チョコレートミントは眠らない⑤

「お取込み中すいませんね」

 男はこちらを見てにやにや笑いを浮かべた。いっそレンチで殴られていればよかったとハニーは思った。

 ドレッドヘアは女を突き飛ばした。レンチを取り落とし、どさりと長いすに収まった女の頬をつかんで引き寄せる。自分を無様な姿に拘束した女だが、はたから見ていていやな光景だった。ドレッドの目つきが好色そうなのも不快だ。

「例のものを渡してもらおうか」

「なんのこと?」女は挑戦的だ。

「とぼけるなよ」ドレッドの腕に力が加わる。女の足がびくりとふるえた。「どこにある」

「言うと思う?」

「言ってもらわなきゃならないんだなあ、これが」

「あんたたちに渡すくらいなら、ブロンクス動物園のゴリラにでもやったほうがマシね」

 男は銃先を女の腹にめりこませた。「おい、彼氏さんよ」女の悲鳴をかき消すように声を張り上げる。「この子の体に風穴開けたくなかったらな」

「彼氏じゃない」ハニーは早めに否定した。

「なんでもいいけどよ」ドレッドは柔軟なところを見せる。「研究体を渡しな」

「研究体?」

「こいつなんなの? モグリ?」

 ドレッドがあきれたように首をふったタイミングで、女が反撃した。決死のパンチはいとも簡単にはたきおとされ、逆に平手をもらい、再びいすに沈み込む。

「めんどくせえなあ、まったく」ぼやきながら、ドレッドは女のバッグを拾い上げ、中身を床にぶちまけた。メイク道具や手帳、ハンカチやイヤホンがばらばらと落ちる中、ペットボトルのようなものがごろりと転がり出た。飲み口のところが広く、形状は水筒に近い。透明で中身が見えた。

 ゼリー状の炭色の液体だった。

 目を見開くハニーに、ドレッドはにやりと口角をつりあげた。「ほんとにお兄さんなにも知らないみたいだし、教えてやるよ。この女はビターの死体を集めてんのよ、自分たちの研究のためにな」

「ビターの死体? それ死んでるのか」

「その秘密をこいつらだけがにぎってる。それを開示しようとしない。人類共通の敵が現れたってのに、ひどい話だと思わねえか?」

「ひどいのはあんたたちよ」女がかすれ声で言った。「お金のためなら、人の研究成果を力ずくで奪ってもいいってわけ?」

「金のためなのはそっちも同じだろうが。賞金を独り占めしたい、だからビターを殺す方法は教えられない。そりゃあ実力行使にも出る」ドレッドは両腕を広げた。「これは人類社会のためだぜ。ビターにやられて死んだやつだっている。被害者の前で同じことが言えるかな?」

「なにが人類社会のためよ、研究の妨害しかしないじゃない。あんただってどこぞの研究者に雇われた泥棒でしょ? 欲に目がくらんだゴロツキが、半端な覚悟で首突っ込まないでよ!」

「ま、ほざいてなよ。こいつはおれの雇い主のものだ」ビターの入れ物を脇に抱え込むと、ドレッドはウィンクをよこした。「なんだか知らないけど、お兄さんのおかげですげー楽に事が運んだぜ。ありがとな」

 女の手足がみるみるうちにガムテープで縛られていった。ドレッドは部屋のエアコンを止め、自分のかばんから取り出したアロマディフューザーを部屋の中央に置いた。スイッチを入れるとすぐにシューッと音が上がる。この状況ならまずアロマじゃない。おそらく、一昔前に流行ったミストで楽しむドラッグだ。すぐハイになれる手軽さがうけて、キャンプでも若い軍人が何人も手を出した。密室ならたった三十分でオーバードーズだ。

「若い男女、ホテルの一室で中毒死」新聞の見出しを読み上げるように言い、部屋の様子を満足そうにながめる。「じゃあおふたりさん、またあとでな。おれはこいつを雇い主様に届けてやらないと。そのあとでまた会いに来るよ。死体のあんたらにな」

 高笑いしながら、ドレッドは悠々と部屋を出ていった。

 ハニーは口を開いた。「賞金って?」

「国からもらえる研究資金ね。ビターの研究成果を提出するとお金がもらえるの。人に仇なす未確認生物だもの」

「ふーん」

「ごめんね」

「なにが?」

「足のこと。さっき。軽率に触ろうとして悪かったと思う」

「そっちか」

「あと、一緒に死ななきゃならないかも」

「そっちだよな」

「でも、その足大事なんでしょ」

「とっても」

「なんでそうなったの?」

「おれが足をなくしたとき、友達のをもらったんだ。そいつはそのときに……」

「そう……」女が目を伏せるのが見えた。「大切な人だったんだね」

 その言葉は思いのほかまっすぐに飛んできて、ハニーの胸にすとんとおさまった。「ああ」

 沈黙が流れた。

「提案があるんだが」

「提案があるんだけど」

 ふたりの声が重なった。

 女の方が押し切った。「あんたの雇い主の二倍のお金を払うから、ここから出てあいつを追いかけて、研究体を取り返して」

 ハニーは無言だった。

「どうする? このまま中毒で死ぬ?」女はじれったそうに言った。「あんただってだれかの差し金でしょ? あいつらに先を越されていいの? それに、あんたの雇い主はあんたに研究体のことも教えなかった。そんな上司、ありえないって! 帰って文句のひとつでも言ってやりなよ! パワハラで訴えたら勝てるかも。ねえ、どうなの? やばい、気のせいかな、なんかだんだんぼんやりしてきた感じしない?」

 おもむろに口を開く。「おれの仕事はおまえを殺すことだ」女の息を飲む声を無視する。「だから研究体のことなんか知る必要はないし、このままじっとしてても目的は果たされる。刺し違えだけどな。それを忘れるな。以上を踏まえてだが」女と目を合わせた。「三倍だ」

「絶対、絶対ボスに出させる」

「手錠の鍵は?」

 ドレッドが床にばらまいた荷物の中にあった。

「これを外さないと」女は後ろ手に縛られた腕をゆすった。

「なにか刃物は?」

 女のメイク道具の小さいはさみが後ろ手で扱える代物ではないことを見て取ると、ハニーは枕をつま先で引き寄せ、壁の飾り棚に向かって蹴っ飛ばした。棚に乗っていた花瓶が落ちて割れる。女はそこまでじたばたと這って行って、陶器のかけらを使ってなんとかガムテープを切った。足の拘束も切り、荷物の中から銀色の鍵をつまんで、よろめきながらベッドに駆け寄った。

 右手の手錠が外れた。

 女は狂ったように床の上をさらっている。「鍵、もう一個、見つからない!」

「いや、片方外れりゃ十分だ」

 ベッドの上で立ち、木製のヘッドボードに蹴りを入れた。

 音を立てて板が割れる。もう何発か入れて、折れた木材から左手を抜き出す。

「経費ももちろんそっちが出してくれるんだろ?」

 なにげなく言い残し、ハニーは窓を開けて四階から飛び降りた。

 玄関先に着地する。バイクにまたがったドレッドの後ろ姿が南へと遠ざかっていくところが見えた。青信号の交差点を右折していく。

 アスファルトを蹴った。

 若い男を追い抜く。自転車を追い越す。原付バイクと並走する。掃除ドロイドを飛び越える。標識をよける。体をぐっと倒して曲がる。バス停のベンチを踏み切って、ワーゲンのルーフに飛び乗る。ひざをばねにして、前の車にジャンプする。ドレッドヘアが見える。隣のトラックに移る。頭を下げ、迫る信号機をよける。荷台を駆けて行き、前を走る日本車に飛び降りる。

 目標のバイクが速度を上げる。気づかれたか。

 だが追いつける。

 すばらしい、文句なしの足だ。なんてスピードだろう! 地面にくらいつき、押し放す、重力に従い、逆らって上がり、進む。一年前には考えるのも絶望的だった、走れるということの喜び――見てるか? マスタード。おまえのおかげでこんなに速く走れるよ。

 車五台分先にいる。SUVのルーフを蹴る。ワゴンにしがみつく。イエローキャブに足場を借り、観光バスの上を転がる。

 あと車三台分。

 バイクが急に方向転換した。歩行者道に突っ込むのを、車の上から降りて追う。バイクが通行人や屋台をなぎ倒していく。倒れた鉄パイプ、ごみ箱、自転車をよける。ドレッドはまたむりやりハンドルを切り、タワー式駐車場に入った。反対側から抜ける気か。まっすぐ疾走する。ぐんぐんと距離が縮まる。ドレッドが何度も振り返る。

 とんと地面を蹴り、右の柱をちょっと足で押すと、バイクの真上に躍り出た。ドレッドの頭がちょうどいいところにきたので、そのままひざで蹴った。

 がっしゃーんと轟音が響き渡った。

 おしゃかになったバイクの横で、ドレッドが手足を放り出して倒れていた。頭と鼻から血を流している。無傷で立ち上がり近づくを指さす手が震えている。

「あ、あんたターミネーターかよ」

 思わず笑ってしまった。それは明らかに、殺し屋に対する賛辞だからだ。



 研究体のボトルを持ってホテルに戻ると、女はすでに換気と散らかった荷物の片づけを終えていた。緊張した面持ちでいすに腰掛けていたが、ハニーを見るなり顔を明るくして駆け寄ってきた。「わ、早い! ほんとに取ってきたんだ!」

 ボトルを渡し、その頭にドレッドから奪った拳銃を突き付ける。

「ビターは取り返したぞ。死ね」

「ちょっと、それってないでしょ!」

「おまえを殺さないとは言ってない」

「報酬が欲しくないの?」

「依頼を無視するリスクのほうが高い」

「堅実ね。うそつきだけど」

「おまえこそな」

「なにが?」

「発信器の逆探知なんか現実的にできないだろ。おまえはうそをついている」

「科学に不可能はないでしょ」

「今は不可能だ。違うか」

「だったらなんなの?」

「なぜおれの居場所がわかった」

 このタイミングで電話が鳴った。女のだ。奪って、出る。電話の向こうに答えがあった。

「どうもー。首尾はどんな感じ? 会えた?」

「眠らない女なら今殺すところだけど」

「あれ? なんでおまえが出るんだ」

「こっちのセリフだよ」

「あらら。ちょいと見立てが甘かったか」

 女が口をはさんできた。「あんた、アーモンドファッジとどういう知り合いなの?」

「アーモンドファッジ?」

「今はその名で通っている」と先輩。

「ちょっと!」女が声を大きくした。「あたし殺される話になってんだけど? もう、ほんっとあんたって信用できない!」

「マサムネ、銃を下ろしてくれ」

 言う通りにして、ハニーは相手がなにか言うのを待った。さぞかしすてきな状況説明をしてくれるのだろう。なぜ殺される予定の女と殺す依頼を仲介した男が仲良くしゃべっていられるのか。

 ファッジがせきばらいした。「あー、とりあえず、その子は撃たなくていい」

「だろうな」

「彼女から話は聞いたか?」

「なにを?」

 ここで女がドレッド男の一件をまくしたてるように説明した。「へえ、それは大変だったね」と言うファッジの声に、ぴんときた。

「全部あんたの仕込みかよ」

 女も息を飲んだが、アーモンドファッジはひょうひょうとしていた。「怖い声出すなよ」

「なんなんだ? おちょくるのもいい加減にしろよ」

「とにかく、だいたい事情はわかっただろ?」

「コーヒーゼリーみたいなクリーチャーの?」

「おまえ、そこで仕事世話してもらえ」

「は?」

「用心棒に推薦しといた」

 用心棒って、この女の? いよいよ先輩がなにを考えてるのかわからなくなってきた。女が「それは予定内」というような顔をしているのに腹が立つ。こいつも同じくアーモンドファッジ先輩の手のひらの上に違いないのだが。

「今日はつまり、おまえの面接兼実技試験になったわけだな」

「知らされてねえけど」

「機嫌直せって。ほらな、こうでもしないと話聞かねえだろ」ため息が聞こえた。「なあ……マスタードのことだけどさ」

「………」

「気の毒だったよ」

「今その話は関係ない」

「おまえ、自暴自棄になってんだよ。だから殺し屋になれという無茶な頼みにもほいほい応じる」

 それはあんたが、と声を上げたのを、先輩はささやくような声でさえぎった。「とにかく、その女のボスに会え。MUTとのパイプが作れるぞ」

 MUT……頭の中からなにもかもが吹っ飛んだ。マンハッタン工科大学! 世界でもトップレベルの、機械工学と情報工学の名門校!

「いやあ、礼はいいよ?」言葉を継げなくなったハニーにファッジはたたみかけた。「おれはおまえに借りがあるからな。できるだけ、おまえのやりたいことを支援してやりたい。で、おれなりに考えたおせっかいがこれ」

「………」

「じゃ、そういうことで」

 切れた電話を耳に当て続けながら、ハニーは今の会話を反芻した。自暴自棄。そう見えるのか。そうかもしれない。どうすればいいかわからない。地球に帰ってきてから、いや、友人と足を失ったときから、ずっと。あいつとの約束を守るべきだと思う。火星の仕事が終わったら、ふたりで旅をしよう、でももしどちらか一方が死んだら、残ったほうがそいつの分まで世界を見て回ろう。そういう約束だ。

 正確には、こうだ。「ハニーが亡くなったら、わたしが。もしわたしが修理不可能な損傷を受けたら、ハニーが。片方がもう片方の分まで地球の絶景を見に行く。これでいいですね?」

 心臓が早鐘を打っている。修理不可能な損傷を受けたら……。MUT……。無意識に胸元を握りしめていた。シャツの上からロケットの形をなぞりながら、もう一度あいつに会いたい、とたまらなく思った。

「えーっと」女がおずおずと切り出した。「どうする? うちの研究所で働く? えっと、ハニーさん、っていうんだよね?」

 心を決めた。チャンスだと思った。ここまできたら、おぜん立てに乗らないほうが後悔する。

 眠らない女は右手を差し出した。「あたしはチョコレートミント」

 握手に応じる。殺し屋として名乗るべきか?「ハニー……マスタード」

「契約成立!」女はふとまじめな顔になった。「……とその前に、一応聞いておくけど」

「なんだ」

「なにが目的なの?」

 こいつに隠してもしょうがないか、と思うほどには、彼女に対して悪い印象を抱いていなかった。こいつはただの底抜けのアホでお人よしの若い女だ。飛び入りのパーティーでだれよりも、ひとりぼっちのやつを気にかけていた。このごく普通の娘を、だれが暗殺したがるのか、そっちのほうが気になっていたくらいだ。

「……アンドロイドを探してる。ケートエレクトロニクス社製、二足歩行で人工知能を積んだ、MS-T4400という型の戦闘支援アンドロイドだ」

「アンドロイド?」

「この足の本当の持ち主」左足に触れる。カーボンのすべすべした表面を指先でなぜる。「おれの親友の、体を探している。……直してやりたいんだ」

 開いた窓から風が吹き込んできた。春の夜更けの穏やかな風が、窓辺にマメナシの花びらをそっと落としていく。うまく殺し屋になれたかはわからないが、新しいことの始まりにはふさわしい夜だった。

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