スイートガンナー②
最寄り駅で降りてたったの三百メートル、大混雑の道を流されるように歩いていけば、カーブした道の向こうに青い海岸線が見えてくる。路上に駐車した車の隙間を抜け、ボードウォークを突っ切ると、もう足の下は砂だ。ビーチは大盛況だった。潮騒に重ねて、遠くのステージでなにか音楽をやっているのが聞こえる。ヤシの木型の噴水がところどころにあって、冷たい水を振りまいている。左右に伸びる砂浜にパラソルがひしめきあう様子に圧倒される。NYCC中の人間が来ているのではないかと思うほどだったが、チョコレートミントによると、近郊には他にもいくつかビーチがあるから人出は散っているはずとのことだった。
「でもここ食べ物屋さんが多いしね。遊園地もあるし」と言って前を向きかけたチョコレートミントは、「ん?」とすぐにまた振り向いた。「んん? え? なにそれ?」
ハーフパンツから伸びたハニーの足は、一見すると素足のように見える。
「なんで? 人肌? え?」
「義足カバー。シリコン製の」
「すごい。ふつうに肌に見える」
「リハビリの時に病院でもらった」
「へー」
「義足で外を歩くのに抵抗がある人のためのもので」海辺にふさわしい服装のためにわざわざ引っ張り出した代物なのだが、率直にそう伝わるのはどうも癪である。「おれは別にいいけど、まわりがびっくりしちまうだろ」
「足の指どうなってんの? あ、影がついてるのか。へー」ミントはデティールに感心している。「人肉タイツだ」
「その言い方やめろ。ポピーさんは?」
「ああ、今日来られないって。ボスが急にお父さんと会えることになったから、着いていくって」
「ポピーさんはボスの個人秘書なんだな」
「家事が好きでなんでもやっちゃうから、お手伝いさんみたいに見えるけどね。研究所を立ち上げるずっと前からの付き合いらしいよ。あたしもよく知らないけど」
「ずっと前って……ボスいくつだよ」
ミントは首を振った。「天才でお金持ちだと違うよねえ」
やっと見つけたスペースに拠点としてパラソルを突き刺す。ミントがどこに行きたいかと訊いてくれたがハニーは特に希望がなく、結果としていつものようになった。すなわち、ひらひら飛び回るミントを注意して見ているということだ。本日のチョコレートミントも絶好調だった。ナンパされ、けんかに巻き込まれそうになり、迷子を見つけ、人ごみに流されかける合間に、NYCC観光案内ビーチ編がはさまる。
「あのアトラクションに乗る? 地元の人はだれも乗らないやつ。すごい音するでしょ」
「このままずっと行くと、ビターが初めて出現したところに出るよ」
「あそこのアイスキャンデーのスタンド、七番街の有名なパティシエが監修してるんだよ。買おう」
「ストップ、ここからパレードが見えるよ。ほら飛行機」
「F72だ」と言ったのはハニーだった。
「え?」
「戦闘機」
「へー!」
ひとまわりして拠点に帰ろうというときに、ミントの姿がふっと消えたので、ハニーはたいへん肝を冷やした。ミントはなぜかハニーより先に拠点に現れ、しかもフレンチフライの箱を抱えていた。「これこの浜辺の名物だから」
「急に消えるなよ」
「カリカリしないでよ。休日なんだからさあ」ミントはシートにすとんと腰を下ろした。「ボスもポピーさんも来ればよかったのにね。ハニーは実家に帰る予定とかなかったの?」
「おまえはどうなんだよ」
「んー? うーん。別に」
打ち寄せる波の音が会話の切れ目を埋めた。風で転がるビーチボールが視界を横切っていく。
「ハニー、ごめんね」と突然ミントが言った。「ボスは……なんていうか……ちょっと人見知りなんだよね」
ハニーは沖にいる船に目を凝らした。「おまえがあやまることじゃないだろ」
「うん。そうだね」
サンダルを脱いだ足で砂に模様を描いているミントを見ながら、もしかしてこいつは、と思う。――おれとボスの仲を取り持ってくれようとしたのか?
ハニーはポピーシードに訊いたのと同じ質問を、チョコレートミントにもしようとした。なぜ自分に協力してくれるのか、と。だが、その言葉は口にする前に消えた。
「ミント」彼女の背後を指さす。「ビターだ」
「冗談やめてよ」振り返ったチョコレートミントも同じものを視認した。「うそでしょ。休日なんだけど」
「向こうは関係ないだろ、そんなの」
遠くの砂浜で、ぬうっとゼリーのかたまりが立ち上がるところだった。ちらほらと悲鳴が聞こえてくる。
ハニーはバッグの奥に押し込んであったシューアンドホイップを取り出した。ミントがあわあわとしているところを見ると、「本当に置いてきたのか……」
「ボトルは持ってきたもん!」と言いつつミントは中につめていたアイスティーを急いで捨てた。ビター専用回収容器は水筒に成り下がっていた。
「じゃあ回収はまかせる」
対象は七メートル級といったところだった。パラソルのあいだを走っていくあいだに、ミントの携帯に着信があった。
「今どこ?」メルバからだった。「仕事だよ」
「ボスこそ今どこなの?」
「車」メルバは端的に答えた。「タブからシステムを見てる。海を離れるように移動してるな。山みたいな形だ」
「そいつが見えるところにいるから安心して」
ビターはウミウシのように体のすそをうごめかせ、ゆっくりとボードウォークに乗り出そうとしていた。轢かれて折れ曲がったパラソルが、やつが通った道を示している。
「あまり速くないな」
「腕もないしね」チョコレートミントはあたりの海水浴客があらかた遠くに行ったのを確認した。「よし。やっちゃって!」
砂糖弾二発で倒せた。しゅーっと縮んでいくビターに駆け寄り、採集を始めたチョコレートミントに、ハニーは歩いて近づいていった。取りつかれていたのは海水パンツ姿の若い男だった。
「かわいそうに。せっかくのビーチだったのに」
「こいつの連れはそこまで思ってないだろうな。見ろ、影も形もない」
「もう、どうしてそういうこと言うの」
そんなことを言い合っていると、ぱちぱちと拍手の音がした。「すごーい!」
チョコレートミントはボトルのふたを閉めながら立ち上がった。手を叩きながら近づいてくるのはひとりの少女だった。セーラー服をフリルでアレンジしたような服を着ており、はねるようなその足取りに合わせて金髪のおさげ髪が揺れる。
「今、見てたけど」と手を振った。「それ、ビターでしょ? はあ、見る影もないものね。あなた、メルバ研究所のチョコレートミント?」
ふたりは無言で彼女を見た。
少女はくちびるの両端をつり上げた。「画像で見るよりかわいい」
「それ以上近づくな」
足を一歩踏み出した少女に、ハニーは警告した。
「ああ、ごめんなさい」少女は歌うように言った。「わたし、フレジエ。よろしくね」
直感としか言いようがなかったが、ハニーは気づくと動いていた。砂を蹴り、チョコレートミントの前に割り込んだ。
ぱっと血が舞い、痛みが左肩を襲った。被弾の衝撃に耐えながら、ハニーは上着で隠していた自動拳銃を抜いた。
少女はすばやく距離を取り、首を振って顔にかかった髪をはね上げた。
「やだ!」フレジエが大げさに目を丸くする。
胸に二発打ち込んだのに、平気そうにしている。それよりも、彼女の腕に意識が向いた。
彼女の右ひじから先が、ばっくり開いていた。白い肌と黒鉄が強烈な対比をなしていた。手首のあたりに銃口がある。腕の内側を開けて、そこから弾丸を込めるようになっているようだった。
散弾銃の義手だ。
肩に意識をやる。銃弾は貫通しなかったようだ。
「ミント、けがは」
「大丈夫」
「あいつに見覚えは?」
「ない、けど……」背後でミントがつばを飲む音が聞こえる。「殺し屋フレジエって名前は聞いたことある」
フレジエはにっこり笑ってその場でぴょんぴょんジャンプした。「うれしいなー! お姉さんみたいな美人さんに知ってもらえてるなんて! やっぱりもっとお話ししたいなあ。ねえ、どこに住んでるの? 何歳? その服どこで買ったの?」
「姉ちゃん」いきなり別のやつの声がした。「殺せって依頼だろ? さっさとしたほうがいいんじゃない?」
振り返ると、フレジエと反対側から男が近づいてくるところだった。やせた学生風の青年だ。コンビだったのか。ハニーは足を引いて陸のほうへ下がり、ふたりを同時に視界に入れようとした。
「カシスぅ……」フレジエがわざとらしく目くばせをする。「……だめ?」
「別に好きにすりゃいいけどさ」男の方が目を向けてきた。「こいつは、あれだぜ――チェスナッツをやったやつ」
「じゃあ、この人がハニーなんとかさん?」小首をかしげた殺し屋少女の顔に笑みが広がる。「ねえこの前のあれやってよ、すっごくジャンプするやつ、わたし見たんだからね――」
「ミント、走れ」ハニーは叫ぶと、後ろ手にチョコレートミントをぐいっと押した。
「ちょっと、まだわたしが話してるでしょ!」と憤慨するフレジエに向けて引き金を引いた。胸と顔に銃弾を受けて後ろに倒れるフレジエから即座に視線を転じ、カシスと呼ばれた男のほうへ突進した。
男は、ミントを追いかけるべきか、先にハニーの相手をするかで躊躇したらしい。得物に手を伸ばすのが遅れた。銃を抜いた右手をつかんで、引き、地面へ投げ倒す。
「なんだよあんた、ふつうに強いじゃん」ぺっぺっと口の中の砂を吐き出しながらカシスが言った。「なんか格闘技とかしてたの? いてて」
「のんきなやつだな」細い腕を左側へ倒しながらハニーはすごんだ。「誰に雇われた?」
「うーん、それは姉ちゃんから聞いてほしいな」
背中に強烈な打撃を受け、ハニーは数メートルふっ飛んで砂浜にたたきつけられた。
フレジエが立っていた。片足をふらふらさせている。信じられないほどすばやく近づかれ、もう一発蹴りを食らう。「顔に撃つなんてひどいじゃない!」
一撃が重い。少女の小さな体のどこに、こんな力があるのだろう。九ミリパラベラム弾を肺と心臓と額に食らって何事もなく動けるとは。何かに激突する。浜辺のホットドッグの移動販売車にぶつかっていた。ガチャンという金属音をとらえる。車の影に転げ込むやいなや、銃弾の雨が襲ってきた。
「ほらほら、早く出ておいで」銃声の合間に甘ったるい声が呼びかけてくる。「女の子の話をさえぎる男は、死刑でいいでしょ!」
キッチンカーの右側は全面開いていた。だれもいない調理場で、コンロの上のソーセージが煙を上げている。ずたずたになっていくホットドッグの看板を見ながら、弾倉を交換した。相手の弾切れの気配が見えない。相当準備して来たのだろう。こちらのカートリッジはあとふたつ。息を整える。
ふと気づいた。着弾の音が車の下のほうに集中している。前方からだんだん後方へ移る……。
燃料タンクが爆発した。
炎上する車からまろび出る。脇に置いてあった小型ガスボンベをひっつかんだ。フレジエが腕をこちらに向けて上げている。その人影めがけて、ボンベをぶん投げた。お返しだ。
フレジエはなんなく蹴り返した。ふたりのあいだで引火したガスの爆発が、ボンベの破片と熱をあたりにまき散らした。
破れた人肉タイツをはぎとり、ハニーはゆらめく空気の向こうのフレジエを見つめた。彼女もハニーを見ていた――ハニーの足を見ていた。その顔にじわじわと笑みが広がり、やっぱり、と口が動くのが見えた。
フレジエが前腕を下から叩くと、ガチャンと音がして、弾が装填された。
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