第11話 秘密
白桜から月天が来ると告げられてから三日が経ち今日は各上の里の当主や世継ぎの方々が屋敷に来る。
屋敷の母屋は朝からバタバタと慌ただしく活気に満ち溢れているが紫苑たちのいる桜華殿は逆に静まり返っていた。
「紫苑、明日の襲名披露の時間に合わせてここを出ます、身を守る護符と守り刀以外はすべておいていくように」
母屋にほとんどの従者が集められているためこの桜華殿にはほとんど警備の者もいない状態だ。
紫苑は母に向かって深く頷き返すと強く膝の上で手を握り締める。
固く握りしめられた紫苑の手を上から包み込むように母の手が重なりこわばった紫苑の心を少し和らげた。
「大丈夫、明日は絶対にうまくいくわ。この里を出たら私たちは二人ただの人の親子としてやり直せる……」
母に強く抱きしめられると母の体が小さく震えていることに気づく。
(母様は今までずっとこの時を待っていたのね……)
今まで紫苑のことを思い自分を気持ちを殺してこの桜華殿に縛られ続けた母のことを想うとこれ以上、母につらい思いをさせたくないと紫苑は月天への思いを心の中に封じた。
桜華殿の自室でぼんやりと母屋の方を眺めていると次々と感じたことない妖力や神通力を持つ者が屋敷の中に入ってくるのを感じた。
鬼の一族の当主である父も強い力を持っているが、屋敷に訪れた中には父をはるかに超えるような神通力の持ち主もいるようだった。
(この中に月天もいるのかな……)
屋敷に訪れた者の気配でここから感じ取れるのは特に力が強いものだけなので月天が今屋敷にいるのかどうかは紫苑には感じることができない。
(直接話せなくてもせめて一目元気な姿を見ることができればな……)
そんなことをぼんやり考えていると渡り廊下の方から白桜の気配が近づいてくるのを感じた。
「紫苑、いるか」
白桜は部屋の前で一言声をかけると戸を開け部屋の中へと入ってくる。
「白桜兄さま、今日はご当主の皆様方がいらっしゃる日でお忙しいのでは?」
相変わらずの無表情のまま足早に近づいてくる白桜に話しかける。
「少し様子を見に来ただけだ、しばらくこの桜華殿は従者も少なくなる。何か問題があればすぐに鈴を鳴らすように」
この桜華殿には各部屋に魔具の鈴が置かれておりこの鈴を鳴らすと当主か白桜に桜華殿の様子が伝わるようになっている。
普段は桜華殿に詰めている警備や見張りの者が持っているが襲名披露が終わるまでは人手が少ないため部屋にそのまま置かれる形で残っている。
白桜は紫苑の様子に変わったことがないのを確認し部屋の中や庭まで何かを探すように入念に調べ始める。
(……母様と明日この屋敷を出ようとしていることを感づかれてる?)
いつになく隅々まで調べている白桜の姿に警戒するが一通り調べて納得がいったのか白桜は紫苑に別れを告げるとそのまま母屋へと戻っていった。
白桜が紫苑の部屋を出るとき白桜の着ている白い着物から銀色の毛が一本はらりと床に落ちる。
日の光に当たりきらりと光る毛は猫の毛よりも長くしっかりとしていた。
(なんだろう?獣の毛だよね……白桜兄さまが動物と戯れるなんてことはないだろうから来客の方の毛?)
見たことのない不思議な毛を手に取り眺めていると、毛ははらりと紫苑の手から零れ落ち庭先へと飛ばされていった。
◇◇◇
夜になると母屋の方では何やら宴が開かれているようで少し離れたこの桜華殿まで笛や太鼓の音が聞こえる。
母は明日の計画に狂いがないようにと屋敷の者の目を盗み裏山までの道を確認しに行っている、その間母がいないことを悟られぬように紫苑は母の部屋近くで待機していた。
(いよいよ明日か……白桜兄さま二度と会えないのは少し寂しい気もするけど)
紫苑は白桜のことが物心ついた時から苦手に感じていたが、不思議なことに白桜はいつも紫苑が困ったときは助けてくれた。
いつも無表情で淡々と何事もこなすため紫苑のためにしていることではないかもしれないが、この冷たく冷え切った屋敷の中ではその些細な出来事でさえうれしく感じたのだ。
母が帰ってくるのをぼんやりと庭を眺めながら待っていると、庭の茂みに何か小さな影が音を立てて動くのを見つける。
カサカサッ__
庭に植えてある低木の陰から出てきたのは小さな子狐だった。
毛の色は銀色で鬼の屋敷のこんな奥まで入り込んできたということは来客の関係者だろう。
子狐は背中に小さな筒を背負っており草木の間を飛び越えて紫苑の元までやってきた。
「こんばんは、子狐さん。ここに長居はしないほうがいいわ、迷ってしまったの?」
近寄ってきた子狐に向かって手を差し出し触ろうとするが、子狐は触れられないギリギリのところで背負っていた筒を足元に落とすとそれを紫苑の方へと鼻先でつついて転がした。
「これを私にくれるの?」
子狐から渡された筒を手に取り開けると一枚の手紙が入っていた。
_______
紫苑へ
僕のことを覚えているだろうか?
あの後僕は先祖返りの力を得て正式に天鼓の世継ぎとして認められることになった。
次期当主として認められたことで以前住んでいた蔵から屋敷の母屋へと移され今までのことが全て悪い夢だったかのように感じるよ。
今回の白桜の襲名披露も天鼓の世継ぎとして正式に出席することができた。
今の僕は前とは違い白桜にも劣らない妖力と神通力を持った、紫苑を絶対に守るから一緒にこの里を出よう。
明日の披露宴の間を見てここまで迎えに来る。
どうか僕のことを信じて待っていてほしい。
月天
_______
筒を持ってきた子狐の方を見るとすでにそこには何もなく夜の闇だけが広がっていた。
紫苑は手紙を握り締め、母屋にいるであろう月天のことを想うがここまできて母を一人置いて自分だけ逃げるなどできるはずもない。
明日の披露宴は夕刻から始まる、紫苑と母もその時を見計らってこの里を出て異界渡りをするつもりだ。
月天からの手紙はとても嬉しくて何も考えずにこのまま月天の元へ行けたらどれだけ楽だろうかと思う。
しかし、現実はどこまでも残酷だ。紫苑には選べる選択肢など残されていないのだ。
紫苑は手紙を大切に懐にしまい再び母が帰ってくるのを一人で待つのだった。
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