第3話 警察との仕事

 翌日、東京拘置所医務部病院の人たちによるリハビリを受け、自分の部屋に戻り、《ヴァーチャル・アーク》を起動してVR空間へダイブする。

 ほとんどデフォルト状態のまま放置されているマイルームにログインしてコマンドを呼び出し、ひとつのソフトウェアを起動する。

 今回起動したアプリケーションは、いつもの《YDD》ではない。今日の仕事に使うものだ。


 まだ集合時刻には早かったので、俺以外のアバターは一人もいなかった。俺のマイルームと殆ど変わらない、白く殺風景な空間が広がっている。少し動いて、この空間内での身体感覚を確認した。リアル感が強く、どうやら《YDD》よりも《WHO》に近い設定になっているようだ、ということだけは把握出来た。


 約束の時間の十分前になると、一体のアバターが出現した。

 ロングの金髪に黒い髪が少し混じっているこのアバターは、どこかで見た覚えが……。


「うげっ、あんたもこの仕事に呼ばれていたの?」


 開口一番に言われることがそれか。しかしながら、驚いているのはこちらも同じだ。


「えーと、キラ……だっけ? よくこんな仕事を受けようと思ったな」

「警察との仕事なんて滅多にないレアな仕事だし? まあ、監督役としてうちの会社からもう一人来る予定なんだけど」


 話している間に、そのもう一人とやらが来た。


「よっ、キラ。……んで、そっちが噂の新入りだな。俺はヴォルフ。よろしくな」


 ツンツンした赤い髪に似合う強面を綻ばせながら手を差し出して来た。


「はぁ。ミラです。よろしくお願いします」


 手を握り返すと、かなりの握力で握り返された。それに合わせて力を込めようとしたが、全然手に力が入らなかったので、思わず眉をひそめてしまう。


「《YDD》ならこの程度の握力でも余裕で対応出来るのだが……」

「違うアプリなのだから《YDD》とは違う調整が掛けられているのだろうよ」


 ヴォルフは、そんなことより、と言わんばかりに、


「ところでお前、《WHO経験者》なんだろ? ちょいとその話でもしてくれや。俺はアレの抽選に落ちてしまってよぉ。結果的には落ちてラッキーだったとも思っているが、やっぱりちょっとはやりたかったわけよ」


《WHO経験者》……あのゲームから生きて帰ってきた者たちを指すネット用語の1つ。そこに込められる感情は称賛、憐憫、嫌悪など多種多様だが、今回は純粋な好奇心のように感じられた。

 キラがヴォルフを窘めるように小声で囁く。


「ちょっと、あまり深入りしない方が良いでしょ」


 だが、そういう社会的マナーが通用するようなゲーマーは少数派である。


「良い子ぶるなって。お前は聞きたくないのかよ」

「そ、そりゃあ聞きたいけど……」


 二人が同時に期待を込めた眼差しで俺の方を見て来る。とは言え、どこから話すべきなのか、相手がどこまで知っているのか等、分からないことが多くて中々言葉が出て来ない。


「話す内容が多くて困るな。何から話せばいいのやら……もう少し質問を具体的にしてくれ」

「むむっ。確かにそうだな……」

「うーん、何かあったっけ?」


 二人が悩んでいる間に時間となったのか、多くのアバターが同時に出現した。

 一応仕事で来ているという自覚があるのか、二人とも思考を中断して顧客たちに姿勢を正して向き直った。

 武装した警官のアバターが数十体。ほとんどが男で、女性は少数派だった。

 その中から、小春さんと瓜二つの顔のアバターが歩み出て来た。


「この度は警察のVR訓練にお付き合いいただき誠にありがとうございます」

「こちらこそ、このような貴重な経験の場を与えてくださってありがとうございます」


 俺たちの中からは、一番年上と思われるヴォルフが代表として挨拶を返していた。

 これは警察学校が数年前から取り入れていたVR空間内における犯人逮捕訓練に、今回初めて外部のVRプロゲーマーが協力するという企画らしい。

 警察対警察だけでなく、素人に近い人との戦いも経験することによって、更なる経験を積むという目的らしい。概要は双方とも確認済みだったので、早速訓練に取り掛かる。

 俺たちが犯人役なので、用意されていた武器を呼び出した。


「うわ、こんな短いナイフで何が出来るんだよ……俺、短剣スキルとか上げてないぞ」

「そう言えば、昨日もミラ君は長い刀を使っていたよね?」

「おいおい、お前もうミラの様子を見に行っていたのか?」


 どこか得意げに上体を逸らしながら、


「ええ。しかも、私がコイツを倒したら退してくれるって約束までしたのよ」


 全く記憶にないが……ああ、約束はしていないが、「お前ぐらいの実力のやつに負けるようでは引退しなければならない」と煽りも兼ねたことを言ったような気がする。

 数秒考えて、


「単なる試合の感想だったんだけど……まあ、お前に負けたら引退ってことにしてやるよ。そんな機会は訪れなさそうだし」


 ヴォルフが軽く口笛を吹いた。


「ヒューッ、マジかよ。何したらそんな感想になるわけ?」


 薄々察していそうな視線を敢えて無視しながらキラが吠える。


「言ってくれるじゃない! パ……社長に頼んで契約を書き換えてもらうから! 後悔しても遅いわよ。でも、先輩への誠意が見えるような謝罪をしたら今だけは取り消すチャンスを与えてあげる」


 さすがに一介のプレイヤーが契約内容に踏み込むのは躊躇するのか、日和った態度が見えた。その程度の輩に負けるビジョンは見えないので、小さく肩を竦めて聞き流す。


「うわー、先輩の威厳を全然示せてないじゃん」

「うっさいわね! 私は本気よ! 後で契約内容を再確認してひっくり返ればいいわ!」


 俺たちがワイワイ言っているのとは対照的に、警察たちはとても静かに武器を取り出している。どうやら緊張している様子だ。盛り上がっている俺たちに、小春さんが、


「この警察訓練用のソフトは、《YDD》等のゲームと違って、アバターの動きや感覚が現実寄りで、かなり痛みを感じる仕様になっています。皆さんも十分留意しておいてくださいね」


 小春さんもかなり緊張しているようだが、プロ二人はそれほど気にしていない様子だった。


「確かに、契約書にそんなことも書いていたわね」

「痛いっつっても、当たらなければどうということはないだろう?」


 二人が緩い会話をしている間に、俺は自分の身体を少し殴って感触を確かめる。

 なるほど。確かに、今までやってきたゲームよりは痛みを感じる仕様になっているようだ。

 これより痛いゲームも昔やった覚えがあるから、警察という公的な組織が導入できる常識的な調整の限界がこの辺なのかもしれない。

 双方の準備が整ったので、手早く実戦に入る。


「訓練生、夕陽雄斗(ゆうひ ゆうと)です! 対戦よろしくお願いします!」


 少しざわついていた警察側から、一人の男が名乗りを上げた。ヘルメットなどの影響で顔や髪型はあまりよく分からないが、大柄な男だということは分かる。

 俺たちは一瞬だけ顔を見合わせ、俺が前に出た。


「この手の一番槍を務めるのも新入りの仕事ですかね」


 雄斗だけでなく、周囲の警察の様子も窺う。小春さんは、目が合うとすぐに不安そうな表情を浮かべた。

 一通り確認すると、思わず溜め息が出てしまった。


「君たちね、全然ダメ」


 今まで固唾を呑んで見守っていた警察たちがざわつき始める。それを手で制しながら、


「俺、《WHO》ってゲームやってたんだけどさ……あっ、《WHO》って知ってる?」


 全員が頷いた。ここまで知名度が高いゲームなんて、これまでに存在していただろうか。

 それはさておき、


「そのゲームだとね、自分の命が掛かっているから、みんな必死なわけよ。だから、デュエルとかで対峙するとね、君らみたいなヘラヘラした感じなんてしないわけ。君らには真剣さが足りない。せいぜい学生の訓練、たかが訓練用ゲーム、そういう感情しか読み取れない」


 手に持ったナイフを弄びながら、


「なら、リアルの貧弱な身体がベースとなっているアバターだとしても、俺は君たちを殺してみせよう。これが君たちにとって、たかがゲームであっても、俺は絶対に勝つ。それが《WHO》で教わったことであり、プロとして仕事を貰っている者としての矜持だ」


 視線に殺意を込める。俺の経験からすると、視線に殺意が乗れば、その情報がデジタルに反映されて相手に届くはずだ。

 だからこそ相手は怯む。その怯えを隠すかのように、雄斗が飛び出して来た。


「クソっ……舐めるなあぁ!」


 体力はどう考えても相手の方が上。武器の長さでも、俺のナイフより相手の警棒の方が長い。

 しかし、VR空間内での経験だけは俺の方が上だ。

 冷静に相手の動きを観察する。ちゃんと見ていれば、相手がどう動くか、ということぐらいは大体分かる。

 入力されたデータに反応した機械が、計算して結果を出力しようとしている場所さえ分かれば――。


 俺の左半身に何かが起こる気配を感じ取った瞬間、それを避けるために軽く身体を捻る。


 次の瞬間には、雄斗の警棒が先ほどまで俺の左半身があった場所を通り過ぎていくのが見えた。そのまま蹴られないように相手の側面に回りつつ、左足の甲にナイフを突き刺す。

 力を込めても、あまり深くは刺さらなかった。……この靴、固い。そういう装備か。プロテクターや、何か防具を仕込めそうな部分は避けなければならないな。

 焦ることなく狙いをすぐに修正して、膝の裏を一刺し。


「ぐああああぁぁっ!」


 野太い悲鳴に構うことなく、相手の腰から拳銃を奪う。

 これを俺が使えるかどうかは関係ない。とにかく、相手から遠距離攻撃の手段を奪うことが目的だ。

 こちらへ振り向く相手の動作には、先ほどまでのキレが無かった。

 負傷している相手の左足を蹴りながら攻撃を躱し、更に別の機会に相手の右足も潰しにかかる。こうなれば勝敗は決したようなもので、倒れた相手を一方的にボコるだけとなった。


「そこまで! 勝負あり!」


 非力な俺では、アプリ内での勝敗が出るまでのダメージ量を稼ぐまでに意外と時間が掛かりそうだったが、審判が試合を中断させた。試合が終わると、他の生徒が相手の傷を治していた。

 味方の応急処置も訓練の内なのだろうか。


「畜生! 待て! まだ俺は戦える! さっきはヒョロいガキ相手だと思って油断していただけだ! ……おい、俺ともう一度戦え!」


 地面に倒れながら吠え続ける雄斗を一瞥してキラたちの方へ踵を返した。

 再戦すれば勝てると思っているなんて、哀れなヤツだ。本当に殺されそうになっても、死の間際でそういう言い訳を重ねるのだろうか。

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