生意気系後輩はうとうとらしい。
微睡みは、大好きな人の声で晴れた。
「――い。おーい。生きてるかあ――」
「…………ぁう」
まだ呂律の回りきらない声で返して、落ちかけていた頭をのそりと起こす。
「あぃ……すみません、死んでました……」
やばいやばい。
顔を上げた正面。先パイが、どこか温かい眼差しで私を見つめていた。
そして、そんな先パイと私の間には――食べかけのパフェが、二つ。
バナナとチョコチップがトッピングされた先パイの分と、みかんやキウイ、さくらんぼといったフルーツ盛りだくさんの私の分。
ああ、そうだった。
「私、先パイとのパフェデートの最中に、寝落ちしてたんですか……!?」
「自分でやっててビックリするのか。そうだよ、ご明察」
「あぅ、すみません……。……寝顔もちゃんと可愛かったですよね?」
「寝てても、もとい、転んでもただでは起きないのかよ」
別に変な顔はしてなかったぞ、と、返ってきたのは苦笑だったけれど。
それでも、その答えでほっとした私は、ようやく意識と視界が開けてくるような感覚を得た。手元にあったお水をちびちびと飲んで、しゃっきり。完全に目を醒ます。
今日は、2月12日。
いま私と先パイがいるのは、駅の近くにある老舗の喫茶店。
コーヒーやパンもあるけれど、私たち学生的には、メニューの豊富さとコスパの高さが有名な「パフェ」が評判のお店だった。
ウワサでは1970年代からあるらしく、レトロな内装と落ち着いたジャズのBGMも人気のひとつなのだとか。どうも最近、若い子の間ではレトロブームが流行っているという。
私自身は特に、懐古趣味みたいなものは持ち合わせていない。けれど今週初め、先パイから、
『週末、建国記念の日で三連休になるし、一日くらいどっか遊びに行かないか?』
なんてお誘いをもらえたから、じゃあ、とここに来ることを決めたのだ。
確かに雰囲気も良いし、頼んだパフェも超美味しい。何より先パイと一緒に来れて嬉しい。
こういうとこに二人で来るなんて、なんかもう気心の知れた熟年夫婦って感じ。
だというのに。
まさかまさか、途中で居眠りをしてしまうなんて。
……でも、正直、理由は分かっている。寝落ちの原因、それは、
「にしても、らしくないな。昨日夜更かしでもしたのか?」
「そ、そうですね。いつもよりちょっとだけ、寝るのが遅かったかなー、なんて」
「まだテスト前でも無いし、なんかハマってるゲームでもあったっけ」
「あー……ええ、そんなとこです。ストーリー進めてたら、辞め時分かんなくなっちゃって!」
うぅ、ごめんなさい、先パイ。私いま、アナタにウソをついちゃってます。
ホントは、明後日のバレンタインの準備で、夜更かししてたんです……!!
――これまでの私は、「バレンタイン」に思い入れのある人間では無かった。
駄菓子みたいなチョコを「友チョコ」で贈り贈られる、程度をやったことがあるくらいで、特定の男子に渡すとか、まして手作りを用意するなんてことは、ただの一度も経験が無い。
中学時代には、先パイのことを知ってはいたけれど――自分から何か行動を起こす勇気なんて、当時は全然、出せなかったから。
そもそも2.14を抜きにしても、お菓子作り自体、ロクにやってきたことがない。小さい頃、たまーに、お母さんのクッキー作りやポップコーン作りをお手伝いした記憶があるくらいのものだ。
だからこそ、胸を張って(?)先パイにバレンタインチョコを渡せることになった今年は、入念に準備したうえで手製のものを贈ろう! と決意したのだけれど。
まさかまさか。
チョコチップクッキーひとつ完成させるのが、あんなにムツカシイなんて。
ゆうべは、まず試作品をさらっと作って終わらせるつもりだった。晩御飯を食べ終えてから台所を借りて、ネットのレシピを見ながら鼻歌混じりで作り始めて。
二回、失敗した。
それでも意地になった三回目、ようやく「そこそこ」のものを作れたのだけれど、終わった頃には、二時を少し回っていて。
そこからシャワーを浴びて寝て、今日も八時には起きていたから――うん。
いまの私は、誰が何と言おうと、寝不足状態。
これこそが私の、寝落ちの真相なのだった……。
と。
幸い、私のウソに対して、先パイは「ふぅん」とあっさり受け容れてくれたようだった。
「まあこの時期って、ちょっと遅く寝ただけで日中めちゃくちゃ眠くなるよなぁ。こういう暖房が効いてるところだと、特に」
「で、ですですっ。あったかいところ、静かなところは特にキケンですよね」
「家でこたつ入って勉強しようものなら、いつの間にか意識飛んでるし」
「わかりますわかります。図書室とかも、ちょっと危ないですよね」
「そうそう。あと、風呂で湯船に浸かってる時とかもな」
「え……それは違う意味でキケンですよ。私お風呂で寝たことは無いです」
「あれれ? 同意のラリーが続くはずだったのに、急にカットされたぞ?」
いやいや、ガチでお風呂で寝るのは危ないんですよ。
ヒートショックとか知らないんですかね?
どうも納得のいっていなさそうな様子の先パイだったけれど、私は内心でホッとする。上手く話題を逸らせたみたいですね、と。
別に、先パイとはもう、バレンタインのことを当日まで黙っておくような仲ではない。何なら、さっき夜更かしを疑われた時に、
『実は昨日、先パイにあげるバレンタインのチョコを作ってたんですっ。もう、だーい好きな先パイのために夜なべして頑張る後輩ちゃん、なんて健気で可愛いんでしょうっ!』
くらいなら、言っても良いとすら思っている。
そうしたら先パイもきっと、ウブで可愛い反応を見せてくれるだろう。
けれども、咄嗟にそれが出てこなかったのは。
きっと、まだ私に自信が無いから。
二回も失敗して。
三度目と四度目のクッキーだって、他人にあげられたものでは無くて。
それで、「準備してる」なんて先に言っちゃったら――プレッシャーとハードルがぐんぐん上がっちゃう。その分、失敗も許されなくなっちゃう。
……先輩に、失望されたくない。
心のどこかに居座り続ける弱い私が、そんな「逃げ」の一手に出てしまったのだった。
でも、これで一旦は安心。いまはパフェとデートに集中して、今晩からまた、本番に向けた練習を再開しよう。
「――うん。やっぱりここのパフェ、美味しいですね」
睡魔も不安も完全に吹き飛ばせた私は、自分のパフェを再び食べ始める。時間が経ってアイス部分はちょっぴり「とろっ」となっちゃったけれど、それでも充分、美味しい。
先パイは次が最後の一口だったらしく、スプーンを口から離したのち「うん、美味かった」と相槌を打ってくれた。
それから紙ナプキンで口を軽く拭くと、彼は「ああ、でも」とふと思い出したように、
「準備してくれてるバレンタインのチョコも、きっと美味いんだろうなぁ」
「……………………え?」
「だから、明後日のバレンタイン。何か、用意してくれてるんじゃないのか?」
だって、と先パイは何でもないことのように続ける。
特段カマをかけている様子でも、私みたいにからかってくる様子でも無く、
「今日会った時、いつもと違って、チョコの匂いがしたから」
「えっ」
嘘でしょ。
先パイ、今日もカンが良過ぎでは……?
「わ、私、そんなにチョコ臭かったですか!? っていうか女の子のニオイを嗅ぐなんて、先輩ヘンタイさん過ぎですよ!!」
「いやいやいやいや! いっつも嗅いでるわけじゃないって!! ただ、今日ははっきり分かるくらい甘い匂いがしたから、俺もちょっと期待しちゃったっていうか……」
それに、と先パイはやや焦りながらも続けて、
「大方、昨日もゲームじゃなくて、お菓子作りで夜更かししてたんだろ? それで今朝も早起きしてリトライして、結果寝不足、みたいな」
「わーっわーっ! 全部言った、全部言いやがりましたよこの先パイ!!」
バレてた。
私が昨日夜更かししてた、その真相も。
それどころか、午前中に四回目の練習をしてたことさえも、先パイには初めからバレてたなんて……!
拝啓、心の中の弱い私へ。
アナタの「逃げ」、全部ムダだったっぽいです。かしこ。
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだった。
けれどこんなステキな喫茶店で勝手に穴なんて掘るわけにはいかないから、私はその衝動をパフェに全部ぶつける。
三分の一くらい残っていたフルーツパフェを、ぱくぱくと、一気に平らげて。
「あーもう。分かりました。分かりましたよもう! いつまでも日和ってちゃダメってことですよね!」
もはや羞恥心の振り切れた私は、正面に座る彼へと、スプーンをビシッ! と突き付けるのだった。
「……覚悟しててくださいね先パイ」
毒を食らわば皿まで――パフェを食らわば、バレンタインまで。
「明後日、絶対に『このパフェよりも美味い』って言われてあげちゃうんですから……!」
これでもう、逃げることはできなくなった。
残り二日間、全力で、とびっきり美味しいクッキーを完成させなければ。
目の前に座る大好きな人の、鼻を明かすために。
「ああ。何が来ても、絶対に『美味い』って言えると思うけど」
「~~~~っ!! あ、味の審査だけは公正にお願いします――っ!!」
わかったわかった、なんて、嬉しそうに笑う先輩を見て。
私は改めて、覚悟を決めるのだった。
きっと、明日も明後日も、寝不足になっちゃうんだろうな――と。
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