第29話『償い』と『傲り』

 海外のホテル。高い場所から地上を見渡せる部屋のベランダに出て、暗闇の中から地上を眺める。

 ホテルの部屋では食事も摂らず、自分へ書かれた誹謗中傷の言葉へすべて目を通すように、どんどん書き込まれる意見へ追い付くように時間の許す限り読んでいった。この人たちの言っていることは正しい。自分は犯罪者である。今回のオファーも辞退して当然である。今後、音楽に携わることも辞める。金も家族が生きていけるだけあればいい。自分は乞食でいい。この命を差し出せば許してくれるなら…。そこまで彼は考えていた。彼の性格を他の人よりは知るマネージャーの大沢がそんな彼をおもんぱかってマメに連絡をくれた。


「あんまり考えすぎないようにしてくださいね」


「あんな『人ログ』の書き込みなんて正義を振りかざしたい勘違いした人間のものが多数です。見ない方がいいですよ」


「山田さんの音楽は国の宝なんです。唯一無二なんです。変わりはいないんです」


 大沢の言葉は自分の狡さを代弁していると彼は感じた。もし自分の家族が、子供たちが同じようにいじめられたら。自分はそれを咎めることは出来るのか?そんな権利があるのか?自分や自分の身内はよくて、他人ならいいのか?自分は卑怯者だ。二十年以上も前の過ちが彼をどこまでも責める。悩ませ、苦しませる。


「『目には目を。歯には歯を』の言葉がある」


 彼は考え込んだ末、ひとつの決断をくだした。


「ちょっと待ってください!考え直してくださいよ!」


 大沢の言葉に即答する。


「すまない。でもこれは自分で決めたことなんだ。今回のオファーは辞退する。そのうえで今後の音楽活動も行わない。我儘なことであるのも承知の上で決めたことなんだ。分かってくれないか」


「いやいやいやいや!ダメですよ!山田さんは自分が破滅することで許されると思ってるんですか?」


「許されるとは思っていない。ただ、最低限の『けじめ』だと思っている。被害者である自分がいじめた相手は今何をしているのかも僕は知らない。生きているかさえも分からない。それを考えると自己満足なのかもしれない」


「その通りですよ!単なる自己満足にしかすぎませんよ!」


「それでもいいんだ。僕は今後の人生をかけて自分の過ちを償いたい。まずはすべてを失うことが第一歩じゃないか?」


「奥さんやお子さんはどうするんですか?」


「それは…」


「すべてを失うってそう言うことじゃないんですか?」


「望むならそれも放棄するよ」


「望むって誰がですか!?」


「誰って…、この国の人たちだよ」


「な!この国の人たちって誰ですか!?大多数は無責任な炎上に乗っかった声ですよ!」


「でも僕に寄せられた声のほぼ全部に目を通したよ。それらを読みながら彼らの声は間違っちゃいないと思ったし、僕が犯した罪は取り返しのつかないものだとも改めて思わされた」


「山田さんは音楽家ですよ!それなら音楽で償えばいいじゃないですか!」


「音楽で償うだって?それこそ『傲り』でしかないよ。形のないものでどうやって償えるんだい?」


「それは…」


「それより大沢君。マネージャーとして、そして『古い友人』として頼みがあるんだ」


 それからすぐに彼はSNSにて世界的イベントのオファーを辞退すると発表した。それでも彼への攻撃は加速する。


「当然だよ。逆になんですぐに決められなかった?悪知恵働かせて言い訳してでも受けるつもりだったんだろ?ざまあ。そのまま無職ニート直行決定。☆1」


「こんなことで被害者が許すとでも思ってるのか?お前が存在していること自体が『悪』なんだよ。世に対して『意見』述べてんじゃねえよ。てめえに発言権はねえんだよ。☆1」


「氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね。ばーか。☆1」


 彼はそれでもその批判すべてに目を通した。そして次第にこう考えるようになった。


「もっと自分を責めてくれ。自分はもっともっと苦しむべき。自分が過去に犯した過ちはこんなもんじゃ許されない。もっともっと罵詈雑言を浴びせてくれ」と。


 中には「当事者同士の問題なんだし、外野が口出しし過ぎではないのか?」との意見もあった。「自分が石を投げたことのないものだけが石を投げなさい」という意見も書き込まれた。そんな少数の声も「関係者、自演乙」の声でかき消された。ありがたいと彼は思った。もっともっと。自分は苦しむべきだ。自分がいじめた相手がうけた苦痛はこんなもんじゃない。彼は食事も摂らず、どんどん瘦せ細り、顔からも色が失われた。

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