第6話 幸せが崩れる音2

次の日も朝食をとると朝食と一緒に出されたお菓子を懐紙に丁寧に包み月天の元へと紫苑は急いだ。


中庭を抜ける途中で何者かの気配を感じ立ち止まると、そこには部屋の戸を開け優美に中庭を眺めている天鼓様がいた。


天鼓様は紫苑に気づくとにっこりと笑いかけそのまま部屋の奥へと消えてしまった。


紫苑はドキドキと止まらない自分の胸を押さえながら、一刻も早くこの場から立ち去りたいとさらに急いで庭を抜けた。


この日は白桜がお籠りを始めて四日目だ、あと三日しかこの屋敷にいることはできない。


紫苑は鬼の屋敷に戻ることを考えるとひどく憂鬱な気持ちになる。


庭を抜けいつの間にか月天の暮らす蔵までやってきていた、今日は月天は蔵の外に出てきており紫苑を見つけると嬉しそうに手を振ってくれた。


「月天!」


紫苑は月天を見つけると先ほどまでの憂鬱さが嘘のように晴れていき自然と笑顔になる。


月天に駆け寄るとどうやら月天は井戸から水を汲んできた帰りだったようだ。


紫苑は月天と一緒に蔵に入ると昨日と同じ位置に座布団を持ってきて座る。


「月天!今日はお土産があるんだよ!」


紫苑はそう言うと懐から懐紙に包んで持ってきたお菓子を差し出す。


「これすごく美味しかったから月天にも持ってきたの」


月天は紫苑から差し出された包みを開き菓子を確認すると、一瞬泣きそうな表情をしてから紫苑の手を取り礼をいう。


(こんなに僕のことを思ってくれたのは君が初めてだよ……)


月天は自分のことを思って行動してくれる紫苑が愛おしくてこのままいっそ攫って二人でどこか静かに暮らせたらいいのにと思った。


「紫苑ありがとう、すっごくうれしい!」


月天に満面の笑みで返され紫苑は少し照れたようにもじもじする。


「そういえば、白桜さんが籠って今日で四日目だろう?あと三日で紫苑は鬼の里に戻ってしまうんだね……」


「うん……」


二人の間に少しの沈黙が流れる。

先に沈黙を破ったのは月天の方だった。



「紫苑は普段は鬼の屋敷から自由に外出することはできるの?」


「ううん。今回みたいな行事がない限り屋敷の奥にある桜華殿から出ることはできないの」


「その桜華殿ってどんなところなの?」


「屋敷の敷地内の一番奥にある建物で、もともと母様を閉じ込めておいた建物みたい。今は私と母様二人でそこに住んでるの」


「そうなんだ……紫苑、もし君が嫌じゃなければこのまま二人で上の国を抜け出して下の里で暮らさないか?」


月天は紫苑の手を取り真剣な表情で話す。


「僕は妖力も少ないしお金も地位もない。けど絶対に君を幸せにする!だから二人でこんな場所から逃げ出そう」


紫苑は生まれてから里を抜け出して暮らすなんて考えたこともなかった。


しかし、このまままた鬼の里に戻り一生あそこに閉じ込められ虐げられたまま暮らすことを考えると、このまま月天と一緒にどこか遠くに逃げてしまいたい気持ちにもなる。


「もちろん今すぐってわけではないから、ここを出立する三日後までに決めてほしい。一応この屋敷から下の里まで抜ける道も知っているししばらくは過ごせそうな場所も見つけてあるから」


「うん、わかった」


月天はそれ以上この話はせず、その後はたわいもない話をしたり庭に咲いてある珍しい花を観察したりして過ごした。



◇◇◇



その日の夜、紫苑は再び不思議な夢を見た。


大きく立派な太鼓橋の向こうに大社にも見える荘厳なお屋敷が見える。

紫苑は幽霊のように実態がなく上空から屋敷を見下ろしている。


屋敷の周りには川が流れておりその周囲には一面曼殊沙華が狂い咲いたように赤で埋め尽くしている。


お屋敷の最上階には大きな硝子窓がはめ込んであって紫苑はその窓の近くまでよっていく。


窓の側には月の光に反射するように輝く白銀の長髪と月長石のような妖しい輝きをもった黄金色の瞳が印象的な人物が外を眺めていた。


紫苑はその人物が一瞬、月天に見えて話しかけようとするも、そこで急に視界が暗転して目覚めた。


紫苑は目覚めると昨日に引き続き不思議な夢を見たせいかひどく体が疲れているように感じた。


こんなに体の調子が悪いのは時渡りの術を使った時くらいだ。


紫苑の母は神に仕える時渡りの巫女として大社に勤めていた、しかし紫苑の父である鬼の当主に見初められて新月の夜に鬼の嫁とりにあったのだ。


無理やり攫われ連れてこられた母は毎日嘆き悲しみ失意の底にいたが、紫苑を身ごもったことを知ると紫苑の存在だけを支えに桜華殿でひたすら耐え忍ぶ日々を過ごした。


紫苑が生まれると時渡りの能力は母から紫苑へと引き継がれたが、この事実は母と白桜以外誰も知らない。


時渡りの力は時間を遡ったり未来を見る力がある、非常に珍しい力で神から授かった神通力の一種と考えられており大妖怪と言えども使える者はいない。


紫苑がこの能力を持っていることを知られればいいように利用されると思った母は紫苑に時渡り力を使うことを禁じた。


(今日も月天のところへ行こうと思ってたんだけど……この調子だと蔵までいくのもつらいな……)


本来であれば式などに伝言を頼んで月天に状況を伝えればいいのだが、紫苑は妖力をほとんど持たないため式すら使えない。


けど、昨日の今日であんな話をした次の日に急に紫苑が来なくなったら月天は悲しむのではないだろうかと悩んでしまう。


悩んだすえに紫苑はとにかく一度月天の元へ行って早めに帰ってこようと決め出かける支度を整える。


よたよたといつもより遅い足取りで中庭を抜け月天のいる蔵へと向かう。


今日は朝から珍しく天気が悪い、暗く立ち込める雲は今にも一雨振り出しそうな気配さえ感じる。


(蔵について少し休んだら今日は部屋に戻って寝よう……)


そう思いながら蔵に着くとぽつぽつと雨が降り出した。


蔵に着くとちょうど蔵の戸を開けて外の様子を見ている月天と視線が合う。


「紫苑!いつもより来るのが遅いから心配したよ!」


月天は振り出した雨に紫苑が濡れない様に慌てて蔵の中へと招きこむ。


蔵に入ってすこしぐったりとした紫苑を見つめ月天は心配げに薄手の毛布を紫苑にかける。


「どうしたんだ?どこか具合でも悪いのか?」


紫苑はここ二日見た不思議な夢のことと今朝から体調が悪いことを言うと月天は少し休んで落ち着いたら部屋まで送っていくと心配そうに言ってくれた。


月天が整えてくれた寝床で少し横になって休んでいると雨脚が強まり雷が落ちる音が聞こえる。


「どこかの里に雷獣が降りてきたか……」


上の国は基本的にいつも穏やかな天気が続く、雨や雷が降るのは雷獣や龍神が里の上空を通る時だけだ。


「それにしてもこんなに天気が悪くなるなんて珍しい……何も起きないといいのだけど」


月天は蔵の高窓から空を眺め心に広がる不安を押し込めた。


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