第32話 リアルファイト
家の玄関扉が開いて通知が届くことは良くあること、というかいつものことなので割と慣れていたのだが、今回はタイミングが不自然過ぎた。
《デスゲーム事件》の新たな情報収集に熱意を見せていた小春さんが、大事な試合中……それも、姉であるグレイスの試合が控えているのにログアウトして帰って来るとは思えない。
一応職場からログインしていると聞いているが、仮に家の中からログインしていたとしても、やっぱりドアが開くことは不自然だ。
ヘイズとの戦いをキラに任せてログアウトした後、手早く状況を確認しようと《ヴァーチャル・アーク》を頭から外した。
同時に、俺の部屋のドアが開く。
「ここが奴の部屋か……多少手間取ってしまったな……」
ドアを開けて入って来た侵入者と目があった。
「お前……確か夕陽雄斗、だっけ?」
相手は《デスゲーム事件》の捜査にも関わっている警察官、雄斗だった。確か小春さんの部下でもあったはず。だが、そんな彼が何故ここにいるのか。
俺が声を掛けると、相手は驚いた表情を見せた。
「何でお前が起きているんだ? まだ《ゴースト・アリーナ》で戦っていたはず……」
「あ? そこには答えられないな。お前こそ、何故《ゴースト・アリーナ》の観客席から抜け出してこんなところに来たんだ? 観戦も仕事の内なんだろ?」
「そんなの決まっている!」
そう叫んだ雄斗が格闘家のように拳を構えた。
「俺の弟や恋人を容赦なく殺していたお前を、俺が殺すんだよっ!」
「しまっ……」
VR空間なら、相手の攻撃が届く前にその攻撃のコースが直感で分かるのだが、今の状況では全く相手の攻撃が読めない。
それでも、VR内での戦闘経験だけはあるので何とか一発目のパンチを避け、二発目をガードした。
「ぐっ……」
だが、ガードは完全に悪手だった。
殴られた場所が痛すぎて、思わずベッドに転がる。
ダメだ。
体力差があり過ぎる。
俺の貧弱ステータスでは、真正面から戦うと勝ち目がない。
相手が近付いて来る前に、援軍を呼ぶことにする。
「ヘイ、アーク! マムポンにメッセージ……〈客が来たぞ!〉」
相手に殴られながらも何とか言いきる。ベッドの上で完全に馬乗りにされた状態のまましばらく睨み合った。
「森本未来、今何をした?」
俺が何か答えるよりも先に部屋に置かれていた《ヴァーチャル・アーク》からエレクトリックな返答が来た。
「マムポンさんにメッセージを送信しました」
「何っ! コイツ、こんな機能もあったのか? あまりゲームをやらないから知らなかった。それにしても聞いたことのない名前だな……そんな変な名前の奴がこんな場所に来れるわけがないだろう。外部から通報するにしても、お前を殺すには十分な時間が生じるはずだ。残念だったな」
余裕のある表情を見せる相手に向かって、数回拳をぶつけてみた。
しかし、相手の身体が予想以上に固く、殴られた雄斗よりも、殴った俺の方がダメージを受けている気がする。
「ふん。ゲーム内では威勢が良くても、現実じゃ全然相手にならんな」
そう言った雄斗が首を手で掴んで締め上げてきた。
足をばたつかせても全く相手にされていない。
相手の片手をこちらの両手で引き剥がそうとしても、全くビクともしなかった。
「俺はな、最初からお前のことが気に入らなかったんだ。あの警察学校でのトレーニングの時も、俺の事を雑魚扱いしやがってよぉ。《WHO》内でも、サイコパスみたいな人数の人間を殺して、ヘラヘラしやがって……菊池さんのお姉さんも殺していたことが分かった時はマジでお前を殺そうと思った。被害者を目の前にしても全然態度を変えねぇとかイカレてやがる」
怨嗟の視線を受けながらも、相手の手を振りほどくための手段を考える。
しかし、体力的にどうしようもない。
体力と言えば、俺の体力ゲージの残りは……と思っていつも体力ゲージが表示されている場所に視線を動かしたが、何も無かった。
「でもな、その時はまだ思いとどまれたぜ? だが、今日お前が俺の弟と恋人を殺していたことまで分かったんだ。もう法律だって怖くない。弟たちの仇を討てない方が怖いんだよ!」
今日だけでも多くのアバターを倒したので、誰が雄斗の家族なのか分からなかった。
だが、雄斗って名前の響きから推測すれば……。
貴重な息を吐き出しつつ、
「《ゆうとぴあ》の連中のこと……か?」
と聞くと、若干手を緩めてくれた。
雄斗の中で、自分の親族に関する情報を知りたいという欲求が働いているのだろう。
「そうだとも。俺の弟の名はユウヤ。そして、《WHO》が始まる前の俺の恋人はユウカだ」
「ユウヤってのは俺が最後に倒した奴のことだな? しかし、ユウカというのは……あのギルド、確かもう二人女性プレイヤーがいたはずだからよく分からん」
再び雄斗が俺の首を締め上げて来た。
「お前が覚えているかどうかは知らないが、最後にお前の足を掴んだ人だよ! チクショウ、何で《WHO》に結婚システムなんてものがあるんだよ! どうしてユウカは《WHO》の中で結婚しているんだよ! 何で他の男の横で幸せそうに笑っていたんだよ!」
一度叫んだ雄斗が腹を殴ってきた。
一気に空気が漏れて一瞬目の前が真っ白になる。
「弟と恋人が帰って来なかったことも! 帰って来ないどころか挙句の果てに、嘗て将来を誓った恋人がどこの馬の骨とも知らんような奴に寝取られているのも! 何もかもお前が悪い……! だが、お前を簡単には殺さない。あいつらが受けた痛み、そして、俺の痛みをお前の身体にたっぷりと刻み込んでから縊り殺してやる!」
何度も身体を殴られる。
このままでは絶対に勝てない。
素手では明らかに無理。
何かコイツを倒せるだけの道具があれば……。
部屋の電気が暗いままであることに加え、酸素不足なのか視界が既にぼやけてきていたため、チラチラと視線を動かしても、全然手ごろなものが見当たらなかった。
流石にそろそろ限界かと思っていると、馬乗りになったまま雄斗が俺の首から手を離した。
一気に空気が入って来て思わず咽る。
俺がどれだけ殴ってもダメージにならないということを知っている雄斗は、馬乗りになったまま、余裕たっぷりの表情で、何故か俺のズボンとパンツを同時に降ろし始めた。
「んん? 死にかけている状況で興奮しているなんて、流石デスゲームなんていうマゾゲーが好きなだけはあるな」
「げほっ……ど、どういう意味だ?」
雄斗が笑いながら答える。
「どうもこうもねぇよ。チンコ見れば分かんだろ?」
「は?」
困惑している俺の目の前で雄斗もズボンのチャックを降ろして、パンツから自分のチンコを取り出した。
俺のものとは明らかに段違いの大きさ。
そして、頭がクラクラするような臭いも加わって、若干威圧される。
「いやぁ、お前のことを散々サイコパスと言っていたが、俺も中々素質があるみたいだ。……お前が苦しむ姿を見ると、勃起が止まらないんだよォ!」
恍惚とした表情で、意味不明な言葉を言い始めた雄斗に気圧されながらも、この状況に逆転の光を見出した。
そう、《WHO》や《YDD》の人型の敵には幾つかの弱点部位があり、その一つが股間なのである。
相手のイキり立った無防備チンコを左手で掴んで、右手で思い切り殴る。
この熱と臭いは気持ち悪いが、そこは我慢しつつ何発も続ける。
かなり効いているのか、初めて雄斗の口から苦悶の声が聞こえた。
「痛っ! クソガキ……手が冷たいんだよ!」
また腹に一撃貰ってしまい、手が止まる。
そこに、電子音とハイトーンボイスが割り込んできた。
「ドアが開きました」
「何? どういうことだ?」
その数秒後、俺の部屋のドアが蹴破られるように開けられ、軽く武装した小春さんが入って来た。
すぐさま俺にマウントしていた雄斗が吹き飛ばされる。
雄斗と取っ組み合いになりながらも、俺の方に声を掛けて来る。
「未来くん、無事?」
「遅いぞ……だが、助かった。ありがとう」
増援を想定していなかった様子の雄斗が声を絞り出す。
「……菊池さん? 何で菊池さんがここに? どうやってこのことを知ったんですか?」
「仕事で使っている端末の方にはこの家特有の通知が来ないから危うく気付けないままになるところだったけど、私がプライベート用に持っている方の《YDD》アカウントに、未来くんからのメッセージが届いたからよ」
数秒思索を巡らせた雄斗が、真相にようやく辿り着いた様子で歯噛みした。
「クソッ。あの変な名前がここに繋がっていたのか!」
だが雄斗にはまだ疑問が残っているようだった。
「しかし、仕事用のアカウントを使っていればそんなことには気付けないはず……」
「公私混同みたいで本当は良くないんだけど、今日は私の普段のアバターを姉さんに見せたくて……」
「なるほどねぇ」
悔しがりながら、しかし雄斗は笑みを見せた。
ニヤついたまま小春さんに囁きかける。
「そうだ、菊池さんも俺と一緒にあいつを殺しましょうよ。お姉さんを殺して、俺の弟と彼女を殺して、他にも大勢殺しながら反省の一つも見せないサイコパスですよ。俺らは捕まったとしても英雄扱い間違いなしです。菊池さんもあいつに恨みがあるんでしょ?」
小春さんが目を見開いて身体を強張らせた。
その小さな変化に目敏く反応し、嬉々とした声を上げる。
「やっぱりそうですよね? さあ、俺と一緒にあいつを殺しましょう!」
「そ、そんなことは……」
小春さんが俺の方を睨んできた。
その視線を無表情で受け止めていると、小春さんの表情が目まぐるしく変わった。
怒り、憎しみ、悲しみ、哀れみ……その全てを再現しつつ内包したような表情を浮かべた小春さんは、ついにキャパオーバーになったかのように涙を流し始めた。
しかし、雄斗を取り押さえる力が弱まっているようには見えない。
数秒黙っていた小春さんが涙ながらに言い放った。
「確かに、私も未来くんのことを許せないと思うこともある。……でも、今の私は未来くんを守ることが仕事なの。だから、私は職務を全うさせてもらうわ。これが私の正義であり、被害者を守ることが警察の正義なのだから……」
その声を聞き届けて、俺は半端に脱がされていたズボンを完全に脱ぎ、睨み合ったまま動けていなかった雄斗の背後に立ち、ズボンを使って雄斗の首を締め上げた。
カチャリ、と手錠の掛かる音がした後、肩を叩かれた。
「未来くん、もう彼を解放しなさい。あなたが彼を殺してしまっては元も子もないわ」
「そうだね。ごめん」
ズボンを回収し、履き直しながら小春さんに声を掛ける。
「俺はまだ《ゴースト・アリーナ》で戦わなきゃいけない。出来るだけ早く来ないと、グレイスの勇姿を見逃すかもしれないぞ。……いや、小春さんが来るまで頑張って戦闘を引き延ばしてみるから、戻ったらメッセージを送ってくれ」
「ええ、分かったわ。ありがとう。出来るだけ早く行く。……冬香姉さんの晴れ舞台だもの、私が見届けなくちゃ」
玄関まで二人を見送り、手を洗ってから再び《ヴァーチャル・アーク》に手を掛けた。
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