第3話 弾丸を喰え

弾丸を喰え①

 アンゼリカは潮風を浴びながら、休暇を満喫していた。常夏のビーチでピニャ・コラーダ片手に日光浴をするこの幸せのために、働いているようなものだ。事実、アンゼリカは働いてまとまった金を作ると南の島にバカンスに行き、金が尽きるとまた仕事に戻る、という生活をここ何年か続けていた。アンゼリカは幸福だった。太陽と自分のあいだにパラソル以外のなにもない。波の音が心地いい。お酒がおいしい。最高だ。

 だから、携帯端末が鳴り、電話をかけてきたのが仕事相手だとわかったとき、そいつを爆殺したくてたまらなくなった。

「爆ぜろ」

「聞いてくれ、アンゼリカ」

「連絡してくるなって言ったよな。切るぞ」

 アンゼリカの方はこれで要件終了だったが、相手はそうでなかった。

「メルバが生きてる」

 その言葉に、電話をぶん投げる寸前だった手を下ろし、耳のところに持っていく。

「チョコレートミントも生きてる」皮肉たっぷりに相手は続けた。「もっとも、彼女の方は生かしておいてほしいって言ったけど」

「なに?」

「あんまり言いたくないけど、きみは殺しに失敗したんだ」

 ビーチチェアの上でアンゼリカは硬直した。そんなわけあるか。自分史上最高の爆薬で仕留めてやったはず。クイーンズにあったやつの研究所をこっぱみじんにしたのを確認して、セブ国際空港行きの飛行機に飛び乗ってきたのだから。

「メルバとチョコレートミントはミッドタウンの新しい研究所でピンピンしてる。ということで、きみへの報酬は残念ながら払えないよ」

「なんだと」

「当然だろう? 殺しに払う金さ。死んでなければ払う意味がない」

「技術に払う金だろ?」

「より正確には、結果に、だ」

「てめえみたいのが技術者をつぶすんだ」

「ならストでもするかい?」

「労働争議をする気はないよ」アンゼリカは毒づいて立ち上がった。「戻りゃいいんだろ」

「そうしてくれると助かる」

 グラスを空にして、サンダルを拾って、アンゼリカは砂浜を後にした。海はいつだって待っていてくれる。そうはわかっていたものの、気が立って仕方なかったので、帰国して早々にパトカーを二台爆破した。



「いかがでしょうか? ミッドタウン・イーストの新築物件、グランドセントラル駅から徒歩一分の好立地。周囲には複数の飲食店や二十四時間営業のスーパーマーケットもあり利便性は抜群です。セントラルパークも徒歩圏内。ドアマンとコンシアージュが常駐、家具付き、バスタブ付きのバスルーム、洗濯機と乾燥機が各お部屋に備え付けとなっております」

「家賃は?」

「月4220ドルでご案内させていただいております」

「他の部屋を。もう少し安いところを」

「かしこまりました。こちらはいかがでしょうか。マレー・ヒル、イースト川を望む築七十年の高層アパート。地下鉄最寄りまで五分、複数ラインをご利用可能で交通の便は上々、ランドリールーム、ジム、サウナ、ルーフデッキが完備されております」

「それでいくら?」

「月3560ドルでございます」

「他の部屋を。もう少し安いところを」

「承知しました。こちらはいかがでしょう。ブルックリン、七番街のお部屋です。南向きの窓、エレベーター付き、一階はカフェになっています。モダンなキッチンにたっぷりの収納。冷暖房やインターネット回線ももちろん備え付けです。マンハッタンへのアクセスも良好です」

「で、家賃は?」

「月2850ドルとなっております」

「ふざけてんのか」

「もう一度条件を入力しなおしてください」

 ヘッドマウントディスプレイを外すと、ブルックリンのアパートの室内がかき消え、なにかのマシンと段ボール箱が端に積まれたメルバ研究所のオフィスが目の前に広がった。

 住むところの問題がいよいよ深刻にハニーの身に迫ってきていた。早く決めたいところだが、家賃が高い、問題はその一点に終始した。どこでもいいとは思っていたものの……マンハッタン島はもちろん、ブルックリン、クイーンズ、ハーレムなど近辺のエリアは今まで官舎や田舎のアパートばかりに住んできたハニーには到底許容しがたい価格と狭さの部屋ばかりだ。金はできるだけ貯めておきたい。マスタード修復の資金にしたいし、この足をきちんとメンテナンスする余裕は持ち合わせておきたいからだ。ルームシェアは論外だし学生街もちょっと無理、となると……ハニーは眉間にしわをよせつつタブレットを操作した。治安と利便性を犠牲にするしかない。ニューヨーク郊外はどうだ? となりのニュージャージー州1500ドルの物件。悪くない、でも交通費と不動産業者仲介料を含めると……。

「通勤時間も問題だよねー」

 ソファの後ろから、チョコレートミントがハニーの手元をのぞき込んでいた。

「一時間もかかるんじゃねー」ミントは続けた。「緊急のときとか、呼び出して着くまでに死んじゃうよねー、あたし」

 タブの電源を落とす。「NYCCは住むところじゃねえな」

 チョコレートミントがにやにやした。

「なんだよ」

「あたし部屋決まった」片手を上げて宣言する。「住み込みはこの機会にやめることにしました。ひとり暮らしします!」

「また研究所が爆破されると困りますからね」エプロンの女性が、テーブルにティーセットを並べながら言い添えた。「私物がなくなって、かわいそうだったもの」

 チョコレートミントが見せてきた部屋の写真には、高い天井、つやつやのフローリングに真新しい壁紙、マンハッタンの美しい夜景が見える窓を持つ、少なくとも十階より上にある部屋だった。ゆったりしたリビングから窓を開けて、テラスに出られるようになっている。

「理想はこうだよな」

「ほんとに住むんだって!」

「家賃の目安って知ってるか? 月収の」

「三分の一でしょ?」

「疲れてるのか? 命狙われるのストレスだよな」

「妄想じゃないから!」

「……どっかの富豪と付き合ってる」

「付き合ってません! 付き合いたいけど」

「おい」とメルバが横槍を入れた。メルバは床に直置きした機械の前に座り込んでなにやらいじくっていたが、そのときだけハニーの方へ向けて厳しい視線を飛ばした。「うちがちゃんと給料を出してないとでも言いたいのか?」

「失礼した」ハニーはメルバの心証を上げるためだけに謝罪した。「でも、そんなすごい部屋をおまえひとりで」

「それはぁ、ひとえに」彼女はへらへらと両手でピースを作った。「ミントちゃんの人徳ですね!」

 なんの参考にもならないチョコレートミントの部屋自慢を右から左に聞き流しながら、今日あたりもっと安いホテルを探して移るか、と暗い決意をしたところで、警告音が耳をつんざいた。

「あっ、ごめん」メルバが色めきだつミントをなだめた。「調整中で……今止めるから」

 メルバの自作したビター発見システムは、監視カメラの映像を土台にしている。NYCC市に張り巡らされた監視の目の中で、ある程度の大きさの黒い塊をコンピューターが選別しているのだ。加えて、各種ソーシャルネットワークサービスのタイムラインからもビターの画像と動画、「ビター」などのワードを抽出するように設定している。

「これは今世紀最大の発見なんだが」メルバがまじめくさって言う。「ホモ・サピエンスという生物は、自らの危険が迫ると携帯端末を構えて写真を撮るという性質がある」

「本当ですか? 博士。信じられません」変な口調でミントが応じた。「生命の危機よりSNSを優先するなんて、生物の営みを外れていませんか?」

「DNAにそう刻まれているのだろう。過去にそのような進化を促す要因があったのか、それはいったいなんだったのか……疑問は尽きない」

「つくづく奇妙な生き物ですねえ。研究しがいがありますね!」

 メルバとチョコレートミントがじっと顔を見てきたので、ハニーは仕方なく相槌を打った。「不思議だな」

 監視カメラの位置、記事が投稿された場所・時間をマップに反映させ、出現場所を特定するところまでがこのシステムの本来の役目だ。旧研究所爆破を受けて、メルバはシステムを一から組み直していた。

 もともと精度は甘いんだけど、とメルバはぼそぼそ言い訳するが、今のところ六十パーセントの確率で神出鬼没のビターをとらえているならばなかなかのシステムだ。ビターの現れる条件、ふだんどこに潜んでいるのか、どのタイミングで人に取りつくのか、まだわからない以上、その先の数字へいくのは難しいのかもしれない。

 また警告音が鳴った。

「まだ調整終わらないの?」

「いや、これは本物。グリニッジ・ビレッジ、六番街を南下してる。五メートル大だ、今ベーカリーがぶっつぶれた……おい、もちろんきみも行くんだよ、ハニーマスタード、働け、せっかく雇ってやってるんだからな」

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