弾丸を喰え③
左手で人ごみをかきわけ、右手でチョコレートミントの腕をつかんで引く。「おまえ、目見えてるか?」
チョコレートミントは目をこすった。「ちょっとチカチカするけど、平気」
閃光弾だったようだ。殺傷力のあるものでなくて幸いだった。と思ったのもつかの間、左手後方でどん、と爆発が起きた。熱風が服越しに肌を焼く。
ひゅっと何かが飛んできて、顔のそばを通り過ぎた。ラムネ菓子のケースが宙を舞い、数メートル先の地面ではね、路上駐車の車の下へもぐりこむ。二秒後、炸裂した。
炎上する車を前に、ふたりは立ち往生した。
「オーケー、オーケー」警察官が――警察官の服を着た女が近づいてきた。カツン、カツン、と石畳をヒールが鳴らす。「そこでストップね。男のあんた、死にたくなければ、チョコレートミントをこっちに寄こしなさい」
髪をかき上げる手に、ケースがにぎられている。銃をバッグから取り出す時間がないことは明白だった。
「悪いが」ハニーはゆっくりと言った。「それはできない」
「なら距離を取りなさい。あんたのほうだけをうまく殺したいのよ」
「この女は殺さないのか?」慎重に問いかける。絶体絶命だが、時間を稼ぐに越したことはない。「まとめてやりゃあいいのに」
「めんどくさいけど、そういう依頼だからさ」偽警官は本当にいまいましそうな顔をした。「まあ、あたしはそのほうがいいし、ひとりが死ぬかふたりが死ぬかは、あんたたち次第だけど? とりあえず三秒以内に決めろ。三!」
チョコレートミントがぐいぐいと服のすそを引っ張ってくる。「二」なんだよ、とミントを見ると、せっぱつまったような顔で偽警官の靴のあたりを指さしていた。「一」そっちに目をやり、思わず息を飲む。
女の足元が泡立つように波打っていた。
影にまぎれるようにその身を地面にひそませていたビターは、足首を包むようにそっとそのジェル状の体を持ち上げ、あっという間にすね、ひざ、太もも、腰を飲み込んだ。偽警察官の悲鳴も長く続かず、顔を覆われてぶつりと途切れた。
ビターはむくむくと体を伸ばしていった。体のふちが分かれていき、足がたくさんある姿になる。
「タコ?」ミントが見解を述べた。
「イカだろ。足が八本より多い」
「タコだよ。足がみんな同じ長さだもん」
ビターは触手でぴしゃりと地面をたたいた。石畳に亀裂が入った。
ハニーは狙撃銃を取り出し、組み立て、迫りくる触手にすばやく三発撃ち込んだ。三発とも命中した。腕はどろっと溶けたが、すぐに代わりの腕が後からにゅっと伸びてきて、破壊行為に加わった。続けて四発、胴体めがけて撃つ。うねる触手が鞭のようにしなり、弾丸を叩き落とした。失った腕を補う腕がまた生えてくる。
「おい、先輩、こういうときはどうするんだ」
「逃げるに決まってんでしょ」
回れ右して駆けだすふたりを追いかけるように、ビターもずるずると移動を始めた。
元戦闘用アンドロイドの足にチョコレートミントがかなうはずもなく、どんどん遅れる。しびれを切らしたハニーは数歩とってかえし、チョコレートミントを抱え上げて走りだした。
「こわいこわい、こわいよこの姿勢、下ろして」
「今?」
「やっぱりいい」
ハニーの右耳のそばで電話が鳴った。チョコレートミントはどうにか端末を引っ張り出したようだ。「ハロー、ボス!」
メルバの声がハニーにも聞こえた。「きみたち今どこ?」
「ソーホー! そっちで見えない?」
「イカみたいなビターに追われてる」
「タコみたいな」
口々に答えると、ややあってから返事が来た。「確認した。どちらかといえばタコだね。イカの吸盤には歯みたいなギザギザがないとだめ、こいつにはない」
ミントの声が得意げになる。「ほら、タコだった!」
「ためになるな。で、弾丸が弾かれるのはどうしたらいい? 腕が溶けてもすぐ次が生えてくる」
「持久タイプか。再生にも限度があるんだよね。ちょっとずつ縮んでると思うから、撃ち続けて。でもその前に、場所を変えて。なんとか誘導して海の方に抜けるんだ」
「なんで?」
「なんでだって? そこはソーホー=キャスト・アイアン歴史地区だぞ! 国家歴史登録財および国定歴史建造物に指定されてる、重要な文化財だ! 壊れたら国の損失だし、ぼくもNYCCっ子として許せない。これ以上そのタコ足に街を傷つけさせるなよ! 以上」
電話が切れた。
「おまえのボスは思いやりがあって素敵だな」
「今はあなたのボスでもあるんだけど?」ミントが思い出させる。「そこを左に曲がって!」
指示に従う。顔だけで振り返ると、一本の触手が街灯を持って振り回しているところだった。ブティックのショーウィンドウが無残に砕け散り、中のマネキンがバタバタと倒れて道に転がり出る。鋳鉄の柱に街灯が当たり、があああんと響く音が通りにこだました。
チョコレートミントは銃をやっとこさ取り出し、ハニーの肩越しにぶっ放した。後ろから破壊音がやまないということは、弾丸の末路は訊かずもがなだろう。
「待て、それ以上撃つな! 弾の無駄だ!」
「じゃあもっと速く走ってよ!」
「道がわかんねえ上に荷物が重いんだよ」
「乙女に重いとか言わないでよ! 最低!」
少し広い道に飛び出した。「六番街」という標識が目の端をこぼれ落ちていく。いつの間にか、地面はアスファルトになっていた。建物にも、さび色の非常階段がついていない。ソーホー地区を抜けたのだ。
ぶん投げたい衝動をこらえてミントを下ろしたハニーは、急いで狙撃銃を構え、追ってきたビターに向けた。たしかにさっきよりは小さくなっている。チョコレートミントも一発は当てたようだ。近くに来るまで待って――引きつけて――引き金を絞る。
タコ型ビターはそれでも二発防いだ。だが三発目は胴に命中した。効果はてきめんだった。またぐっと縮んだビターの進撃が止まり、腹からどろりと溶けた部分が垂れる。
しかし、カウントが正しければ、これで弾切れだった。案の定、引き金はカチンと乾いた音を立てる。おそらく、あとはとどめを刺すだけなのに!
「おい、弾よこせ!」
「もうないよ!」ミントが叫んだ。
ミントの方も撃ち尽くしてしまっていた。振り返ってチョコレートミントに何か言ってやりたかったが、その前に、右の腹を触手の一撃が襲い、ハニーは宙にさらわれていた。
なつかしきぷるぷる触感に顔をゆがめる。つかめもしない、それどころか、指が沈んでいきそうだ。このやわらかい腕でどうして物をつかんで振り回したり、ひとの横っ腹を殴ったり、巻き付いて締め上げたりできるのか。体がシェイクされる感覚にくらくらする。無重力対応訓練よりきつい。ハニーはとにかくバランスを取ろうとしてもがいた。
バタバタと手足を動かしているうちに、いくつかのことが起きた。ビターの腕の位置が少しずれ、上着のすそが束縛を逃れた。角度が変わってポケットの口が下になり、中身がこぼれた。
突然、触手の動きが止まった。次の瞬間、ハニーの体は落下し、液状と化したエイリアンの上に放りだされていた。よろめきながらも立ち上がったハニーは、右の腰あたりが粉だらけなことに気付いた。甘くておいしいミルクココアの袋がポケットの中で破れていた。靴の周りで流れゆくビターの体に、ココアの粉が浮かんでいた。
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