第55話名物爺さん

「最近、あの爺さん見ねえな」


 八年前のドラフト一位。高海選手である。


「え?あの爺さんって誰のことですか?」


 二年前のドラフト二位。持田選手である。ファームの試合前。早くから球場入りして練習する二人。


「いや。お前が入団する前にはうるせえ野次ジジイって名物爺さんがいてな。一回野次が酷すぎて海野が怒鳴り返したことがあったかなあ」


 海野とは現在大阪ジャガーズの一軍でショートのレギュラーとして活躍する四年前のドラフト六位の選手である。


「えええ!あの海野さんを怒らせたんですか!?」


「ああ。誰がやっても捕れないような当たりを『スタートがおせえんだ!この下手くそ!』とか『チャンスで打てねえなら草野球でもやってろ!このボンクラがあ!』ってな」


 高海も持田もその会話で手をいったん止める。手にしたバットも地面へ置く。


「他にもまあボロクソ言ってたなあ。エラーで野次るなら分かるけどあの爺さんは不甲斐ない結果だろうと今のは世界中探しても捕れる奴いねえだろってのにもうるさくてな。でも毎日この鳴物山球場に午前中から来てくれてな。年金暮らしで時間もあるんだろうと思ってたし、この爺さんは一軍の試合を観に行かねえのかって話も出てたなあ」


「へえ。面白い爺さんですね」


「ああ。キャンプにも来るんだよ」


「え?キャンプにもですか?」


「ああ。それも一軍の沖縄キャンプじゃなく二軍の高知キャンプにな」


「それって…。二軍マニアなんですかね」


「いるよ。そんな人。でもキャンプまで。しかも毎年皆勤だったからなあ。あれほどの人はいねえよなあ」


「皆勤ですか!?」


「ああ。だからあの爺さんに野次られるのは一種の名物というか、お約束というか、登竜門みたいなもんかなあ。実際、あれだけガツンと言ってくれる人っていないからさあ。プロってバケモンの集まりみたいなもんだし」


「あ、それ分かります。自分もプロ入りした時に親戚が増えたクチですから」


「調子が悪くなったりしてもコーチや監督は結果しか見ねえし。コーチも監督もコロコロ変わるしなあ。お前はまだ今の監督しか知らんだろうけど」


「でもチームの成績不振でコーチは新しくなりましたね。確かに人によって考え方が違うんで『え?前のコーチと言ってることが違う。逆のことを言ってる』と戸惑いましたけど」


「俺らは理屈を並べるより結果がすべてだからな。いくら理屈でしっかりとした理論でやってようと結果が出せないと給料も上がらんし毎年クビの心配もある。誰もプロ野球選手の生活に責任はとらないし自分で責任をとるしかないだろ。だったら結果を出すしかねえよな」


「ですよねえ。自分も高卒だからっていつまでも待ってくれませんし。自分より若い選手や同じポジションの選手も入ってきますからね。でもその爺さんに野次られてみたかったですね」


「そうか?結構ボロクソ言われるぞ」


「でも本人の目の前で言うんですよね。今流行のSNSやネットでイキってる奴より全然かわいいもんでしょう。しかもキャンプにまで皆勤で観に来てくれるのは」


「…そうだなあ。よし。ちょっと喋り過ぎたな。続けようか」


「はい!」


 名物爺さんは三年前まで足繁く鳴物山球場へ通っては野次を飛ばしていた。それがある日を境にぱったりと姿を見せなくなった。最初は「あれ?あの爺さん来てないの?」と大阪ジャガーズの二軍選手は気にしたりもしたが三年という月日が名物爺さんのことをすっかり忘れさせた。高海が名物爺さんのことを思い出したのもこれという理由はない。たまたまであった。

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ひとろぐ 工藤千尋(一八九三~一九六二 仏) @yatiyo

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