弾丸を喰え④

 気がつくと、殺し屋アンゼリカは道路の上であおむけに倒れていた。のぞき込んでいるやつらが本物の警察官だとわかったときには遅すぎた。

「アンゼリカだな?」両手に手錠がはまる。「器物損壊ならびに爆発物所持の現行犯として逮捕する。今朝のパトカー爆破事件についても、署でたっぷりと聞かせてもらおう。もちろんその前のことも全部な」

「くそっ」アンゼリカは目を閉じた。「もう一杯飲んどくんだったなあ」



「二時間と空けずビターが出現するとは」メルバは録画の映像から目を離さないまま言った。「こんなこと今までなかった。きみ、なんか持ってるんじゃないの?」

 ――人を疫病神みたいに……。

 ハニーの後ろで、チョコレートミントが作業をしていた。ボトルのビターを、標本瓶に移し替えている。ポリタンクからどぼどぼと注がれる液体からは強烈な甘い匂いがただよい、あたりは研究所というよりお菓子作り教室といった空気だった。

「砂糖か」ハニーはずばりと言った。

「なにが?」メルバは最初すっとぼけようとしたようだが、ポリタンクに〈業務用ガムシロップ〉とでかでかと書いてあるのに気づき、やれやれという手振りをした。

「ビターの弱点は砂糖なんだな」

 ビター用フランジブル弾の正体だ。砂糖を固めて弾頭にしているのだ。ミルクココア粉がダメ押しになっていなければ、どうなっていたことやら。

「その通りだ」メルバはデスクチェアの背もたれに寄り掛かった。「どんなビターも砂糖をぶっかけまくれば無力化する。ナメクジみたいに」

「公表すりゃあいいだろ」ハニーは声を上げていた。「そうすれば、街も壊れないし、おまえらも命を狙われない」

「そう簡単な話じゃないんだ」

 メルバは立ち上がると、横からビターの入ったビンを引き寄せた。「ああ、ちょっと、もう!」とガムシロップを服にこぼしてしまったミントにかまわず、ビンを抱えてあごをしゃくった。別の作業台に移動するメルバについていく。メルバはそこでビンの中のガムシロップをこぼし、水を出してビターの体をすすぎ始めた。

「なんだ?」

「いいから見てて」

 ハニーはまばたきした。ビンの中身が動いたような気がしたのだ。

 実際動いていた。液体の表面がむくりと丘のように持ち上がり、ふるふる揺れている。ビンの口に向かってゆっくり伸びてきたところで、メルバは水を止め、ポケットから角砂糖を出して、砕きながらビンに入れた。たちまちぽちゃんと音を立て、ビターは水のような姿に戻る。

「こいつらは砂糖じゃ死なない」メルバは固い声で言った。「仮死状態になるだけだ」

 しばらく言葉が出なかった。

「殺せるというのはデマかよ」

「周りが勝手に勘違いしてるんだ」

「ならなおさら……」

「きみの仕事は宇宙生物学研究所運営方針アドバイザーか?」メルバはバシッとさえぎった。「きみはチョコレートミントのボディガードだろう。きみが気にするべきは、“なぜ”狙われるかではなく、“いつ”“どこで”“どうやって”狙われるかであるはずだ。よけいなことに気を回すな。なにか他に言いたいことは?」

「ならひとつ報告が。襲ってきた爆弾女だが、ミントを殺す気はなかったようだ。チョコレートミントを寄越せと言ってきた。そういう依頼だと」

「へえ。そうか。興味深い」

 少年の表情からは、それが本心かどうかは読み取れなかった。

 メルバはビンを抱え上げ、白衣をひるがえした。「もしまた刺客と接触したら、そういう発言に気をつけておいてくれ。ささいなことも全部報告しろ」部屋を出ていこうとして、はたと立ち止まる。「そうだ。ポピーがきみに話があるってさ」

 だれだそれ、と思う間もなく、壁のかげからこちらをうかがうエプロンの女性と目が合った。



 案内された部屋は、一見何の問題もないように見えた。ちょっとぜいたくだという以外には。値段を聞いてから断ろうと思って、一応すみずみまで見て回り、これはいい部屋だと感じた――残念だが。こんな部屋に住めたらどんなにいいか。窓は南向き、天井は高く、築年数の割には床や壁に目立った傷はない。リビングとベッドルームが別で、バスタブがあるバスルームで、おまけに布団が二枚は敷けそうな広さのテラスがついている。部屋と部屋、部屋と廊下の間に段差がないのも気に入った。扉や廊下の幅も広く、松葉杖や車いすでもらくらく通れそうだ――残念だが。

「月1540ドル?」思わず声を上げた。「この部屋が? ありえない」

「ネットと冷暖房費込みよ?」

 ますますありえない。

「でも、見ての通り家具がほとんどないし、エアコンも古いタイプなの。スーパーもちょっと遠いわね。あと階も低いし」

 低いといっても十一階だ。

「……ええと」

「あら、そういえばまだ自己紹介してなかったかしら? ポピーシードよ。研究所では雑用係を」

 このアパートメントの持ち主だった。

「遊ばせておくのももったいないし。部屋って、人が住んでないとすぐ古びてしまうのよねえ。本当は親戚が住むはずだったのだけれど、彼、三月にタイに異動になってしまって。あなたさえ良ければ使っていただけなくって?」

 断る理由がなくなってしまった。

 後ずさりしたい気分だった。「分不相応だ。いくらなんでもこんな部屋に住めない」

「いいじゃないの。お買い得よ。もう、あなたみたいな若い人がねえ、遠慮なんかしちゃだめよ? やったー部屋が決まるぞわーいわーいって思っておけばいいのよ」

「そう言われても……」

「じゃあ、そうね」ポピーシードは蠱惑的にほほえんだ。「これも仕事の一環だと思って」

「え?」

 ハニーはもう一度部屋を見回した。どこか見覚えがある気がした。



「部屋決まったの?」ミントはよかったね、と顔を明るくした。「どこにしたの?」

「ヘルズキッチン」

「うそ!」ミントが叫ぶ。「あたしもそこだよ!」

「偶然だな」ハニーは抑揚のない声で言って、間に合わせで買ったリネンの袋を担ぎ直した。

 エンパイアステートビルを出たふたりは、北に向かっていた。碁盤の目のような道を数回折れ、タイムズスクエアの近くを通り過ぎる。八番街を渡れば、そこはもうヘルズキッチンだ。ビルの背丈が低く、ミッドタウンのように建物が頭上や両脇から迫ってくるような感じがずいぶんと減る。夕暮れがあたりを染め上げ、道に濃い影をさらしあげていた。

「もしかしてけっこうご近所さん?」

「かもな」

 同じ建物の前で立ち止まる。

「ここでいいよ。え? 同じアパート?」

「なにが人徳だよ、ポピーシードさんがいい人なだけだろ」

「やだ、ばれちゃってた?」

 エレベーターに乗り込む。

 十一階のボタンを押す。

「お隣さんだったりして」

「ハハハ」

 廊下を歩いている最中、ふたりは無言だった。

 突きあたりまで来る。部屋はあとふたつだけだった。十一〇七号室と、十一〇八号室。

「正直に言うけど」ミントが口を開いた。

「ああ」

「別に隣じゃなくてもよくない?」

「同意見だな」ハニーは応じた。

 それぞれ十一〇七号室と十一〇八号室の前に立つ。

「部屋のぞいたら通報する」とミント。

「絶対夜中に騒音立てんなよ」とハニー。

「郵便受けとか見ないでよね」とミント。

「そういう言いがかりをつけてくるならこっちにも考えがある」とハニー。

「なによ」

「なんだよ」

 両者はにらみ合いながらドアノブを握った。

 十一〇七号室と十一〇八号室のドアが開き、そしてほぼ同時にバタンと閉まった。

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