オリエント急行襲撃事件(後編) 

 銃の男は無表情でフレッドを見下ろした。小さく鼻を鳴らし、踵を返すと、周りの仲間たちに合図した。灰装束たちが撤収していく。いつのまにか電車は止まっていた。人質になっていた男たちがおそるおそる立ち上がり、家族を探して後部車両へ移動していく。フードの灰装束の横を通る時はびくついていたが、フードは何もせず、黙ってたたずんでいるだけだった。

 ハニーは倒れているフレッドをつま先で軽くつついた。

「おい。行ったぞ」

 フレッドはがばっと起き上がった。

「ああ! 緊張した! うう、痛ってえ」

「大丈夫?」フードが言った。

 フレッドを刺した灰装束がフードを取ると、上気したチョコレートミントの顔が現れた。

「『ブルータスよ、おまえもか』作戦、成功!」

 ミントとフレッドはパシッとハイタッチした。

 ハニーは深くため息をついた。なにから怒ればいいやらわからない。「無事でよかった」と顔をゆるませるミントを見ているとその気も失せていく。彼女の怪我の有無を確認してから、とりあえず、「なぜやろうと思った?」と訊いた。

「フレッドを探してたみたいだし、目的が達成されれば帰ってくれるかなって……あと小道具もそろってたし」

「小道具?」

「ええと、そっちの車両に意識のない襲撃者さんがいたから、まず服を借りたでしょ。あと、刃の折れたナイフが落ちてたから、使えると思って。しゃべらなくてもよかったかもしれないけど、IQが発音を教えてくれたから」

 そういえばチョコレートミントは演劇の勉強をしていたらしい。度胸満点、演技力満点、さぞいい俳優になるだろう。

「血糊はどうしたんだ。えらく本物っぽいが」

「これマジの血です」フレッドがうめいた。「一センチぐらい刺さってます」

「ごめんね! すぐ手当てするね」かばんからタオルを取り出すミントを見ながら、ハニーは先ほどの所感を修正した。こいつはきっと大女優になれる。

 誤解される前に灰色の装束を脱ぐように言い、貸せ、とミントから応急手当を引き継ぐ。やはり刺し傷は浅い。

「どっちが言い出した作戦?」

「彼女だよ。初期案は刺したふりだったけど、それじゃ騙せないってふたりともわかってたから、おれが刺せって言ったんだ」

「へえ」ほんのちょっとだけこいつを見直した。

「ミーナがあんなに躊躇なく来るとは思わなかったけど。あ痛た」

 心の中で同情票も入れてやった。

「まあでも、うまくいってよかったっス」

「いや、あいつは気づいてたと思う」

「え?」

「たぶん、向こうだっておまえごときを殺すのは面倒くさかったんだろうな。命令だからやらなきゃいけなかっただけで。かたち上おまえが死んでくれたから、これ幸いと引き上げたんだろう。見逃してもらったんだ」おまえの謝罪を聞いたからかもしれない、とは言わなかった。「うまいこと収めてくれるだろうから、おまえは死んだふりを続けるんだな」

「え、それは、具体的には」

「インターネットをやめろ」

「あ、えと、それは」

「やめろ」

「はい」

「やってるのを見たら殺すからな」

 フレッドがにやりとした。「そしたらあんたが殺し屋やってるとこ見られるね」

「少しは懲りろ」

 手当の終わった背中をはたき、悶絶しているフレッドを尻目に立ち上がる。ファッジに連絡を入れておくか、と思い至った。

「終わった」

「おー、おつかれ。殺し屋番付に反映させとくよ。相手、名乗った?」

「いや。特徴でわかるか?」IQが撮っていた動画の、銃の男の顔がよくわかる一場面を選んで送る。

「……こいつ、違うんじゃないかな」

「え?」

「おれが見覚えないってのもあるけど。こいつはただの構成員じゃないか? 少なくとも、“火”の専属殺し屋は複数人だ。常に二人から四人で動いてる」

「……今回は殺し屋を使わず、“火”のメンバーだけで来た?」

「だといいけどな。警戒を解くなよ」

 ミントの居場所を確かめた。車両後方で手荷物を確認している。そこに駅員の制服の女がすっと近づいた。女性の車掌だった。

「お客様、上着にジュースの染みが」と車掌はチョコレートミントに声をかけた。「お預かりしましょう。クリーニングにかけます」

「ほんと? ありがとう」ミントは素直にくるっと背中を向けた。車掌は上着の肩に手をかけたかと思うと、すばやく腕をまわしてミントを羽交い締めにした。

 リハーサルでもやっていたかのように、すべてがスムーズに進行した。ミントの悲鳴すらワンテンポ遅れた。そのため車掌がミントを抱えたまま文字通り天へと昇っていく光景はほぼ無音だった。よく聞いていれば、巻き上げられるワイヤーの音と、列車の天井の一部が外に向かって開く音が聞こえたはずだ。

 フレッドがかすれた叫び声をあげる中、ハニーは天井に空いた窓の下へ駆け寄ると、垂直飛びで列車の屋根に上がった。

 前方車両の屋根には、まずミント、となりに女車掌、そして見覚えのない赤髪の男が立っていた。そいつが声を上げる。

「おまえが殺し屋ハニーマスタード? コンビだって聞いてたけど今日はひとりかい?」

「そいつを放せ、さもないと殺す」

「ひええ、あんたは外国で殺しもいとわないタイプか?」男が冷やかしてくる。「いっさい治安自由化してないドイツでおれらを殺して、ちゃんと正当な理由付けできるってんなら、ぜひともやってもらいたいもんだ。ここでは殺人は終身刑だっけ?」

「あまり挑発しないで」女車掌が相方をたしなめる。

「おまえらだって一緒じゃねえか」ハニーは言い返した。

「だから今殺してないだろ? 簡単な話だ。この女には一緒に帰国してもらう。NYCC市内で死んでくれればいいだけだ」

「冗談じゃないんだけど!」とチョコレートミント。

「狙いはフレッド・ハントだろ。その娘は関係ない」

 赤髪が片方の眉を上げる。「とぼけんなや。ネットで調子こいてるガキより、こっちの女のほうがよっぽど価値があるって知ってるんだぜ。なんつったっけ?」

 女車掌がすらすらと答えた。「メルバ宇宙生物研究所」

「そうそう、それそれ。そこの最重要幹部の命がいくらになるか、知らないわけじゃないだろ?」

「最重要幹部」ミントが機嫌を直したような顔になる。

「そういうわけです」女車掌が話を締めくくった。「我々は殺し屋レッド・ホット。ではご縁があればまた、NYCCでお会いしましょう」

「もう会わねえよ」ハニーは短針銃を抜いた。

 向かってくる赤髪の向こうで、女車掌がポケットから何かを出してミントの首に押し当てるのが見えた。

 列車が一度大きく揺れ、動き始めた。



 接近してすぐわかったが、赤髪はちゃんとしたプロテクターを着込んでいた。“火”の活動中に手に入れたと思しき軍用防弾衣が弾針を受け止める。ならば頭、と狙いを修正すれば、ポリカーボネートの中型盾が針を弾いた。相手がその盾を振りかぶる。首狙いの攻撃を腕でいなす。左前腕にがつんと痛みが走る。

 透明な盾の向こうで、赤髪が凶悪な笑みを浮かべる。「殺しはできねえとしても、事故死なら話は別だよな!」

「お互いな」

 足払いをかけてきた赤髪の腕をひっつかむ。ふたりそろって列車の屋根に叩きつけられた。腕を極めようとしたがうまくかからない。線路のつなぎ目に来るたびにガタンと揺れる車両と、徐々に上がるスピードが、行動を困難にしていた。足を相手の首に引っかけて引き寄せる。三角締めを狙った。相手は抜け方を知っていた。空いた腕で胸を衝かれると離さざるを得ない。体を起こそうとした赤髪が舌打ちしてまたしゃがんだ。電車の架線設備の梁が彼の頭上を通り過ぎていく。

「ランデブーポイントまであと一分ですよ」女車掌が赤髪に呼びかける。大きなリュック様の荷物を背負い、身をよじるミントを抑えていた。

 頭の横にてのひらを着き、思いきり押して勢いをつける。両足をそろえた蹴りがヒットして、赤髪は進行方向へ倒れこんだ。踏み越えてミントの方へ行こうとするハニーを赤髪が再び引き倒す。

 相手を電車から落とそうとしているハニーと赤髪は膠着状態に陥った。手足の位置関係で互いの攻撃が有効打に欠ける体勢で、このままではまずいとハニーは思った。ファッジの情報では“火”のお抱え殺し屋は二人から四人、どう考えてもあと一人か二人はいる。「ランデブーポイント」に着いたところで追加メンバーにミントを連れ去られるか自分が攻撃されるか、もしくは両方が課せられる。赤髪はこのまま自分をとどめておくだけで役目を果たせるのだ。左手で赤髪のボディを殴ってみたが、勢いが出ない。さっきから踵を打ち付けているのだが、床(屋根)に当たるだけだ。それどころか、気を抜くと車両と車両のあいだから落ちてしまいそうになる。「フレッド!」ハニーは怒鳴った。「列車を止めろ!」

 フレッドが返事をしたかもしれないが、走る列車の音でよく聞こえなかった。線路の脇に生えた木々が猛スピードで後ろへ飛び去る。頭をもたげるだけで風圧がすごい力で顔をぶつ。

「いいか、列車を、止めろ! やれ! フレッド! いいな!」

 次の瞬間、甲高い音が耳をつんざいた。金属の長い悲鳴が、線路と車輪のあいだから響き渡り、列車の速度が徐々に落ちていく。



 屋根の下ではフレッドが非常停止ボタンを押していた。「これでいいんだよな!」



「ホッちゃん!」赤髪が女車掌に向かって叫んだ。「もう行け!」

 女車掌は躊躇せず、ミントを抱えて列車の屋根から飛び降りた。背負ったパラグライダーの翼が開き、ゆるやかに土手を下っていく。なんとか首を上げてその先へ視線を飛ばすと、野原のただ中に小さな車が一台待ち構えているのに気がついた。さらにその向こうには、フェンスに囲まれたエリアがあり、そこから長い道路が伸びている。あれは、滑走路だ。

「行かせるかよ!」

「そりゃこっちのセリフだ」

 いきなり顔がバチンと叩かれた。攻撃が何だか認識できずにいるうちに、連続で入れられる。ポリカーボネート盾で殴られたのだ。こめかみにいいのをもらって、頭がくらくらする。相手の服をつかもうとした手が空を切る。まずい。赤髪が離れていく気配がする。



 殺し屋レッド・ホットは同じ村出身の幼馴染で構成されている集団だ。彼らの出身地は田舎の貧しい集落で、全員の関係性の説明は親戚もしくは親戚の知り合いで片がつく。今日出動しているのはそのうちの四人だった。

 女車掌は草原に着地するとハーネスを手早く脱ぎ捨て、走ってきた車のドアを開けて中にチョコレートミントを押し込んだ。初めてのパラグライダー体験に心を奪われていたミントは我に返った。

「痛っ」

 車の運転手がぎょっとして振り返った。「なんでこいつ寝てないの?」

「想定外です」女車掌が言い訳する。

 ミントは目をしばたいた。「あ、さっき打ったのって睡眠薬? ごめん、効かないの」

「バケモンかよ」運転手は舌打ちして前に向き直った。「さっさと殺して樽にでも詰めときゃいいんだ」

 息を荒げた赤髪が後部座席に飛び込んできた。「出せ!」

「あいつは?」

「追ってくる! 早く出せ!」

 エンジンを吹かし、車は大きく跳ねながら動き出した。

「行け行け行け!」赤髪が運転席のシートをバンバン叩く。「早く野郎を引き離せ!」

 ミントがリアウィンドウから後ろを見ると、ちょうどハニーが止まりかけている列車から飛び降りてきたところだった。

「飛行機は準備できてるって、さっきチーちゃんから連絡あった」

「よし!」赤髪が叫ぶ。「よーしよし! このまま逃げ切るぞ」

 準備体操からクラウチングスタートの体勢をとるハニーから目を離し、ミントはおそるおそる訊いた。

「あのう、このあとはどういう計画なんですか?」

 女車掌が教えてくれた。「この先に個人の飛行場があります。五分ほどで着く予定です。NYCCまで乗り継ぎ込みで二十四時間のフライトです。その後に死んでもらいます」

「五分かあ」

 チョコレートミントは天を仰いだ。思ったより短いドライブになりそう。



 目の前に広がるのは牧草地だった。遮るもののなにもない平原に、着々と距離を離し、走り去ろうとする四輪車の後ろ姿。それとハニーとの間にあるものは空気だけだった。

 ふう、と息をつき、屈伸運動をする。意味の薄い動作だ。ほぐしておく腱も、慮るべき半月板ももうないのだから。爪先を地面にとんとんと打ち付ける。これにも意味はない。どれだけ靴と足が合わなくても、靴擦れができることはないからだ。膝に軽く手を当てて、頼むぞ、とつぶやく。

 吹き渡る風に草が倒れ、もう一度起き上がったとき、ハニーはスタートを切った。



 二分と十二秒後、小さな飛行場の手前で、車は横転し、乗っていた殺し屋は全員草原のあちこちでうめき声をあげていた。ハニーは車から、きちんとシートベルトを締めていたチョコレートミントを引っ張り出した。

「ひとつ言っていいかな」

「クビか?」

「違うよ! 無事だからいいよ。そんなことよりね」

「なんだよ」

「後ろから車並みのスピードで走って来られるとめっちゃ怖い」

「こいつらが遅かったんだ。なんであんなにトロトロ走ってたんだ? 罠かと思ったぞ」

「いやね、野原がガタガタして走りにくいのなんのって」

「ああ、モグラ塚がいっぱいあるな」

「オフロード車だったら危なかったかな?」

「マスタードの足が車なんかに負けるわけねえだろ」

「だからそれ怖いって。運転の人なんか泣いてたよ」

義足あしのセンサーが地面の傾きと足の裏の角度を即座に調整して膝からの力を最大限に地面へ伝えるから理論上おれは固い地面の上ならどこでも最速で走れる」

「知ってるってば。だからちっとも不安じゃなかったよ」

「……そうか」

「うん」

「マスタードはもっと速い」

「速さの話はもういいから」

 目を凝らせば、線路の方からフレッドがよたよたと歩いてくる。三人分の荷物を抱えているらしい。

「あいつなかなか気が利くじゃねえか」

「でしょ」

 息を弾ませたフレッドと合流すると、チョコレートミントはとたんに「怖かったぁ」などと言い出して彼氏にしなだれかかった。場の空気を“めでたしめでたし”に持っていこうとしているとピンときたので、ハニーは即座に宣言した。「旅行は中止だ」

 ミントは肩を落としたが、予想していたことらしく、なにも言わなかった。

「このあとのコースはタクシー、空港、帰国だ。文句ないな?」

 チョコレートミントはこくんとうなずいたが、フレッドはぼうっとしている。「……ないな?」と小突くと、ようやく我に返った。小声で何か言いながらそわそわしている。

「あんたさぁ……」

「あ?」

「――あんた、めちゃくちゃかっこいいな」



 帰国後、報告のために研究所へ顔を出したふたりへのメルバの第一声は、「災難だったな」だった。チョコレートミントのバカンス攻撃から回復し、少し優しくなったようだ――が、「今回は」の「は」を強調した。「今回は、巻き込まれ事故だったんだって? ……どうしたの?」

 ミントはわっと泣き出した。「ハニーに彼氏を取られたあ!」

「取ってない」

「あんなの取ったのと一緒だもん!」ミントは全身全霊で抗議した。「フレッド、もうハニーの話しかしないもん! 『おれはあの人みたいになる』ってそればっか!」

 辟易しているのはこっちだ。「どうやったら殺し屋になれる?」とまとわりつくフレッドをやっと空港で振り切ってきたのだ。「知らねえよ」

「もう彼の頭の中ハニーでいっぱいじゃん! こんなのってないよぉ!」

「羽生……」とメルバ。「……そこまで体張らなくていいよ」

「違います、ボス、張ってないです」

 メルバが顔の前で手を組んだが、それは「へえ、やるじゃん」みたいな顔をミントから隠すためだった。たしかに、マンハッタン工科大卒のメルバの好感度を上げるのは、友人のアンドロイドを直す当てを探しているハニーにとっては重要なことだ。だが、こんなにミントの機嫌を損ねては、ボディガードを首になるほうが早いかもわからない。

 泣きじゃくるチョコレートミントに、ひどい勘違いをしたままのメルバ。

 頭が痛くなってきた。

「ポピーさん」ハニーはポピーに助けを求めた。「サマー・デライトください」

 ポピーシードはにっこりした。「すぐ用意できるわ。必要になると思ったのよ」


(特別編 終わり)

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