スイートガンナー③

 タブレットから砂浜の戦いを見守るメルバはいてもたってもいられなかった。どのカメラを使ってもチョコレートミントの姿が見えない。車はビーチへ向かっているが、パレードの渋滞で思うように進まなかった。カメラを切り替えてみる。どこの画面も同じようだ。

 メルバはひとつ深呼吸をすると、携帯を取り出した。前にハニーマスタードから提出された殺し屋の携帯端末だった。登録されている番号はひとつだけだ。

 一瞬のためらいののちに、メルバは発信ボタンをタップした。

 コール音がひとつ、ふたつ、みっつと続く。相手の躊躇が見えるようだ。八回目のコールで、電話がつながった。

 無言の相手に、メルバは呼びかけた。「きみか? シュゼット」

 かすれたような声がした。「……メルバか」ふっと笑うような息の音。「久しぶりだね」

「前置きはいい。きみの殺し屋を止めろ」

「なんの話かな」

「二度も言わせるなよ」

「きみの」シュゼットはため息交じりに言った。「そういう傲慢なところが嫌いなんだよ」

「なぜチョコレートミントを殺そうとするんだ」メルバは問いかけた。「来るならぼくに来い! ぼくの父がそんなに怖いのか」

「なあメルバ、猛獣に正面から相手するやつがいるか? 固い皮膚や鋭い牙をまともに受けようとするか? やわらかい腹や目を狙うんじゃないか?」

「卑怯者」

「弱点を狙うのは当然のことだ。隠さないきみが悪い」

「きみのそういう下劣なところが嫌いだ」

「積極的防衛だよ。この街のみんながそうしている。NYCC市民のほとんどがきみに嫌われていることになるな。そもそもきみ自身、防衛業者を雇っている」

「積極的防衛の話なんかしてないんだが、答えてやるよ。あれはぼくのガードじゃない」



「何パーセント?」

「あ?」

「義体化率よ」額についた銃弾の跡をおっかなびっくり触りながら、フレジエが訊いた。「まあ、上半身は生身みたいだし、んー、せいぜい二十パーセントとか?」

 ということは、とハニーは考えた。こいつはそれ以上なんだな。リハビリ病棟でも見たことがないほど、リアルでしなやかな肢体だが、その腕の内側を見てしまった今では、どこまでが本物の肉体なのか判別できる自信がない。

「わたしはねー」フレジエは鎖骨のあたりや肩に突き刺さっていたボンベの破片をつまんで捨てた。血は一滴も出ていない。「七十五パーセント」

「割合が高い方が強いってか」

「うんそうだよ。あなたはわたしに勝てない。あ、そうそう、ひとついいニュース」指をさしてきた。「あのお姉さんだけど、殺せって言われてるの」

「だと思った」

「でも、気に入っちゃったから、ないしょで連れて帰ろうと思って。うちで飼うわ。だから命は保証してあげるわよ」

「飼う?」

「きっといいお部屋を用意してあげられると思うの。この前見たコーラルピンクのソファがいいな。あれを真ん中に置いて、あ、ベッドも同じ色でそろえたい! わたしインテリアはこだわるタイプなの。カーテンはお花の柄にしましょう、それで絨毯はもこもこした……」

 ハニーは彼女を撃った。

 頭部に全弾撃ち込んだ。引き金を引き切り、弾倉を入れ替える。

 のけぞった女の足に力がこもった。頭を起こしたフレジエの目が鈍く光った。つぶれた銃弾が足元にばらばらと落ちる。

 次は右ひじを狙った。腕に亀裂が入り、破片が飛び散る。思った通り、そんなに固くない。今撃てば暴発する。これでもう便利なお手ては使えない。次は足だ。

 関節にぶち込む前にフレジエは動いた。飛ぶように駆け、ハニーのふところに突っ込む。体重の乗ったタックルを受けて息が止まる。のど元を細い指がぐっとつかんだ。

「ひとの」頭を砂浜に叩きつけられる。「話の、腰を、折らないの! ばか!」

 腕を伸ばして相手の首をロックする。体を反転させて締めにかかったが、ひじ打ちとかかとであっさり外され、投げ飛ばされる。ああ、これが七十五パーセントの力か。着地したところで腹に蹴りが入る。

 固い地面に落っこちて意識が飛びかける。いつの間にか野外ステージまで来ていた。照明の梁が高くそびえ立っている。

 またキックの動作に入ったフレジエの足をすくいあげ、客席の中に突き落とす。息を整える間もなく、パイプいすが飛んできた。三脚目をまともに受けてしまう。銃が手から離れる。舞台の床をまさぐる手を蹴り飛ばし、フレジエは満足そうな含み笑いをもらした。

 右の足首がつかまれる。太ももがぐっと踏みつけられた。力任せにねじ曲げられた足から、折れた感触が伝わってきた。



「どちらにせよ時間の問題だ」電話の向こうでシュゼットがせせら笑う。「チョコレートミントは今日きみの手を離れる。そうすればきみもおしまいだ」

「そんなことはない」

「よく考えろ、メルバ。先生はもういないんだ。チョコレートミントの次はきみだぞ。きみの番がくる。あらゆる積極的防衛業者がきみを狙う。今ならまだぼくの一存で命だけは助けてやれるぞ。こっちで研究すればいい。ただしぼくの下でだけどな」

「お断りだね。そもそも雇われ研究者のきみにどんな一存があるっていうんだ? かん違いもほどほどにしろよ。そういえば、前からきみは思い込みが激しい方だったな」

 少しの間があり、相手の声がすっと冷たくなった。

「安心してくれ。きみが死に、きみと先生のデータが手に入ったら、ぼくが研究を続ける。ビターの秘密を解き明かすのはこのぼくだ」

「どうかな」

 メルバは答えながらタブの上に身を乗り出した。浜辺を映すカメラにチョコレートミントが現れたのだ。

「なにがあろうと」メルバは通告した。「ぼくはウィークエンド教授の遺志を継ぐ。邪魔をするな」

 返事を聞かずに電話を切った。



 義足で痛みを感じることはない。なんとなくの触覚はあっても、痛みまで感じ取ることはできない。だがそれでは危険が伴うので、最近の筋電義肢には疑似痛覚信号を発信する機能が備わっている。あまりに本物に近い痛みは行動を阻害するので、使用者の脳には得体のしれない不快感となって届く。

 今、ハニーの感覚神経が受けているのがそれだった。カーボンにひびが入り、コマンドが途絶え、制御を離れる感覚が、すぐさま吐き気に似たものに取って代わられる。殺す、と気炎を上げる自分の声が聞こえた。おまえ、殺してやる。

「殺される男はみんなそう言うよね。ほんとやだ……あ、カシスが戻ってきた! お姉さんもいっしょ。ほら、お別れを言わなきゃ。バイバイって! ほら」

 ミント、そんな、逃げきれなかったのか――腕をついて体を起こしたハニーの目に、予想をはるかに上回る光景が飛び込んできた。

 ヤシの木の噴水の下で、例の宇宙生物がむくむくと体を伸ばすところだった。カシスはなにやら叫び声をあげて走ってくる。たたずむチョコレートミントの足元で光るのは、割れたビター捕獲ボトルだろう。水で砂糖を洗い流されたビターが咆哮を上げて浜辺のパレードを再開する。

「あら」とだけフレジエは言った。

 ビターの進撃でパラソルがバタバタとなぎ倒されていく。チョコレートミントは巻き込まれて、何本ものパラソルの中に混じって見えなくなった。

「あっ!」フレジエが小さく叫んだ。「お姉さま! やだ、たいへん、早く片付けて行かなきゃ」

 フレジエがこぶしを振り上げたとき、ハニーは対ビター拳銃を抜いた。

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