生意気系後輩はぱくぱくらしい。

 スプーンで掬った真っ白なスープを、ふうふう、と吐息で冷ます。


 ほのかに立ち上る湯気を揺らしてから、私はスプーンをゆっくりと口元へ持ってきて――ぱくっ。

 更にそのまま、スープとは別のお椀によそわれたお米も、一口頂いて。


 もぐもぐ。……んっ。


「……ま」


 味と匂いの余韻までたっぷり堪能したのち、私は耐え切れず、こう口にしてしまうのだった。


 ダイニングテーブルを挟んだ先。

 目の前で腕を組み、黙って目を瞑ったままの先パイと――その先パイが作ったホワイトシチュー、、、、、、、、に、深々と頭を下げながら。


「参りました、先パイ……ッ!!」


「――お粗末」


 先パイはドヤ顔で頭に巻いたバンダナを解いてみせた。何かのアニメキャラの真似なのだろうか。

 ちょっとウザい。

 でもちょっと可愛い。


「それにしても、ふぃっくりしましたよ、先パイふぇんふぁい


 ついもう一口食べながら、私はちょっぴり上目遣いで、先パイを見つめる。

 文字通り「ホーム」だからか、少しだけリラックスしている雰囲気の彼へ、


「突然おうちに誘ってきたと思ったら、まさかこんなものを用意されていたなんて」

「言っただろ? ひと前、『ホワイトデーに、とびっきりのお返しを用意する』って」

「それで、ホワイトデーの今日にホワイトシチューってのがまた……上手くひねってるというか、一周回って安直というか」


 まあ、すごい高級なお菓子を用意されたり、分不相応なデートスポットに連れていかれたりしたらどうしよう、とも思っていたから、かえって安心はしたけれど。


「何なら、『ホワイトデーは、お腹空かせて家に来いよ……』って怪しい顔で誘われた時が一番不安でしたけども」

「そ、それは悪かった。あの時はこう、準備に熱が入り過ぎて正気じゃなかったんだ」

「だいぶ目がギラついてましたからねぇ。てっきり、誰もいない二人っきりの家に連れ込まれてヘッヘッヘホワイトデーのお返しはオレのホワイトだぜ、的なCERO Zも覚悟していたんですけど」

「その覚悟は要らなくない? あと、現在進行形で二人っきりじゃないからね!?」


 あ、そうでした。

 私は先パイから視線を外し、先パイの背中、更にその向こう――通路の柱そばに隠れている人を見る。

 私より更に一回り小柄な背丈。先パイに少し似た垂れ目がちな目元。



 それは、緊張した様子でこちらを覗き見ている、先パイのお母さまだった。



「お、お騒がせしてスミマセン。先ぱ、御門みかど先パイの後輩の、住良木すめらぎ恋花こはなです」

「い…………いえ。ごゆ、ごゆっくり。…………あの、母です」

「母さんも苗字は同じ御門だけどな」

「うわ出たベタなヤツ。じゃなくて、ええと、その、よろしくお願いします」


 一応、その場で立ち上がってぺこりと一礼。するとお母さまも、柱の陰からぺこり……というよりは、ぴょこぴょこ、といった感じで細かく会釈を返してくれた。

 えーっと。


「警戒されてます? 私」

「母さん、かなり人見知りなんだよ。恋花の話は普段からしてるし、あれで歓迎はしてくれているはずだ」

「はあ。なら、良いんですけれど」


 いかに私といえども、流石に先パイ……もとい、お付き合いしている人のお母さまと接するのはかなり緊張する。マイナス評価になっていないだけ、良かったと思うべきだろう。


 いや、それにしてはコソコソされ過ぎな気もしますけど。

 あの人見知りが先パイにはあまり影響されていないみたいで良かった。あわや物語が始まらずに終わるところでした。


「……ん? ってかいま先輩、私の話普段からしてるって言いました!?」

「あっ」

「あれあれせんぱぁい、本心ではそんなに私のこと自慢したがってくれてるんですねぇ? もう、さすがの私でも照れちゃいますよぅ」

「えーっと、その、な? 母さん」

「う…………うん」


 急に話を返されたお母さまは、びくっ、と身体を震わせる。

 けれどもやがて、おずおずと、


「よく、き、聞いてる。…………『俺のこと好き好きオーラ全開の後輩がいる』、って」


「お母さま後日またきちんと御挨拶します先パイは後日改めてガチ話し合いです」


 とんでもねぇ紹介をされていた。


 警戒されてたんじゃなくて『ウチの息子にメロメロなヤツが目の前におる』的な感覚だったとは。

 完全に珍獣扱いじゃないですか、私。


 ……初めて家に上がり込んだ日にホワイトシチューを貪る珍獣、何?


 この時私がどんな顔をしていたかは分からない。

 けれど先パイは先パイで、にわかにしどろもどろとし始める。

 それはともかく! なんて、わざとらしく私の目の前を指差しながら、


「い、いま一番大事なのはシチュー! 冷めないうちにちゃんと食べてくれ!」

「んむむ。分かりました。実際、美味しいのは確かですし、これ冷ましちゃうのは勿体無いですから」


 私は再び席につき、シチューとライスを交互に、もぐもぐと食べ進めていく。

 とろみの加減に、入っている野菜の大きさ。味だけじゃない細かなところまで、完成度が高い。だからこそ、高級レストランのようなクオリティというよりは、「ご家庭のご飯」のような安心感さえ覚える料理だった。

 自然と、箸も進む。もとい、スプーンも進む。


 やがて、プレートに残っていたシチューをかき集めて掬い、舌に載せる。

 そのままお米も最後のひと塊を口にして――「ごちそうさまでした」。

 本当に文字通り、ぱくぱくと、あっという間に食べ終えてしまったのだった。


 さて。


「ここまでやって頂いたら、私も、それに応えないとダメですよね」


 私は改めて、先パイに向き直る。

 先パイは「ん?」なんて、かまととぶったフリをして――けれど瞳の奥の期待は隠しきれないままでいて。


 ……ほんと、仕方ないですねぇ。


 だから私は、ちゃんと言葉にして、言ってあげるのだった。



「先月の、その、ハート型クッキー。月イチくらいで、また作ってきてあげますよ」



 そう。先パイがここまでのクオリティの料理を、私に食べさせてくれた理由。

 一つはもちろん、「ホワイトデーのお返し」でもあるけれど。

 もう一つは――そして先パイの真の狙いは、


『バレンタインデーに私が作ってくれたハート型クッキーを、また食べたい』


 というものだった。

 ただのクッキーであればまた作ってあげるけれど、ハート型は特別なとき限定。そう思っていたものの、ここまでやる気を出されてしまっては、応えないわけにはいかないだろう。


 果たして先パイは、私が提案した瞬間、ぱあっ、と見たことも無いくらい明るい笑顔を一瞬作って、


「よッッッッッッ――――しありがとう。頑張って作った甲斐があったよ」

「いま平静を装う必要ありました? 何なら飛び上がって喜んでもらった方が、私的にも嬉しいんですけど」


 何故かすぐに、おすまし顔を装ってしまうのだった。

 まあ、私のクッキーを喜んでくれているのは確かだし、私も今日はもう良い思いをさせてもらったから、充分満足なのだけれど。


「それじゃあ、次は年度明け、4月の頭くらいにでも作っていきましょうか」


 材料は初めにストックさえしちゃえば、月イチ制作だと半年以上はつはず。

 頭の中で計算をしながら、私は食べ終えた食器を持って立ちあがる。

 このあとどうします? なんて先パイに訊いてみると、それより早く、お母さんが近寄ってきた。


「あ、あとは預かる、ね」「いえいえ、お手伝いさせてください」「気にしないで」「じゃあ…………あ、でも」


 強引ではなく、それでいて母親らしい振舞いをしっかりされたお母さまが、そこでふと相好を崩す。

 続く言葉は、「よかった」で。


「あの子、先月くらいから、ず、ずっと頑張ってたから」

「はい?」



「ど…………どうしても、美味しいものをた、食べさせたい子がいる、って。

 お母さ…………わたしに、レシピ教えて、って、頼みこんできた…………から」



 お母さまは不意に、衝撃の裏エピソードを、明かしてしまうのだった。


 ――なんですか、それ。


 この先パイ、超健気じゃないですか。

 この先パイ、超可愛いじゃないですか……!!


 お母さまから視線を外し、ちらりと先パイの方を見る。

 果たしてそこには――見るまでも無かったけれど――ほっぺを真っ赤っかにした先パイが、完全に口を噤んで俯いていて。

 そんな姿を見ちゃったからには、私もだんだん、むずむず、もじもじ、背筋がむずがゆくなってくる。

 健気。可愛い。愛おしい。そんな感情が、どんどん溢れだしてきて、


「せ、先パイ。その……来月は2回。作ってきます、クッキー」

「あ、ああ。う、嬉しいよ」

「い、いえ。その……どうも」


 たじたじな先パイと、きっと同じくらい顔が火照っているであろう私。

 最後に私たちは、キッチンで洗い物を始めた刺客に向かって――思わず小声で、こう呟くのだった。

 今日は先パイの健気さにも、シチューの味にもやられたけど。一番はやっぱり、



『参りました、お母さまかあさん



 なんて。

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