弾丸を喰え②

 表に出ると、チョコレートミントはさっそくタクシーを止めた。

「近くまで行ったら下ろしてもらうから。運転手さんだってビターの方になんか行きたくないもんね」

「車持ってないのか」

「スクーターがあったけど」ボンッ、と言いながらチョコレートミントはこぶしをぱっと開いた。「そうだ、着く前にボトルの使い方ちゃんと説明しとくね。ほら、ここを押すと、吸い込めるようになってるから。こないだみたいなことしなくていいの」

 前回、狙撃で仕留めたビターのことを思い出しながら、ハニーはぶぜんとした顔で吸引スイッチを試した。先日はドロドロしたビターの体を、敗北した甲子園球児よろしくせっせと素手ですくってボトルに入れ持ち帰ってきたのだった。

 車が流れなくなってきたのを見て、チョコレートミントはここでいいと運転手に告げタクシーを降りた。ワシントン・アーチが見えている。メルバに電話で指示を受けながらその方向に走っていくと、逃げる人々と次々にすれ違った。

「あんたら! そっちには行くな、ビターが出たぞ!」

「知ってます! ありがとう!」ミントは親切な男にそう叫び返すと、また携帯を耳に当てた。「今どこ?」

「いた」とハニーは声を上げた。街路樹の向こうで化け物が頭をもたげたところだった。

 幸い、あたりの人々は逃げ去った後で、通りはもぬけの殻だった。ずんずんと破壊の行進をするナマコ型のビターの三百メートル後ろで、ハニーとチョコレートミントは簡単に作戦会議をした。

「この先に行かれるとまずいよ。駅前で人が多いから」

「先回りするか。挟み撃ちに?」

「じゃあ、あたしはこっちに誘導してみる」

「了解」ハニーは肩掛けのかばんから狙撃銃を引っ張り出した。

 ワシントン公園の中から、ビターの進行方向に回り込む。なぎ倒される木に気をつけながら、柵を乗り越えた。反対側では、チョコレートミントがビターの気を引こうと、拾った傘で地面をがんがんたたき、「おーい、こっちだよー」と叫んでいる。そのかいあってか、ビターは這うのを止め、後ろを振り返るような動きを見せた。

 安全装置を外す。さて、と構えたとき、パンッという軽い銃声が数発聞こえた。ミントの銃だと認識した直後、耳元をひゅんと音を立てて弾が飛んで行った。

 ハニーが思わず立ちすくんだのと、ビターが溶けるのが同時だった。ビターの体は液体のようになってさーっと下へ流れていき、取り込まれていた男性があらわになった。泥色の水たまりの中へひざをつき、ぱったりと倒れた彼のもとに、ミントが駆け寄ってあおむけにしてやった。

 ハニーはまず文句を言いに行った。

「あぶねえな! 反対側から撃つやつがあるか、同士討ちになっちまうだろうが!」

「じゃあ挟み撃ちっていったいどういう意味なの?」チョコレートミントはあっけらかんとしている。ポケットから丸い採血シールのシートを取り出した。「ねえ、吸い込むやつ、やってみなよ……それに、あの大きさのビターはだいたい二、三発当てないと倒せないし。それもね、同じ面に撃ち込むより、当てる場所を変えた方が、早くノックアウトするんだよ」

「一直線になるのがまずいって言ってんだよ」ハニーはボトルのキャップを開け、ゼリーだまりに押し当てた。スイッチを押すと、ごぼごぼと音を立ててエイリアンだったものが吸い込まれていく。「だったらななめに位置取りするとかあっただろう」

「そもそも、ハニーさんは無理してビターを捕まえることないんだよ?」

「は?」

「基本的にはあたしの用心棒なんだし。前はひとりで捕まえてたし、あたしの方がビターとの付き合いは長いんだからね」

 論点がずれていくのも腹立たしいが、どうしても皮肉を言いたくなる。「五発撃って二発しか当たってないのに? あの距離で」

「やだ、数えてたの? いやらしいなあ」

「いいか」ハニーはいらだちを抑えようと努力した。「銃声を、数えるのは、普通だ」

「ほんとに?」眠らない女はけらけらと笑った。「軍人上がりの性癖じゃなくて? やらないと死ぬ?」

「やらないと死ぬ」

「マジかあ……」

 わかってんのかこの女は、という目をミントに向けたとき、男がうめき声を漏らした。そろそろ意識を取り戻しそうだ。

 男の指先に貼った採血シールをさっとはがすと、チョコレートミントは立ち上がった。「行こ」

「こいつ置いていくのか」

「ビターが出ると警察も来ちゃうし。あたしたち、改造銃を持ってるから、警察に捕まるのはちょっと……」

 メルバは国を挙げたビター研究の参加者だが、改造銃を所持・使用・製造していたとなればまず問題になる。末端の警察官にまで因果を含めることは難しいからだ。要するに現行犯で捕まることがまずい。

 立ち去る前に、チョコレートミントは男のポケットに一枚のカードをすべりこませた。メルバ研究所の名前と連絡先、それとQRコードが書いてある。

「アンケートページに飛ぶんだ。ビターに取りつかれる直前の体調とか、なにを食べたとか、取りつかれてどういう感じだったかとか、訊くの。血液検査の結果と一緒に、それの集計をするのもあたしの仕事。あとは個別に協力依頼していくの」

「応じてもらえるのか、それ」

「そんなに回収率悪くないよ。謝礼も出るしさ」

 ワシントン・アーチの真ん前まで戻ってくると、ミントは寄り道していきたいと言い出した。ソーホーに人気のショコラティエがあると言う。

「仕事中だろ」

「いいじゃん! 新居で食べたい」

 ――自慢か?

「ついでにNYCCを案内したげる」

 と言ったものの、当の店に着くまでに、チョコレートミントは市内のチョコレートショップについて延々と語り続けた。いわく、今から行くところはスイーツ激戦区のNYCCの中でも三本の指に入ろうかという名店で、オーナーショコラティエは五年前先代から店を継いだ若き天才、ヨーロッパの名門ホテルで修行し帰国するや否やコンクールを総なめにしたセンスと腕の持ち主である。それだけでなく、某雑誌における「このシェフがかっこいいインNYCCベストテン」と「今一番お近づきになりたい甘いマスク男子」のふたつのランキングで見事栄冠に輝いた経歴があるのでそのご尊顔をひと目拝さんとする若い女性たちが引きも切るとか切らないとか(「でもあたしは先代の顔の方が渋くて好き」)。王族も参列する会議の晩餐会で品を提供したことで話題になったが、もともとの店もソーホーにショコラティエ・ジュヌヴィエーヴありとうたわれる老舗、特に先代が生み出した秘伝のレシピで作られるミントチョコレート(「大好物なの!」)は口の中でさわやかに溶けていく逸品でファンが絶えないという。他にももうちょっと東にお気に入りのショップがあるがそっちのミントチョコレートにはまた別のこだわりがうんぬんかんぬん……。

 ハニーは話がオーナーの顔面のことに入ってから早々に自分の世界に引っ込んでいた。気がかりなことはいくつかあるが、今は、弾丸のことを考えたい。前々回より余裕がある心境で、前回より近くで見たおかげで、ビター越しにではあるが弾が当たった瞬間がハニーにはよく見えた。着弾の瞬間、はじけて、粉のようなものがぱっとまき散らされた。なんとなくそれが気になる。

 ――フランジブル弾か?

 弾頭に押し固めた金属の粉を使い、貫通力を低くした弾丸である。ビターに対抗する手段に、低威力にしようとする工夫が凝らされているのに気づく。プラスチック銃にフランジブル弾。銀行でチョコレートミントは、普通の銃を使おうとすると「中の人が死ぬ」と言った。貫通させても犠牲が出るだけ、となると、中の人に弾丸を届かせずに、体表だけにダメージを与えるようにしなければならないのか。

 なるほど、と一応の納得をみたものの、「対ビター専用弾」という名称がまだ引っかかる。フランジブル弾をわざわざそういう呼び名にするだろうか? まだなにか秘密がありそうな……たとえば、弾頭の粉になにかの薬品がかかっているとか。甘い匂いもそのせいなのだ。たぶんそうなんだろう、と間に合わせの結論を出したところでウエスト・ハウストン通りに出た。ここから先がソーホーだよ、とミントが思い出したように告げた。

 足元が石畳に変わった。

 ソーホーは、立ち並ぶ建物にその特徴がある。キャスト・アイアン建築――鋳鉄造りの四角い建物は天井が高く、窓が広い。十九世紀には工場や倉庫、のちに事務所やショーウィンドウ、やがて芸術家のロフトやアトリエとして使われたこの建築群は、二十世紀後半の地価の高騰に伴い、敷居の高いものになっていった。今では主にギャラリー、ブティック、レストランが鉄の柱の間に収まっている。

 件のショコラティエは行列ができていたので、ハニーのいらだちメーターの針がまたはね上がった。こいつを置き去りにして帰ろうと思ったが、メルバ所長の小憎たらしい面が目の前にちらつく。あのガキをまた不機嫌にすると、自分の目的から遠のいてしまう。ハニーはキャスト・アイアン建築の非常階段を眺めて、殺し屋が今のミントを狙ってくるとしたらどこからか、というシミュレーションを頭の中ですることで時間をつぶした。並ぶこと十五分、狙撃ポイントを絞り込んだところで列が大きく進み、やっと店内に入ることができた。

「あ、プティットがいるよ! かわいい」

 ミントがショーケースの前を行ったり来たりしながら買うものを吟味し始めたので、ハニーはやることもなくプティットの方に近づいた。プティットは百センチくらいの背丈の丸っこいドローンで、主に試食品の配布や迷子の捜索に使われている。ここにいるプティットも、首にかけたかごから小袋を出して客に配っていた。

「イラッシャイマセ」とプティットは古い機種特有のぎこちないしゃべりかたで言った。「新製品ノミルクココアデス。ゴ家庭デ本格派ノ味。オ試シアレ。オ試シアレ」

 ロボットから配られると断りにくいのはなんでだろうな、と思いながら仕方なく受け取ると、もうひとつ差し出された。「オヒトリサマ、オヒトツデス」

 つい表情をゆるめる。「おまえいいやつだな」

「甘クテオイシイ、ミルクココア!」

 支払いを終えたチョコレートミントと合流したのはさらに十五分後だった。目当てのものが買えたミントはご機嫌だ。「ココアもらった? あのプティットかわいかったね。ほら、見て! ミントとプラリネとオレンジのチョコを買ったんだ」

「そいつはよかった」

「もちろん研究所で食べる分もあるよ」

「そいつはよかった」

「楽しみだなあ。あ! あそこの服屋に寄ってもいい?」

「帰るぞ」

 などと往来で言い合っていると、チョコレートミントの肩にポンと手が乗せられた。

「ちょっといいですか?」

 手の主は女性警察官だった。

 パトロール業者ではなく、ちゃんと公務員の警察だ。日焼けした顔の中で、瞳が鋭く光っている。と思いきや、長いウェーブの髪を払い、笑顔になった。「春の防犯運動の特別警戒中なんです。ご協力いただけますか?」

 職務質問だ。

「なんですか?」ミントが無邪気に応じる。余計なことを言うな、という気配が自分に向けて発せられているのを感じたので黙っていることにした。

「今日は休日ですか?」

「仕事中なんですけど、ちょっと買い出しに来たんです」

 ミントの普段より一トーン高い声の応答を聞きながら、ハニーは、小さな違和感と共に警察官の動向に気を配っていた。職務質問をかけるとき、なるべく警察官は二人でいるものではなかったか。あやしい、という視点で見ると、なにもかも不自然に感じる。警察官のくせにまとめられていない髪、強い香水。それだけならこういう個性で済ませることもできたが、下にそっと目をやって眉根を寄せる。女は制服のパンツスタイルだが――足元がハイヒールだ。パトロール中なのに?

 警官じゃない。

 ハニーは言葉を選んだ末、ミントに「主任」と話しかけた。「そろそろ戻らないと、会議に遅れますよ」

 チョコレートミントは振ったこちらが驚くほど柔軟に反応した。「そうだね! もう行ってもいいですか?」

「すみません。最後にもうひとつだけ」

 警察官は上着の内側をさぐった。なにかを引っ張り出して、ミントの鼻先に持っていく。

 チョコレートミントの肩をつかみ、ぐいっと引っ張った。ひざをぐっとため、できる限りの力で後ろに飛ぶ。バランスを失いかけた体を、無理やり立て直し、女に背を向けたところで、衝撃と音が後頭部を押した。

 その勢いのままに走り出した。



「なんでばれたかな」とアンゼリカはひとりごちた。あの男、最初からこちらを警戒していた。動きも常人とはちょっと違う。鼻の利く用心棒でも雇ったか? まあ、いい。ラムネ菓子のケースを懐から取り出す。チョコレートミントの方が生きてさえいれば、他はどうだって。

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