第7話 幸せが崩れる音3

一刻ほど経つと先ほどまでの雷雨が嘘だったかのように晴れた。


蔵の中で寝ていた紫苑は今朝よりも体調が少し良くなったことに安心し月天に礼を言う。


「月天ありがとう、体調もだいぶ良くなったし天気も落ち着いたみたいだから今日は早めに部屋に戻るね」


「じゃあ、部屋まで送っていく!途中で倒れたりしたら大変だからな」


月天は紫苑の手をひき雨上がりの庭にでる。


雨露に濡れて光る草木はどこか幻想的でいつも見ているはずの景色すらつい眺めていたくなるような気持ちにさせる。


二人で歩いていると前方から誰かの気配が近寄ってくるのを感じた。


月天が急いで紫苑を茂みに隠そうとするがそれより早く前方から声が掛けられる。


「こんな所で何をしている紫苑」


その場が凍てつくような声を発したのは御廟所に籠っているはずの白桜だった。


白桜は月天と手をつないだまま表情をこわばらせ立ち尽くす紫苑の手を荒々しく月天から奪い取ると月天に背を向けて歩き出す。


「ちょっと待って下さい!紫苑は体調が悪くて……」


月天がそこまで言うと白桜は月天の方を振り返りその鋭い紅い瞳で睨みつける。


「気安く名を呼ぶな。この者はお前のようなものが触れていい存在ではない」


白桜は言葉こそ冷静だったが、その身からは溢れんばかりの妖力と神通力をほとばしらせる。


月天はどうすることが紫苑にとって最善なのか考えるが、目の前の人物が紫苑にとって脅威なのか安全なのか測りかねて沈黙する。


「ふんっ、この程度の脅しで返す言葉もないか。言葉も満足に喋れぬのなら獣と同じ、妖狐と名乗ることさえおこがましい」


白桜は月天を下げずんだ目で見ると吐き捨てるように言う。


「白桜兄さま!ひどい、そんなことを言うなんて。月天は私が具合が悪いっていうから部屋まで送ってくれようとしたんだよ」


普段は白桜に口答えすることがない紫苑だが、目の前で月天のことを馬鹿にされて黙っていられなかった。


「そもそも私は部屋から出るなと言ったはずだ、なぜこのようなところにお前がいる」


白桜はその冷たい視線を紫苑に向け、怯えて一歩後ずさる紫苑の腕を力づくで引っ張りその頬を強くたたく。


雨上がりの静かな庭に乾いた音が響いた。


紫苑は一瞬のことで何が起きたか分からなかったが、じんじんと痛む自分の頬を触り白桜にぶたれたのだと悟る。


いつもならここで白桜に紫苑が謝りその場は収まるが、今日は紫苑も白桜に謝るつもりはなかった。


月天は目の前で紫苑が白桜にぶたれて頬を抑える姿をみて、生まれてきて初めて心の底から憎悪と怒りがこみあげてくるのを感じた。


それはあまりにも熱く体の内から身を焼かれているかのように激しいものだった。


(僕に力があれば紫苑はこんな目に合わずに済んだんだ……)


月天は意を決したように紫苑の腕を縛り付ける白桜を見据える。


「月天、だめだよ!このまま戻って。私は大丈夫だから」


紫苑はいつもと違う雰囲気の月天に気づき慌てて早くこの場から去るように言う。


(白桜兄さまとやりあったら間違いなく月天は大けがする……けがですめば良いほう、最悪殺される可能性だってある)


「ふふ……ろくに妖力も持たぬ野良狐がこの白桜に喧嘩を売るのか?面白い、買ってやるぞ。そのかわりお前の命をもらうがな」


白桜は不気味な笑みを浮かべると額から一本角をはやし鬼化する。


それを見た紫苑は全力で白桜が握る自分の腕を振り切り月天へと駆け寄るが……


月天の伸ばした手と紫苑の手が触れ合うその前に再び白桜に強く腕をとられその場に転がる。


「貴様ッ!」


月天は地面に転がり泥にまみれた紫苑を見ると先ほどまで我慢していた怒りや憎悪があふれ出てくるのを止めることができなかった。


「狐火ッ!」


月天は地面に倒れこんだ紫苑と白桜の間に自分が今出せるだけの妖力をもって狐火を発する。


「ふ……この程度で私を足止めしたつもりか?」


白桜は自分と紫苑の間に燃え上がる狐火をみてひるむことなく、気だるそうな仕草で右手を炎に向けると狐火を食らいつくすように天にも届かんばかりの黒い鬼火が出現する。


月天が紫苑の元へ駆けだそうとするがそれより早く白桜から放たれた黒い鬼火によって月天は阻まれ右腕に鬼火をくらう。


「月天!お願い自分の居場所へ戻って!」


白桜の鬼火により右腕を負傷した月天をみて紫苑は涙を流しながら請う。


「紫苑を見捨てて逃げることなんてできない!」


紫苑と月天のお互いを思いやる気持ちは固く、二人とも戦況は不利と分かっていてもこの場から逃げ出すことはできなかった。


「児戯はここまでだ」


白桜はそう告ると両手に印を組む。


それを見た紫苑はこれから白桜が出そうとしている術を悟り顔から血の気をなくす。


「月天!急いで離れて!」


紫苑がありったけの声で月天に向かい叫ぶがそれより早く白桜の術が月天を襲う。


雷のごとき閃光が月天を貫いたかと思った瞬間、月天の体は糸が切られた人形のように地に沈み込む。


紫苑は急いで月天の元へ駆け寄り月天の体を抱き寄せるが、月天の体はピクリとも動かない。


「ねぇ月天、起きてよ……一緒に下の里で暮らすんでしょ?私一人じゃ何もできないよ……」


「紫苑、そいつから離れろ」


白桜は今しがた目の前で月天の命を奪っておきながら表情一つ崩さず淡々といつもの調子で言う。


紫苑は生まれて初めて強い悲しみと怒りで身を割かれるような言葉にならない痛みを感じる。


その痛みは紫苑の体の隅々まで巡り今まで眠っていた紫苑の本当の力を目覚めさせる。


「紫苑……?」


うつ向き肩を震わせたまま動かない紫苑から今までに感じたことがないほどの妖力と神通力の高まりを感じ白桜は初めて動揺をあらわす。


「いつも兄さまの言うことは何でも聞いてきた……けどこんなの絶対に許せない!」


動かなくなった月天の体を掻き抱いたまま紫苑は白桜を睨みつける。


その瞳は燃え盛る炎のように紅色が揺らめき額には三本の角が生えていた。


紫苑は月天を抱いたまま何かを唱え始めると月天の体の周りに光の粒のような金色に輝く粒子が集まってくる。


「ッ!紫苑だめだ!その力を使っては!」


白桜は紫苑がこれから何をしようとしているか分かると血相を変え紫苑と月天を引き離そうとするが白桜が一歩踏み出した瞬間紫苑によって詠唱破棄された術によって阻まれる。


白桜が紫苑が発した術をいなしている間に月天の体はどんどん金色の粒に囲まれついには真綿でくるむように傷ついた身体すべてを覆いつくした。


「これでもう大丈夫だからね」


紫苑は金色の繭のようなものに包まれた月天を見届けると、苦し気な表情をしてその場にうずくまる。


月天を包む繭が出来上がるのとほぼ同時に紫苑の瞳は元の桜色に戻り額の角もなくなった。


うずくまった紫苑の元に白桜が慌てて駆け寄る。


「紫苑!時渡りの力を使ったな!」


すでに紫苑は意識がないようで白桜に抱き上げられてもだらりと力なく横たわるだけ。


白桜は小さく舌打ちをすると、紫苑をそのまま抱き上げ当主である天鼓のいる部屋の方へと歩き出す。


白桜が歩き出すとその背後で何かにひびが入るような音が響く。

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