第4話 サルサ家の謎

サルサ家の謎①

 彼らは書類の上ではまちがいなく、物だ。だから代名詞は「それ」が使われる。

 だが紙の上を離れ、実際に相対して、話に出すとするなら、人と同じ、すなわち「彼」または「彼女」となる――アンドロイドに限らず、人型からかけ離れた姿かたちのロボットでさえ、人はその三人称を用いる。それこそ家庭用掃除ロボットから受付で笑うヒューマノイドまで、人間の都合で性別が持ち込まれ、どちらかに決めつけられる。

 当人たちの希望はともかく、声があるものはわかりやすい。男の声をしたやつは男の、女の声を出すやつは女の、役割やふるまい方を、機能として求められているからだ。最初からふさわしく作られている。威圧的な容姿、曲線の多い体など。

 マスタードはそのどちらでもなかった。男にしてはやわらかく澄み、女にしては重くかわいた声をしていた。武骨な見た目だったが、ところどころ華奢なパーツが目立った。

「彼」や「男」という単語は、「人間」そのものを表すことがある。ならば逆もしかりということか、性別が見てとれないものに対し人は「彼」を使う傾向にある。第七基地でも、アンドロイド兵を人扱いするときはたいてい「彼」と言われていた。

「R2D2だって『彼』だったしな」

 だからアーモンドファッジは、あえて、マスタードのことを指すとき「彼女」を使う。

「どうせどっちでもいいなら、片方だけを使うのは妙だろ」

「逆におかしくないか」

「別におかしかないよ。それにな、こういうのはロマンなんだよ」

「ロマン」

「パソコンにも性別があるって知ってるか? 一時期はやったんだけど。デフォルトになってる音声で判断するんだ。おまえ、携帯の秘書アプリの声はどっちにしてる? おれは絶対女の子にする。つまりな、呼ばれる側ではなく呼ぶ側の問題ってこと」

「………」

「……身の回りの家電とか、擬人化して美少女にしたことない?」

「マスタードにおまえの趣味を投影するのはやめろ」

「ロボットに使える三人称単数があればいいのにな」アーモンドファッジはうそぶく。「he彼女sheのほかにもう一個。ミセスとミスからミズが生まれたみたいに」

 反対こそしないものの、それだって一部の人間の傲慢ではないだろうかとハニーは思う。彼らは本来どっちでもなく、どう表されようが気にしていない。個が識別できればそれでいいのだ。機械に用いる三人称だって求めているとは思えない。ミズが生まれたのはミセスとミスという呼び方に問題意識を持ったやつがいたからだ。差別的ではないかと。それ呼ばわりや男(あるいは女)扱いは機械に対する差別ではないか、と主張するロボットがいれば別だが、そんな突飛なやつにお目にかかれるのはSFの世界の中だけだろう。それこそ機械が人間に反旗を翻す映画のような。

 なんにせよ、今自分の足代わりとなって働いてくれている親友には、どうだってよさそうな話だ。なぜなら……。

「おまえが今考えてることがわかるぞ」とファッジが指をさしてくる。「どんな呼称を使おうが、あいつはあいつだ、みたいなことだろ」

「………」

「図星だ」屈託なく言うと、アーモンドファッジは中トロを口に放り込んだ。

 再就職祝いに飯でも行こうぜ、と誘ってきたのはファッジだが、彼はすでにハニーの二倍の高さに皿を積み上げていた。またひとつ足されたスシの皿から先輩の顔の輪郭へと目を移し、こいつまた太ったなとしみじみ思う。学生時代から、ファッジは体重百四十キロと百キロのあいだを行ったり来たり行ったり来たりしている。今もまた、火星にいた時期を谷としたゆるやかなV字グラフを描いている最中なのだろう。

「そうそう、アンゼリカだけど」と知らないやつの話題を持ち出されたので面食らう。「ほら、この前おまえたちを襲った爆弾女だよ。あいつ逮捕されたから」

「彼女もプロの殺し屋?」

「そうとも。だから依頼主の名前は吐かないだろうね」

 だがそいつはチョコレートミントを生きたまま連れて来いと言ったらしい。

 ビターの研究体を独占するメルバを亡き者にしようとする同業者たちが、チョコレートミントも狙うのは理解できる。ハニーが用心棒に雇われたのは、ふらふら出歩きがちなチョコレートミントを殺し屋たちから守るためだというのもわかっていた。

「誘拐が目的のやつもいるってことだな」ファッジは回るレーンを眺め、次の一皿を吟味しながら言った。「チョコレートミントをえさにメルバをおびき寄せてふたりとも殺すとか」

「アンゼリカだっけ、そいつはメルバのことなんか口にもしなかったぞ」

「そりゃ今から殺すって相手にべらべらしゃべらないだろ。あとはそうだな、おのおの目的が違うんだろ」

「おのおのって? まさかNYCC中の科学畑の人間がメルバに殺し屋を差し向けてるわけでもあるまいし」

「それがあながち冗談でもないんだな」ハニーが甘エビの皿を取るのと、ファッジがたまごの皿を取るのがほぼ同時だった。「おれが仲介した殺し屋があいつらを殺ろうとしたのはもう知ってるよな」

「ああ。三回殺そうとしたんだって?」

「いや、殺されそうになったのが三回。そのうちおれが仲介したのが一回。三回ともそれぞれ別のやつの依頼だから」

 一度目の犯人はわからずじまいだという。クイーンズにあったメルバの旧研究所に、毒物の入った宅急便が送り付けられるという騒ぎがあった。脅迫状が同梱されていたものの、これはいたずらで片づけられてしまった。

 二度目はファッジが仲介したもので、外を歩いていたチョコレートミントが男にナイフで刺されそうになった事案だ。たまたま近くに元格闘家の女性がいて、その暴漢を華麗な後ろまわし蹴りで倒してくれたので、チョコレートミントは無傷で済んだ。男はノックアウトされたもののプロだったので、彼の犯行動機は一貫して恋愛感情のもつれとして処理されている。

 三度目は爆弾魔アンゼリカの最初の襲撃である。これにより旧メルバ宇宙生物学研究所はがれきの山と化した。運がよかったのは、爆発の瞬間、研究所員が全員地下の部屋にいたことだ。

「けっこう壮絶だな」

「ミントちゃんが用心棒を付ける気になるのもわかるだろ? おまえの存在が多少は抑止力になるはずだ」

「また爆弾で来られても守り切れんぞ」

「なんのかんの言っても、依頼者側は素人だ」ファッジはイクラ軍艦に手を伸ばした。「アンゼリカ・ザ・ボマーが失敗した今、同じ轍を踏もうとするやつは減るさ」

「だといいけど」甘エビが思いのほかうまくて、ハニーはもう一皿取る。

「それにしても惜しいなあ。彼女は人気のある殺し屋だったんだが」

「殺し屋に人気もくそもあるかよ」

「あるよ」

 真顔で言うので冗談かと思ったが、アーモンドファッジはエアキーから片手でURLを入力し、テーブルの上にとあるサイトを表示させた。ハニーは見やすいように皿を脇に寄せた。ランキングのページだ。細かい文字の表が下まで続いている。

「けっきょく殺し屋業界も口コミが命だからさ。こういうサイトもある」

「世も末だな」

「おかげさまでもうけさせてもらってる」ファッジはにやりとするのを忘れない。「治安自由化からこっち、閲覧数と登録者数は増える一方だ。おれが誘ったわけがわかったろ」

 殺し屋アンゼリカは三十五位だった。名前の横に、ランクが下がったことを示す矢印が付いており、紹介ページにはすでに「拘留中」と注意書きがある。

 ハニーは画面をスクロールしていった。NYCC市のみを拠点にしている業者を絞り込んでも、かなりの数がいる。これからこいつらを相手にしなければならないのか。

 つまるところ、今のNYCCでは、気に入らないやつがいたら殺し屋に頼むのが一番手っ取り早い。

 ニューヨーク州は治安自由化が最も進んだ州だ。数多の企業が治安維持市場に続々と参入している今、当初の見込みに反して、犯罪件数は増加している。州政府はこの混乱を一時的なものとして見ているが、市場が落ち着くまでどれほどかかるのか、だれにも正確な予測はできない。

 ランキングの後ろの方まで来たとき、ハニーの目に引っかかるものがあった。


 342位(↑)ハニーマスタード(新)……企業専属のため依頼の受付はなし。護衛任務中。


「おいアーニー」

「スシってうまいけどあんまり食った気しないな。こんなヘルシーなものをソウルフードにしてる日本人がやせっぽちなのも当然だよ」

「アーニー、これは」

「それにしてもマスタードな」ファッジはなおも強引に話題を変えようとした。「あの声はちょっと独特だったよな。声優はだれなんだろうな」

 それを聞くまでハニーは、マスタードの声を作ったやつがいるなどと意識したことがなかったことに気がついた。

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