第2話 一般家庭よりは少しセキュリティの充実した家

 たとえキラが職場の先輩であろうとも、夕食の通知が来ていたし、顔合わせ自体がそれほど重要な用事でもなかったのでログアウトして夕食に備える。


 朝食と昼食は送られて来たものを適当に食べるだけだが、夕食は必ず同居人と一緒に食べる規則になっているので、時間を合わせないと高確率で怒られる。


 そもそも《WHO》時代は病院から定期的に血液を通じて栄養補給がなされていたため、食事に合わせた規則正しい生活を送ることには慣れていた。

 現実世界で肉体に栄養が送られてくると、血糖値やら何やらが原因で眠気が起きる。

 一つのミスが命にかかわる《WHO》において、自分が入院させられている病院の食事時間を推測して規則正しい生活を送り、十分な睡眠や適切なタイミングで休息を取ること等は、比喩でも何でもなく長生きの秘訣だった。最前線の攻略組は、実に健康的な生活を送っていたわけである。リアルの身体が寝たきりだったことから目を逸らせば。

 その延長として、今でも出来るだけ規則正しい生活サイクルを送るように心掛けている。


 ログアウトしてから数分、ダラダラとベッドの上で寝転がっていたが、頭からVR機器《ヴァーチャル・アーク》を外し、ベッドの上で少しストレッチをした。ここ五年、まともな運動をしていなかったので、これぐらいの運動でも愚痴のような独り言が自然と漏れて来る。


「起き上がるのも一苦労だな……」


 ヘッドギアにバイザー状のモニターを搭載しているような見た目のこの機械は、《WHO》専用ハードとも呼ばれている《クオンタム・センチネル》の後継機であり、プレイヤーに対する安全性をメーカーが何度も消費者に訴えた末に作成・販売したものだった。

 PCやスマートフォンがただのゲーム機ではなかったように、《ヴァーチャル・アーク》も様々な機能を搭載している。特に、所謂スマートスピーカー的な機能は多くの人から好評を受けているらしいが、俺個人としては殆ど使いどころがない。

 そんなことを考えていると、


「ドアが開きました」


 という機械的なハイトーンボイスが聞こえて来て、この家のドアが開いた時に《ヴァーチャル・アーク》から通知が来るという面倒な仕様を思い出した。さらに、同期させている携帯端末にまで通知が届く。夕方はまだ良いが、朝はたまに鬱陶しく思うこともある。しかし、この家の仕様だから諦めるしかない。帰って来た同居人よりも先にリビングに移動する。


「ただいま。……未来(みらい)くん、起きていたの?」


 通知が来てから約二十秒後、スーツを着た女性がリビングに入って来た。


「おかえりなさい、小春(こはる)さん。小春さんは、俺が夕食の時間までゲームをしていると、かなり怒るでしょ? だから先に待っていたってわけ」

「あはは、そうなんだけどね。特に未来くんは《WHO》がクリアされてからまだ一ヵ月ぐらいしか経っていないんだから、栄養バランスの取れた食事をちゃんと食べなきゃ駄目だよ」


 そう言われて思わず自分の手を見る。

 ゲームで見る自分のアバターは、《クオンタム・センチネル》や《ヴァーチャル・アーク》が搭載している優秀な全身スキャン技術によって出来るだけ現実の自分と近付けられているらしいけど、今視界に収まっている手や指は、そのアバターよりも目に見えて細い。


 VR空間内での運動能力には自信があるが、現実ではリビングと自室間の移動でも疲労を覚えるほど体力がない。《WHO》をやっていた約五年間はずっと寝たきりだったから、約一ヵ月経った今でも体力が戻っていないのだろう。……正直、《WHO》を始める前の自分の体力なんて覚えていないが、流石に家の中を元気に移動出来る程度の力は有ったはずだ。

 小春さんがテキパキと料理を作りながら、思い出したように付け加える。


「明日はリハビリだったっけ? ちゃんとお医者さんの話を聞いて取り組むのよ」

「ゲームの時間が減るから嫌だな……」


 苦笑したような声が聞こえて、


「体力が戻ればリハビリも無くなるんだから、早めに済ませれば良いだけの話じゃない。それに、社会復帰の訓練もしないと。例えば、学校とか……」


 これ以上色々言われると面倒なことになりそうだったので、今日起こった事で話題を逸らす。


「社会復帰だって少しずつだけど出来ているって。今日だって、同じプロチームの人と少し交流したし」

「あぁ、わざわざ面会に来てくださった橘さんのところの……」

「プロ契約はもう済んでいるから、給料も出るし、あと数ヶ月も有れば独り立ち出来るって」


 カレーを皿に注ぎ終えた小春さんがテーブルに戻って来て、


「まだ独り立ちってわけにはいかないでしょ? もう少しゆっくり考えなさい。未来くんはまだ十五歳だし、ご家族の方も……」


 そこまで言って、小春さんは顔を伏せた。


「ごめんなさい。今言うべきことでも無かったわね」

「別に、気にしてない。遺産は一応貰っているし、こうやって小春さんが一緒に暮らしてくれているからね。ただまあ、小春さんもずっとここで生活するわけにもいかないでしょ? だから、プロゲーマーとして独りでもやっていけそうだと思ってもらえるように頑張るよ」

「う、うーん。それもそうなんだけど……でも、強がらなくていいからね? ……ほらっ、冷めないうちに食べましょう?」


 別に強がりでも何でもない、と思いながらカレーを口に運ぶ。俺の味覚に合わせてくれているのか、小春さんが辛い物を食べないのか、このカレーはそれほど辛くなかった。


 父親の顔はギリギリ思い浮かぶ。思い浮かぶと言っても、眼鏡を掛けていたことと、VRゲームをよく買ってくれたことぐらいしか思い出せない。仕事人間だった父親と何かを一緒にするようなことは殆どなかった。


 母親の方は全く思い出せない。《デスゲーム事件》の関係者として世間から責められて自殺したようなメンタルの弱い父親とは対照的に、母親は身体が弱かったらしい。俺が四歳か五歳の頃に病気で死んだと聞かされている。


 さらに五年間ゲームの世界に浸かっていたとなれば、家族に対してほとんど何も思うようなことはない。せいぜい、ちゃんと遺産を作っておいてくれて良かった、という程度のことだ。


 俺がカレーを半分ぐらい食べた頃には、目の前の小春さんは既に自分の皿を空にしていた。

 付け合わせのサラダやデザートまで食べ終えている。毎度のことながら食事が早いな。

 俺の視線に気付いたのか、小春さんが何故か謝って来た。


「ごめんね。職業柄、早食いになりがちで。未来くんはゆっくり食べなきゃ駄目だよ」


 食事自体もリハビリの一環なので、俺が遅すぎるということもあるが、それでもかなり速いペースに思える。黙々と食べていると、携帯端末を操作していた小春さんが話しかけて来た。


「そうだ。未来くんの契約した会社……ゼロナナニーチ、って名前だっけ? そこに仕事を頼んでいたはずだけど、覚えている?」

「あぁ、明日の午後のやつか」

「うん。覚えてくれているなら大丈夫」


 仕事、と言えば、こちらも小春さんに聞いておかなければならないことが有った。


「世界大会のエキシビションマッチに招待されていて、そのエントリーシートをそろそろ提出しないといけないんだけど、俺、ここの住所分からないんだよね。住所教えてくれると有難いんだけど……」

「そっか。ここは君の家じゃないから知らなくてもしょうがないね。ちょっと待ってて」


 小春さんはスマートフォンを少し操作して、住所をメッセージとして送ってくれた。

 確認すると、「〒124-8565 東京都葛飾区小菅1-35-1 東京拘置所内特別収容棟A」と書かれていた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 いかにも仲の良い家族のような会話だが、その全てがどこか空虚で空回りしているように思われる。外側にガッチリと嵌め込まれた鉄格子の影が浮かび上がっているリビングの窓を眺めながら、機械的にカレーを口に運んだ。

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