サルサ家の謎④

 母親の死体を遺棄した疑いでラリー・サルサとその妻ジョージーナが逮捕され、その事件に大きく関わっているとして長男ビルが事情聴取を受ける予定である旨が午後六時のニュースになった。ただしビルは衰弱状態にあり、聴取は回復を待って行われるという。

 警官と警備員だらけのサルサ家が映し出されると、メルバは「危なかったなあ」と声を上げた。「もうちょっと遅かったら、きみたち今ごろは警察署の中だよ」

 その合図でハニーとチョコレートミントはまたポピーシードに礼を言った。サルサ家を速やかに離れることができたのは彼女のおかげだった。ハニーとの通話が不自然に切れたことをいぶかしんだメルバが、彼女を寄こしたのだ。門を出たところにぴったりすべり込んできた黒塗りのドイツ車は、走り出した十分後にはきっちりエンジンの火を落としていた。ポピーシードは後部座席のふたりになにくれとなく話しかけながらルート495をかっ飛ばし、クイーンズ・ミッドタウントンネルに速度を上げて突っ込み、マンハッタンの碁盤の目のような道を駆け抜け、そのあいだ夢のような乗り心地を保ったまま、契約駐車場までふたりを運んでいったのだった。

 ハニーはボスからお小言をくらうものと覚悟していたが、計三名を取り込んだ大きなビターが手に入ったメルバは存外に喜び、ビターの室内での様子を根掘り葉掘り訊くことでおとがめに代えたふしがあった。チョコレートミントが先走って捕まった件については眉間にしわが寄ったが、それよりも、とペンの頭を向けた。「部屋の中でビターがおとなしくしてたって? 一か月も? 信じられない……どういう状態? 形は? 球体? 見たことないな……表面に波は立ってた? 接地面はどうなってるの? 中の人間はどうだった? 表情とか……あと部屋の明るさはどれくらいかな? 暗かったって? 何ルクスくらい?」

 カメラは庭に焦点を結んだ。根に麻布が巻き付いたままの木の苗が置かれた一角が、掘り返されて穴が開いているのがわかる。あがった死体は服装と歯形からヘザー・サルサと特定された。死後三週間は経過しているという。

「エレンちゃんはどうなるの?」とミント。「かわいそう……」

「半々だな」とメルバ。

「なにが?」

「兄貴と暮らせる確率さ。ビルが祖母を殺したあとビターに飲まれたなら、ビルは殺人罪で逮捕されるけど、順番が逆だったら無罪放免だ。ふたつにひとつ」

「無罪?」とハニー。

「もちろん。ビターに取りつかれている最中に人を殺した人を裁く法律がないからね」

「そういう問題かなあ?」ミントがつぶやいた。「ビルが自分をどう思うかじゃない?」

 沈黙が落ちた。メルバはめずらしく少しうろたえたようだった。

「なんにせよ、捜査の結果を待たなきゃね」とりなすようにポピーシードが言う。「今のところは、神のみぞ知ることよ」

 標本瓶の中のビターがぽこりと気泡を吐いた。



 なんとなく赤っぽい景色の中にいるので、たぶんここは火星なのだろう。おそらくそうだ。そもそも、あいつが出てくる夢は、基本的に火星が舞台だ。他の場所にいるところをハニーは知らないのだから。並んで腰かけている。きっとあそこだ――倉庫のあいだに、なにかの機材が入っていた大きな箱が捨て置かれていて、外にいるときはそこでよく話をしたのだ。

「なるほど。それで、マンハッタン工科大学出身のメルバ博士に助力を乞おうとしたわけですね」

「でも、簡単には助けてくれそうもない」

「だから、いい仕事をして博士に気に入られる必要があると」

 マスタードが笑う――そう解釈している。アイカメラの奥のランプが、緑色から紫色にかけてゆっくりと変わっていくとき、こいつなりに楽しんでいるのだと、なんの根拠もないが感じている。そのたびに、ハニーはこの鋼の友人がいとおしくてたまらなくなる。

「それにしても、どういう風の吹き回しですか? ハニーが媚びを売るなんて。あなたにはそういうことは向いてないと思いますよ」

「だれかさんのためだからな」

 そう言い返してやると、マスタードはきゅるきゅると不思議な音を立てた。そうだ、こういう相槌のような機械音も、こいつの声だったのだ。

「そろそろ時間のようですよ」

「わかってる」

 夢から覚めたハニーはよし、とつぶやいた。まだ忘れちゃいない。忘れるわけにはいかない。あの声をまた聞くためなら、どんなことでもやってみせる。



 なんだか気分がローだし、こんなときはとびきりおしゃれなブランチを取らなきゃ、と思い立ったチョコレートミントはまたもや無断で部屋を抜け出した。アパートの前の道をてくてくと渡り、道を一回曲がるだけでたまごの焼けるいい匂いがしてくる。黄色いパラソルのそのカフェでは、朝早い勤め人たちが席を立つ頃合いだ。すべりこんでエッグベネディクトを注文する。暖かくなってきたので、オープンテラスの席を選ぶのにもためらわない。いい季節だなあと思いながらチョコレートミントはアイスミルクティーのストローをつまんだ。

 このあたりでひときわ高い建物が自分の住んでいるアパートメントで、この席からもよく見える。ミントはその方角に向かって手を振った。皿を運んできたウェイトレスが、一見だれもいない前の道をたしかめて不思議そうな顔をする。

「あのアパートに住んでる人にこの朝ごはんを見せびらかしたいの」

「ぜひ、ぜひ」とウェイトレス。「そうしちゃってください」

 チョコレートミントはそうした。



 ハニーはむっとして双眼鏡から目を離した。部屋の前の廊下から、例のカフェが見える位置がある。そこに陣取っていた。この階に自分とチョコレートミントしか住んでいないことをいいことに、狙撃銃をむき出しで持ってきている。まあ、知らないところで死なれても寝覚めが悪い。ここから見ていれば、なにかあればすぐわかるし、場合によっては迎撃することもできる。

 どうやらチョコレートミントにも、なにか目的があるらしい。

 こんなところで死ぬわけにはいかないと言っていた。昨夜別れ際に、「今日は迷惑かけちゃったね」とぼそっと話しかけてきた。「ありがと。助けに来てくれて」

 危険を意識していないことはないのだろう。ただ、自由と身の安全を天秤にかけて、自由を取ってしまう女なのだ。そういうはた迷惑なやつの護衛になった自分の運が悪いとあきらめるしかない。せいぜい、傾いたもう片方の天秤を手でぐっと抑えつけるのが、当面の自分の仕事ということだ。

 それにしても見せつけてるつもりかあいつ。カロリーブロックをかじりながら、ハニーはまた双眼鏡をのぞき、チョコレートミントが優雅な所作で食べているエッグベネディクトをにらみつけてため息をついた。

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