連絡もしてないんだろ』
「う」
図星。
『人を好きだと思える、好きでいられる体験は、貴重だ。逃すなよ』
「でも」
今さら。どうやって、会えば。
『お前のそういう、年齢相応なところが私は好きだね。たまには当たって砕けろ』
「わたし」
『はい。アドバイス終わり。書類は郵送で官邸まで。じゃあね。眠いよ私は。午前四時だよ?』
電話が切れた。
「はあ」
書類を書くときは、あれだけ充実していた気力が。
一気に、なくなっていくのを感じる。
彼に。
何て言えばいいのかな。
いや。
もう、会うべきでは、ないのかもしれない。
いま会いに行って。もし。女性がいたら。わたし以外の女性と、普通に暮らしていたら。
「くそっ」
家を。
飛び出した。
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