第3話 失眼少年の悲劇
ノーサイト公国領からそれなりに離れた森。穏やかな鳥たちのさえずりとは裏腹に、地面に赤々と血で濡れた雑草の獣道を辿る。そして、血だまりや血しぶきが激しく散らばるところへ出たので、少し状況を把握するために、周囲の木々に地面の状況を観察し、お互いに意見を交わし合う。
「軽く観察してみたが、こりゃ一方的にやられているような様子だと思う。斬られた相手は戦うこともせずにひたすら逃げてる。そっちの意見はどうだ? フェリオ」
「うん、アズワルドの観察も確かにって感じだけどさ。ただにげていただけでもないかもしれない。この草の感じを見てよ、明らかに誰かの上に誰かが覆いかぶさったような跡にも見えるんだ。だから、誰かを守っていたんじゃないかな」
「なるほどな。なら、急がねえとみんな殺されちまうな」
「うん。とりあえずどういう状況で襲われたかは分かったし、最悪その守られていた人を助ければ良いよね」
「そんなことにならないように全員助けに行くんだよ。ほら、血が俺たちの道しるべになってっから、行こう」
「分かったよ。しかし、今回はまさか二人だけとは、正直僕たちの命も危ういんじゃないかな」
「フェリオ。お前さっき言ってたじゃんか。「僕がちゃんとフォローしますんで」ってさ。間違っても俺を囮に逃げるんじゃねえぞ」
「分かってるよ。全く疑い深いんだからさ。これから一緒に戦う仲間なんだからさ」
この依頼で話しに乗ってきた旅人は二人だった。俺と、そしてこいつ、フェリオと名乗った青年だ。調子の良いことしか言わないからあまり信用はしたくないが、それでも初めての緊急依頼なので、頼らざる負えない。人懐こい笑顔を振りまく青年に、内心不気味に思いながら、血を辿って走っていく。
静かな森に響く緊張の心臓。その耳障りな音を聞きながらも、たどり着いたのは小規模な地下洞窟の入り口だった。地面に穴が空き、暗闇に生物を誘っているようだ。
「ここだな。――よし、よし……行くか」
「もう緊張しないで大丈夫ですって。僕がちゃんと守りますから」
「……はあ、今は信じてやることにするさ、全く」
笑顔でふわふわに浮く言葉を吐くフェリオの笑顔を横目に俺はぼやきながら、地下洞窟の入り口に飛び降りた。着地したフェリオが来るのを待たずに、俺は発光の魔具を手に中へと入っていく。洞窟の中は、天井が所々割れているようで光が漏れて照らされていた。草が垂れ、コケが岩壁を覆う。何もなければ空気がおいしくゆっくりとランチでも出来るのだが、今の惨状を目の当たりにしてしまっては、ごはんを食べるなんて余裕はなくなるだろう。嫌な予感が過るほどに明らかに自然には似つかない悪臭が、その空間を支配していたんだ。
「……うっ」
そこに転がっていたのは、大人が4人ほど、首のない死体だった。人の死体なんて初めて見る俺は、あまりの衝撃で口を手で覆い、目をそらす。籠る血の匂いが容赦なく俺の嗅覚に触れ、体の奥底から不快極まりない感覚がせりあがってくる。その吐き気に耐えるのに必死な俺を横目に、フェリオは軽い足取りで死体へとかがんでいた。
「うっわ、これはひどい。首をむりやりねじ切られているし、腕や脚も切られている人もいるね。あーあ、こりゃ、相当悪質な盗賊団だよ。僕たちも用心していかないとね。……あれ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないだろ。人の死体だぞ……」
「あ、もしかして初めてなんだね。それは大変だ。そういう時は吐いた方が楽だよ」
フェリオは理路整然とそんなことを並べ立てる。フェリオは慣れているから、そんなにも冷静でいられるのだろうか。俺はフェリオのその慣れている姿が不気味で、不快な感覚が喉元まで上がってきて、そして吐いた。
「そうそう。吐き気って、我慢すればするほどひどくなるからね。でも悠長に吐いてる時間もないかもよ。多分だけど、この人たちの子供が今盗賊団に追われてるんだと思うんだ」
はいて少し楽になり、よろよろとフェリオの傍に行く。死体の方には出来る限り目を移さないようにしながら、フェリオの示したところを見る。そこには、バックパックとその中身が散乱していた。その内容には、明らかに子供用の服やおもちゃが落ちていた。主人を無くし、悲しそうな目で空を見ている熊のぬいぐるみだった。
「確かに。そうだとしたら、早く行かねえとな」
「アズワルドは大丈夫ですかね。水はあります?」
「あるよ。大丈夫だ。ほら、急ぐぞ」
「それは良かったです。あ、アズワルドって呼ぶの長いから、これからはアズって呼びますね」
俺は特にフェリオの提案については無反応でいながら、バックパックの横ポケットより水筒を取り出し、補水しながら洞窟の一本道を駆ける。その少年がいたのは、移動してそう時間が経たないところだった。俺たちが開けた空間へと飛び出すと、その奥には右目を手で押さえる少年と、彼を囲う4人の大人がいた。大人は長剣を抜き、少年の悲惨な姿を見て笑いを立てている様子だった。
その明らかに圧倒的に押さえつけられている暴力に、つい俺は声を荒げていた。
「おい、てめえら、そんなか弱い少年を囲って何で笑えるんだ! ざけんなよ人間の屑が!」
俺の声に気づいた盗賊4人が俺たちの方へと目を向ける。俺たちに向けるまなざしには、明らかな殺意も含まれたと思う。
「誰だお前らは。お前たちもこいつの痛がる姿を見に来たのか?」
「うっわ、流石に屑い言葉と顔ですね。同じ人間であることが恥ずかしいんで、人間やめてもらっていいですかね? ついでにその少年からも離れてもらってもらえるとありがたいですがね」
「へ、こいつら、恐らく旅人ですぜ。大方、こいつの親が要請したんだろ」
「なるほどな。お頭からは何も命令は受けてないが、この現場を見られた以上、生きて返すわけにはいかない。な、そうだろうお前ら」
リーダー格の盗賊が残り3人の盗賊に呼びかけると、彼らは長剣を構えながら、前ににじり出て来た。やるしかない。そう意気込んだ俺は、長剣を抜き、両手で構える。その様子を見たフェリオも、右手にグローブをはめて背中の長弓と腰にぶら下げたポーチに手を突っ込み、魔力で矢を形成するように作られた小型魔導器を掴み、緑色の魔力の矢を出現させて弓を構える。
「僕のことはお構いなくで大丈夫ですし、なんならアズをフォロー出来ますよ」
「お、おう。正直、本気の対人戦は初めてなんだよな。今までは逃げて来ることしかしなかったし、剣を振るうのは魔物しかいなかったしよ」
「それはマジですか。分かりました。とりあえず敵をひきつけて、死なないように攻撃を防いでいてください。後は僕がやります。大丈夫、命のかかった場面じゃふざけようがないですって」
フェリオから突発的な作戦を聞く余裕は、当然なかった。4人の盗賊が一気に駆けだし、2人が俺の方へと近づいてきたんだ。こうなったらもはやフェリオのことを考えている暇なんてない。目の前の剣閃を弾き、牽制の攻撃をしていくしかない。
俺は騎士養成学校で学んだ動き、実技、先生のアドバイスを必死に思い出して長剣を構え直し、とにかく後ろを取られないように動きまわることにした。俺を追って振られる長剣をよけ、弾き、牽制する。洞窟内には金属音と人の呻く声が響き渡る。来ている服は当然機動性を重視した旅装束なので、鎧のような安心感のある防具ではない。ある程度防げるが、本気で殺しに来ているような攻撃はそう何回も正面から受けられないんだ。俺は必死に盗賊の攻撃を県dね防ぐことに精一杯だった。なので、相手に打撃を入れられるような隙も、分かりやすく出ていた。
盗賊の連携攻撃によって、剣を弾かれ、その隙に蹴りを入れられる。痛みで後ずさる俺は苦痛で顔をゆがめた。その時、
「アズワルド。伏せて」
不意にフェリオの声で自分の名前と伏せろの言葉が耳を通る。俺は必死にしゃがむと、同時に頭上を何かが飛んで、目の前にいた盗賊が呻き、地面に倒れ込んでいた。見ると、右高に魔力の矢が刺さっており、その魔力が2本の触手となって右腕と長剣に絡みついていた。
「初めての命を張った戦闘をしたひよっこにしては、センスはあったと思いますよ」
俺は立ち上がり、フェリオは背後から近づきながら俺に言葉を言う。言い方は少し気に食わないが、だがその実力は本物のようだ。フェリオに向かった盗賊はすでに脚やら腕やらに矢を受け、地面に倒れていた。長弓と長剣という接近戦の相性が最悪なように思える場面だったが、一人で対応していたのだ。
「フェリオ。口だけじゃなかったんだな。今初めて信用したぜ」
「それは光栄だね。さあ、とりあえずおふざけはあと一人をどうするかを決めてからにしようね」
フェリオが最後の盗賊に目を向ける。その盗賊は仲間たちが無様にも地面に倒れている姿を見て、悔しそうに俺たちを睨め着けていた。
「くそ、こんな奴らなんかに! お前ら、退却するぞ!」
虚勢を張り、惨めな捨て台詞を言った後、地面に倒れた仲間たちに呼びかけ、動く脚でのさのさと洞窟を去っていった。俺は長剣を鞘に納め、すぐさま少年の元へと駆けよった。少年は未だ右目を抑えてうずくまり、もがいている。
「おい、大丈夫か。目が痛いのか?」
俺の呼びかけが聞こえたのか、動きが少し止まり、顔が俺の方へと向いた。黒味のグレーミディアムの髪をなびかせ、伏目で俺を見る少年は、とても怯えているように見える。
「もう、大丈夫だぞ。俺たちは君を助けに来たんだ。さあ、立てるか。どっちにしてもここじゃ治療は出来ないし、まずは街に行こう。な、ほら」
「……待って」
少し強引に少年の左手を掴んだ時、ふと小さく声変わりもしていない少し高めの声で、俺のことを止める言葉を紡いでいた。そして少年は自分で立ち上がり、右手で隠していた右目があるはずの所を露わにする。その姿を見て俺は言葉を失った。そこにあるはずの右目が、ぽっかりと、綺麗に、血も流れることなく、失っていたんだ。俺の反応で察したのか、少年は最後に、取り戻しようのない絶望の悲しみの顔を浮かべ、彼は目を閉じたのだった。
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