第17話 ある騎士の始まり
前世の記憶はあやふやだ、日本に住んでいたという記憶はあって、一人で暮らしていた事はなんとなく覚えてはいたけれどそこまでで、ただ、寂しかったという感情は心の内にあった。無念か、そういうモヤモヤがあったのだ。
「???」
どうしてこうなったのか、わからず、前世と今世の区切りがわからない、目を閉じていて、ふと開けたらそれがいた。
視界はぼやけていたが女が笑顔でこっち駆け寄ってきたのはわかった、女は黒かった。
「■■■■」
自分の事をそう呼んだ、意識は朦朧としていたけれど、すぐに自覚した。
「ガルアン」
自分の名前はガルアン=マサリー、というらしい。その時は既に4歳くらいだった。
母は村のはずれ、サリルの森の中でひっそりと暮らしていた、どうしてこんな所に住んでいるのか疑問だった。
「なんの薬?風邪は引いていないよ?」
時折自分に変な粉末を飲ませていた、鉄の味がしてしょっぱい味がしてきて、とても不愉快な嫌な味。どこからか持って来ては飲ませてくる、これは一体?
母から香る日の匂いと甘い花の匂い、なんでもずっと研究材料に使っていたから肌にこびりついてしまったらしい。
「さぁ、ガルアンお勉強しましょうか、町の中で暮らすには頭が良くないと苦労するのよ?」
母は勉強熱心な人だった、自分は前世の曖昧な記憶を頼りにして計算の問題を解いていったときの母の喜びの顔を忘れられない。
「すごいわ......ふふ、貴方は彼に似たのかしら」
そう言って撫でる母は真っ黒な長い黒髪に白い肌、そして綺麗に輝く宝石のサファイアのような青い瞳。年齢はわからないが背丈は小柄で大人という感じはしなかった。
5歳になると、母は薬師として活動を再開して、家を空けるようになった、流石に不用心すぎると思ったが、大丈夫とか平気の一点張りで、ただ家から出るなと言われては工房へと向かっていった。
「母さんは好きだけど、親としては駄目だろう......」
そう思いながら本を読む、といっても、家にあったのは子供向けの絵本と勉強の為の本ぐらい、周りにあるのは暖炉に小さな机と椅子が二つ、端に椅子がもう一つ置いてあった。そして壁には男物の大きめの黒く古びたコートと黒いハット帽がかけてある。
夜にそのコートに近づいては物思いにふけっていた母をよく見ていた、これは父の物だろう。
母は父の事をほとんど語らない。『父は死んだ』ただその一言のみをようやく引き出した事が出来ただけで、結局ほとんど知る事は出来なかった。
「......」
自分や母、シラ村の皆の服とは違う、強く握ってみて硬くて丈夫そうで重みを感じて、良い所の出の人だったというのはすぐにわかった。このコートは村の富豪リュントク家の人間か村長でも買うのは難しそうで、都市部の貴族だったのだろうか。
母は日が沈む頃まで帰ってこなかった。
□
シラ村は都市部に近いためか人口は多く活気があった、母と買い物についていっているとどこもかしこもある噂話で持ち切りで
「皇太子殿下が襲われた」
そんなまことしやかな噂で持ち切りで、母もそれをひどく不安がっていた。
なんでも、西部都市ホルクマから北にはカリアと呼ばれる都市があり、カリアはシュチ地方に近く異民族も頻繁に来ており帝国では敬遠されがちだった。しかしながら皇太子は幼少の頃よりカリアの離宮で休養するのが日課になっていたのだという。
しかし、離宮を魔女が襲撃するという大事件が発生した。その時の警備の数は少なくて離宮はあえなく陥落。炎によって離宮は焼かれてそのまま皇太子の焼死体が発見された。
この魔女が主導して行った事は目撃者がいて詳細を把握できていた、しかしなぜ皇太子を狙ったのか、なぜその日に離宮の警備を緩めるよう皇太子は命令していたのか、真相はわからないまま。
「本当なのだろうか――」「だから人の行き来が――」
嘘にしては内容は細かく、現実味も感じた。一体どこでそんな情報を手に入れて来たのか、しかも色々な所でもその噂で持ち切りらしく、誰かが吹聴しているとしか思えなかった。
「......少し多めに買い込んでおいた方がいいかもね?」
母はそう言うと保存のききやすい食物を買い込み始めた。
□
そして同年、シラ村に帝都からの使者がやってきた。村の住民を全員を集めるように指示して村の住民をみんな一か所に集めると、一人の兵士が紙を持ちながら一人の男が大声で荒げながら話す。
「帝国臣民に告ぐ、帝国の守護者にして調停者、神の寵愛受けし皇帝陛下の臣民に告ぐ、カリア離宮において皇太子殿下は魔女の手により殺害された」
皇太子が殺害された、その知らせに村の民はざわざわとし始める。
「あの噂は本当だったのか」「警備は何をして――」
「魔女はどうして離宮を狙った?今までにない行動だぞッ――」
「一体どうして――」「なぜ?」
ガヤガヤ
ザワザワ
兵士はざわつく民衆にも聞こえる声でさらに告げる。
「静粛に、皇帝陛下は魔女の掃討作戦を実行する事を決定なされた。議会は全会一致の賛成、元老院も承認した」
兵士は巻物を広げ、それを広げる。そこには恐らくは皇帝の直筆のサインが書いてある、兵士はそれを声高々に読み上げる。
「掃討作戦は、官民一体で行われ――」
こうして帝国に住む者たちは魔女を探し出なさければならなくなった、報奨金を出すとの事で魔女を暴きだすために強引な手段をとる者も現れる。
「魔女は堕落した者の末路だ、同性愛者、小児性愛者は悪魔と同等だ」
「悪魔を信仰している異教徒を暴こう」
『救国の徒』と自称したその集団は町や村を練り歩いては演説を行い、魔女の告発を推奨していった、彼らに踊らされた人々は怪しい言動を普段から行っている者に対して告発を行うようになっていった。
その『救国の徒』はその後、忽然と消えたらしいが、既に誰からの興味も失せていた。
魔女狩りの加担に『救国の徒』が関係していたのは確実だっただろうが、魔女を見つけた者とその自治体には報奨金が支払われるというのも魔女狩りの拡大に大きくつながったのは間違いなかった。
□
村の端に住んでいたお婆さんは昔は孫と暮らしていたがその孫が帝都に行ってしまい、一人暮らしだった、最近、夕方になると近くの都市部までわざわざ行って3人分の食べ物を買ってくるという。
それは悪魔への崇拝に使っていると判断して、村の人々は査問官を呼び魔女裁判を行った、結果は無罪だったのだが。後に家の中の地下にて怪しげな人形を発見されて、火刑に課された。
ある青年は友人とよく旅行に出かけていた、西へ東へと大変仲の良い二人だったという。しかし、兼ねてより同性愛を疑われており。ついに村で告発される、二人はキスをしていたという。そして、臨時の牢獄で拘束する事になった、しかし、二人は脱出して逃走、村は総出で探し出し、猟銃で二人を殺害した。
妻が不貞を働いていた、あの男は自分の子供と話していた、あの人は怪しい事をしていた。
あれこれと言いがかりつけては裁判となった。それは前々から存在が不快だったもの、邪魔だったものを厄介払いできる良い口実だったのだろう。
最悪はどこかからか誘拐してきた人間を近くのサリルの森で見つけたとでっち上げて告発するというものだ、これは同じ村の人を売る良心の呵責と報奨金とで考えた末での行動だったのだろう。
誘拐して魔女にでっち上げるのは様々な村や町とで行われた常套手段だった。
しかし、2年ほど時が経つと些細な事で裁判を行う事は少なくなっていく。報奨金目当ての魔女告発によって国家財政がひっ迫してきたからだ。しかし、どこもかしこも魔女を告発するし、告発されたからには何もしない訳にはいかない。ただ帝国には頭を悩ませる問題が生まれていた。
長老派の勢力拡大である。
長老派と呼ばれる魔女の黒魔術の有効利用を目指す聖教会の一派が町や村に出没しては啓蒙するという事件が勃発した。既に魔女として疑われていたり、今の帝国に絶望していた人々は希望と救いを求めて長老派に入るようになっていき勢力を拡大していた。
それからは長老派を粛清するためにあちこちで摘発が行われ、事態は泥沼になっていく。
帝都では魔女狩りに加えての長老派狩りが行われ、政敵を長老派として謀殺する事件が続発したり、貴族間でも潰し合いが起きていたり、そうこうしている間に行政が機能不全になってしまった。首相は皇帝と結託して事態の収拾に図る為に怪しき者を悉く粛清するという恐怖政治を行っていった。
□
「......」
5歳の時から続いている魔女狩りとは名ばかりの粛清は7歳になっても続いていて、家の中に籠るようになった、外に出るのが恐ろしく感じていた。自分ははぐれ者で、村のはずれ、サリルの森近くに住んでいる。
「母さん、気を付けてね」
「大丈夫よ」
母は普段は工房から来た客に薬を売るようにしていたのだが、最近は村へ頻繁に出向くようになっていた、怪しまれないように顔を定期的に村に顔を出すようにしているのだろう。茶色いトランクケースを手に持っている。
「リュントク家の人が私の薬を気に入ってくれたの、ふふ、お子さんもいるみたいよ?いつか、一緒に遊んであげてね?」
そう笑顔で言うと撫でてくれた。
「......母さんは怖くないの?」
「ん?」
「......母さんはさ、サリルの森で仕事してるから......その......それに、この家だって村のはずれで......もしかしたら......」
そこまで言って言葉が詰まってしまった、母を侮辱する事にならないか不安になったからだ、そんな思いを汲んでか母は笑顔で答えてくれた。
「......怖くないと言えばウソになるかも......でもね、死ぬのは怖くないのよ?」
「死ぬのは怖くないの?」
「......うん、怖くない......貴方のお父さんと約束したの、お互い死んでもまた会いましょうって......だから、怖くないのよ?」
羨ましい、そういう言葉を語れそんな人と出会えた母が羨ましい、父が羨ましい。
「だけど......俺は怖いよ」
「......ガルアン......」
母は優しく抱擁するとこっちに顔を近づけて来た。
青い宝石のように綺麗な瞳は黒髪と白い肌も相まって魅惑的に見えてしまった。
「へ、母さん?」
「私は貴方を悲しませてしまったのかしら......」
普段から綺麗な人だとは思っていた、それにこの人をやはり本当の母とは認識できてはいなかった、だからだろうか。
「......秘密の
唇に顔を近づけて
チュッ
「――っ!?」
軽く、キスというよりは唇をつけただけ、ただそれだけ。
そういえば、初めてのキスだった、生まれた時の事は思い出せないし前世の事も思い出せない、その
「......皆には内緒よ?」
「っはい......わかった......」
そのまま母は出かけて行った、唇から身体、全身はぽかぽかと暖かくて、思わず唇を触るとまだ熱を感じられる気がした。
「母さん......」
母に対してそういう意識をするようになったのはその時からだ。
その日から母に対して己の内に煮えたぎるモノを感じるようになっていた。
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