いつの日か、【大障壁】を突破したら

里場むすび

いつの日か、【大障壁】を突破したら

「……でさ、そこでアタシが言ってやったワケよ。『所詮アンタに女とオナホの区別なんかつきやしないんだよ!』って」

「は、はは……。てことは先輩、処女だったんですか?」

「いんや。あの女に寝取られた腹いせってだけ。ヤるときゃちゃんとヤってたよ。下手クソだったのは事実だけど」

「へぇ……なんというか先輩って、ほんと大人ですよねぇ」


 私は感心して先輩の姿を改めて見る。

 持て余し気味の長い脚、ぱっちりとした黒目、豊満な胸にスタイルの整った身体。弱冠12歳にしてティーン誌の専属モデルとしてデビューした彼女は今や、この国に知らぬ者はいないカリスマだ。

 本性はアレだが、凛とした顔立ちを見ているとそんなことどうでもいいとすら思えてくる。仕草に、表情に、心奪われそうになる。

 きっと、これこそが本物のカリスマってやつなのだろう。


「大人ァ? まあそりゃあね。もうハタチだしね。こーして居酒屋で酒飲んでんだから大人も大人よ」

「いや、そういうことではなく……その、かっこいいなあって」

「眼科行った方がいーよ。酒飲んで下らねぇ話してる女がマジでそう見えてんならね」

「あはは……でも、私が先輩を尊敬してるのは事実ですよ。だってあなたは、他にいくらでも道はあったはずなのに、あの【大障壁】を登ることを選んだんですから」


 【大障壁】――そう呼ばれる巨大な壁が出現したのは今から2年前のことだ。あらゆる国家を二つに分断したそれは「神が齎したベルリンの壁」とも呼ばれ、大きな話題を呼んだ。

 今のところ、【大障壁】を超える手段は地道にクライミングするしかない。飛行機のたぐいは【大障壁】周辺では使いものにならなくなってしまうのだ。

 海から超えることもできない。超えようとしても、不思議な力で引き戻されてしまう。

 また、宇宙から超えることもできない。【大障壁】出現以降、地球全体が謎の物質によって覆われたことが確認されている。透明で、普段は存在さえ感じ取れないそれは【天球壁】と名付けられた。

 世界各国が二つの壁――【大障壁】と【天球壁】の破壊を試みたが、そのことごとくが失敗。もはや、その身体一つで地道に【大障壁】を登り切り、あらゆる機器による観測を拒絶する、謎に満ちた壁の上を確認する以外、状況を打開する術はない状況だった。


 言わずもがな、【大障壁】の高さは果てが知れないほどのものだ。人間に登り切れるものなのかどうかさえ怪しい。ゆえにこそ、【大障壁】クライマーの道を自らの意志で選んだ彼女を私は尊敬しているのだ。


「ん? ああ、そんなの、言っちまえばただの執着みたいなモンよ」


 けれど彼女はあっけらかんとした態度で、そう言った。こうもあっさりと話してくれるのは、私がそれだけ信頼されているということなのか、それもともお酒で口が軽くなっているのか。


「執着、ですか?」

「そ。日本は糸魚川構造線を境に分断されたワケだけどさ、そん時ちょーど修学旅行でね、京都行ってたのよ。あのクソ女」

「あ、それはもしかして先輩の彼氏を寝取ったっていう」

「そ。渡辺わたなべゆみ。アタシはあのクソ女を殴るために、分からせてやるために壁を超えたいだけなのよ」


  ◆◆◆


吉田よしだあんず――それが私の不倶戴天の敵の名よ」

「よしだ……よしだ……あっ! もしかしてあのカリスマ美少女モデルの?」

「ええ。彼女のゲスな中身を知ればきっと、誰もあのカスをカリスマとは呼ばなくなるでしょうけどね……カリスマからリとマが消えるってワケよ……ふふっ」


 研究員の渡辺さんは根暗な人だ。

 お酒が入ると笑いどころの分かりづらいシャレのような何かで一人笑いだすので、いつにもまして近づきづらい雰囲気になる。


 それでもこれが、この西日本最高の頭脳の一人なのだと言うのだから、世も末である。


「にしてもカスって……そんなに酷い人なんですか、あの人。【大障壁】クライマーとしてインタビューに答えてる姿見る限りじゃ全然そんな感じしませんけど」

「カーっ。これだから人類は愚かなのよぉ」

「スケールデカくなりましたね……」

「い~いぃ? あいつはねぇ……あの女はねぇ、イジメをするような女なのよ!」

「い、イジメ?」

「そう! イジメ! ねちねちねちねち――私の家はね、道場を経営してたのよ。私もなんとなく流れで稽古に参加して鍛錬を積むうちになぜか、戦えるようになってきてね。けど、あの女のイジメの前じゃ武道の技なんてなんの役にも立たなかった。巧妙かつ狡猾な計画と理不尽なまでの暴力。理性と獣性のハイブリッドってやつよ」

「は、はぁ……少しショックですね。私、彼女のこと尊敬してたので」

「ははっ。良かったじゃないのぉ! 対面する前に本性が知れて」


 渡辺さんはお猪口を置くと、ふう、とため息をついた。


「…………あの女、なんといってもナリが良すぎるのよね。性格最悪だけど見かけは最高だからさ、こんな私でも、『私が【大障壁】を取り払いたいのは吉田杏を憎んでいるからではなく、吉田杏に惚れてるからなんじゃないか?』って疑念が定期的に湧いてくる。……あの女の全てを奪いたいのか、あの女に全てを奪われたいのか、分からなくなってくる」

「渡辺さん……」


 ふ、と毒気の抜けたような笑みを渡辺さんは私に向けた。


「だからさ、ありがとね。再確認の儀式に付き合ってくれて」

「いえいえそんな! ……正直、渡辺さんが意欲を失ってしまうと、【大障壁】の研究は向こう30年分は遅れてしまいかねないので、こんなことでモチベを保ってくれるならいくらでも付き合いますよ」

「うれしいこと言ってくれるねぇ。じゃ、もう一軒付き合ってもらおうかな」


 結局、朝になるまで私達は居酒屋をハシゴした。あれで翌日には二日酔いもなく仕事に復帰できるっていうんだからまったくかなわない。


  ◆◆◆


『……ほんとさぁ、ずるいよ。生まれもった才能っていうの? ああいうやつ。……ねぇ、お姉ちゃんもそう思うでしょ?』

「いやあ、まあ。思わないって言ったら嘘になるけどさ、そんなこと言ったってどうにもならないでしょ?」


 電話で妹の愚痴を聞くのはいつものことだ。けれどその日、私の胸中にはざわめきが起こっていた。


「……てかさ、本当なの? その、同じ職場の渡辺さんって人がせんぱ――吉田杏にイジメられてたって」

『うん。なんかそうらしいよー。作り話って雰囲気でもなかったから、多分マジ話』

「へぇ……あの、実は私もそういう話聞いたんだよね……」


 私は先輩から聞いた話を説明した。寝取り寝取られのどろっとした話を。


『うーわ』


 それが話を聞き終えた妹の第一声だった。


『たしかにそういうこと話しちゃうのは性格良くないなぁ……品がないって言うの? お姉ちゃん、よくそんな人と付き合ってられんね』

「そ、そこまで言う? ……ともかく、そういうわけだからちょっと考えちゃうわよね」

『なにを?』

「なにって……私たちがやろうと思えば、二人を引き合わせることだってできるでしょ? ビデオ通話越しだけど」


 すると、妹はふふっと笑う。


『だめだよ。それは』

「なんで?」

『そんな無粋なこと、やっちゃだめだって』


 いい?と妹は小学生にものを諭すような口調で言う。


『二人はそれぞれの方法で、すでに行動を開始してるんだから、ビデオ通話で会わせたって、そんなのは余計なお節介以外のなにものでもないんだよ』

「そう?」

『うん。それにさ――』

「それに?」

『…………そんなことしたら、たぶんネット越しに嫌がらせ合戦をはじめると思うよ。私達の迷惑なんておかまいなしに』

「ああ――うん。やめとこっか」


 山田杏と渡辺弓。この二人が【大障壁】を突破するのかどうかはまだ分からない。けれどいつの日か、もしも再会するのだとしたら、それはきっと、私達のあずかり知らないところであってくれ――。


 そう願わずには、いられなかった。


 ……けれど、私は甘かったのかもしれない。よりにもよって、二人は【大障壁】に立ち向かう人類の代表的な存在になってしまっているのだ。

 そんな二人が本気で争って、人類が巻き込まれないはずがない――数年後、私はそれをトラウマになるくらい実感させられるのだが、それはまた、別の話である。

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