第4話 副作用

「やっと………やっと陸に着いた……………」

アルドは長い緊張状態からようやく解き放たれて、糸が切れた操り人形のようにへたり込んだ。いつの間にか忙しなく動いていたはずの足も止まっている。


どうやら薬の効果が少し薄れてきたらしい。しかし、薬の効果はまだ続いているのかあれだけの長距離を走り回ったのにも関わらず肉体的な疲労感は殆ど無かった。しかし、精神面に関しては全然違った。


なにせ三日三晩ずっと寝ることも出来ずにいつ薬の効き目が切れるか分からないという強い緊張状態の中、少し肌寒い海の上をただひたすらに走って来たのだ。それによる精神的疲労は相当なものだった。


「夢中で走ってたけど……… ここは一体どこなんだ………?」

俺は目の前の景色を見渡した。バルオキーやユニガンと違って、黒塗りの瓦で出来た立派な屋根やレンガではなく木で造られた家が立ち並び、着物を着て生活している人々が往来を歩いている。しかも、あちこちにはミグレイナ大陸でまず見ることのない桃色の花をした木々が生えている。


ということはここってもしかして………


「嘘だろ………ここはイザナじゃないか。ってことは俺………東方まで海を走って来たのか」

その事実から俺は改めて途方もない距離を走って来たことを痛感し、思わず脱力してしまった。俺はふと額の汗を拭おうとポケットからハンカチを取り出そうとするが、探っても探っても出てこない。


「……ん? ……あれ? 嘘だろ? まさか落としちゃったのか? フィーネにもらった大事なハンカチだったのに……」

どうやら走り回っている時にどこかに落としてしまったらしい。まさか海の上を走っている時に落としてしまったのか? もしそうだとしたら今頃は海の中だろう。そこから見付けるなんて絶望的だ。


「どうしよう……… バレたらフィーネに怒られるぞ……」

俺は思わず溜息を吐きながらそう呟いた。本当に薬を飲んでからは災難続きだ。さっさと合成鬼竜にでも拾ってもらってバルオキーに帰ろうかな。それが良さそうだ。


ぐぅーーー!


そんな時、俺のお腹が鳴る。


「そういえば、全然食べてなかったからな。折角だし、バルオキーに帰るのはここで何か食べてからにしようか……」

俺は早速イザナの酒場に向かうことにした。前にそこで食べたことがあるが、酒場の大将が言っていた通り、どのメニューも美味しかった。


朝だからか人通りが少し多く感じる。皆、仕事とかで忙しいのだろう。もし薬の効き目がまだ薄れずにイザナに突っ込んでいたらどうなっていたことか…… あまり考えたくないな。


「それじゃあ、行くか。…………あれ? 俺っていつもこんなに遅かったっけ?」

俺は歩き出すとようやくいつもの速さで歩くことが出来た。ただ、さっきまであまりの速さで疾走していたからか、いつもと同じくらいの速さで歩いているはずなのに酷く違和感を感じた。しかも、さっきまでは景色が目まぐるしく変わっていたのに全然景色が変わらないので少し混乱しそうになった。これは感覚を取り戻すのに時間が掛かりそうだ……



ーーーーーーーーーー

酒場で朝御飯代わりにおむすびをいくつか食べると大分お腹が膨れた。


おむすびはフィーネも偶に作ってくれる。どうやら、前に東方に来た時に酒場の大将から作り方を教わったらしく今ではサンドイッチに並ぶフィーネの十八番料理の1つだ。


フィーネが作ってくれるおむすびも美味しいのだが、やはり本場のおむすびの味はまた違うものがある。塩加減というか米の甘味とのバランスとか色々と。……もちろん、どちらも美味しいのだが。


満足した俺は大きく伸びをした。


「うーーん……よし。お腹も膨れたことだしそろそろ村に帰るか。もう皆バルオキーに集まってるかもしれないしな」

俺は早速合成鬼竜の所に向かうことにした。彼は様々な時代や場所を移動しているが、俺や仲間がいる場所の近くに必ず現れるので恐らく近くにいるだろう。合成鬼竜ならバルオキーまであっという間だ。わざわざ船でミグレイナ大陸まで行く必要もない。あれだと何日も掛かるし。


そんな時、近くに悲鳴のようなものが聞こえた。女性のものだ。


何かあったのだろうか?


俺はすぐにその声がした方に向かうことにした。


「いや! やめて!」

「キューン!」

俺がその声のした方に駆け付けると、女性と狸のような見た目をした妖魔が何か奪い合いをしているみたいだった。やがて、その狸の妖魔ーーーブンブクが女性から何かを奪い取ってそのまま女性を突き飛ばしてどこかへ逃げて行ってしまった。俺は女性のもとに駆け寄った。女性はいきなりの事でかなり動揺しているようだ。


「おい、大丈夫か!?」

「え、ええ……なんとか。でも私の髪飾りを持って行かれてしまって…… 前に母からお祝いで貰ったお気に入りの髪飾りだったのに……」

「そうなのか…… それじゃあ、俺が取り返して来るよ。このままじゃほっとけないし。あっちは確かイナナリ高原だったよな。……よし! 急げばまだ間に合うな。早く行くか」

俺は強く足を踏み込んで駆け出した。すると、薬を飲み始めた時ほどではないが、いつもよりずっと素早く動くことが出来、俺は既にイナナリ高原へ飛び出していた。


チラリと後ろを振り返ると、残された女性はあっという間に見えなくなった俺にビックリした様子でキョロキョロと辺りを見渡している。もう俺がイナナリ高原に飛び出していること自体気付いていないみたいだ。俺はその女性の様子にクスリと小さく笑うと先を急いだ。


早速、俺はブンブクを探して凄いスピードで高原を走り回った。俺が通り過ぎる度に高原にたくさん生えているススキの穂が大きく揺れ動く。そして、ようやく狸の妖魔、ブンブクを見付けた。口には髪飾りを咥えているので間違いない。


俺はすぐに急停止して音を出さないように近くの木とススキの影に隠れた。薬の効果が薄れたおかげかちゃんと止まれるようになっている。俺は隙を見て髪飾りを奪い返そうとじっと息を潜める。


しかし、隙を窺っているうちにそのブンブクの様子がどこかおかしいことに気が付いた。さっきから忙しなく周囲を見渡し動き回っていて落ち着きがない。何かに怯えているというか、まるで何かから逃げ回っているようだったのだ。


しばらくすると、その理由が分かった。どうやらあのブンブク、別の妖魔の縄張りに誤って足を踏み入れてしまい、追いかけられていた所だったらしい。凶暴な猪の妖魔ーーー朱猛猪によって。


しかも、3頭もいる。朱猛猪達は鼻息を荒くしてブンブクに威嚇している。かなりのプレッシャーだ。相当頭に血が上っているようだ。ブンブクは怯えて隙を突いて逃げようとしているが、3頭もいるので分が悪そうだ。既に追い込まれてしまっている。


絶体絶命の状況だ。このままではブンブクは髪飾りもろとも粉々にされてしまうだろう。


「このままじゃマズイな、急いで止めないと」

そう言って俺はブンブクの前に飛び出して自分の剣を構えた。朱猛猪達は俺を見ると大きな唸り声を上げた。どうやら、武器を持って攻撃的な目を向ける俺のことを標的に変えたらしい。


「さぁ、来い!」

朱猛猪の1頭が俺に鋭い牙を向けて突進攻撃を仕掛けてきた。直線上なのでかなりの素早さだが、今の俺には通じない。薬の影響もあって俺にはその動きが非常にゆっくりに見えた。俺は余裕を持って躱すとすかさず攻撃に転じる。


ブモオォォォォ!!!


攻撃された朱猛猪達は益々ヒートアップし、今度は3頭同時に辺り構わず突進を仕掛けてきた。突進しかない随分とレパートリーの乏しい攻撃だ。だが、それでも素早さや破壊力が相当なものなので、それらによって攻撃種類の貧弱さをカバー出来ているのだろう。


もっとも今の俺には関係のない話だが。


俺は次々に攻撃を躱してカウンターで攻撃を仕掛け、あっという間に3頭全部倒し切ってしまった。実に呆気ない戦いだった。


「よし、これで大丈夫だな。……でも本当に凄いな、あの薬の力は…… あの薬売りが言ってた通り、素早さは正義だな」

俺は何度目かの薬の効果に感心していると、何かツンツンと小突いてくるような感覚がした。足元を見てみると、そこにはブンブクがいた。戦っている最中にもう逃げられてしまったかと思っていたのだが違ったようだ。


ブンブクは嬉しそうに俺の足下をウロウロしていて、どうやら助けてもらったお礼がしたいらしい。なので、俺は髪飾りを返してもらうことにした。


ブンブクは女性から奪った髪飾りをいつの間にか気に入っていたらしく、最初は渋っている様子ではあったが恩人には逆らえないのか比較的素直に俺に渡してくれた。そして、髪飾りを返したブンブクはそのまま姿を消してしまった。これに懲りてもう別の妖魔の縄張りに入らないと良いのだが。


「さてと…… 早くあの女の人に返さないとな」

そう言いながら俺は急いでイザナへと向かった。俺が走るとススキだけでなく、近くの木まで大きく揺れ動いた。だが、心なしか先程より揺れが


ーーーーーーーーーー

「髪飾りを取り戻して頂いて本当にありがとうございました」

「いや、困った時はお互い様だよ。今度は取られないように気を付けて」

さっきの女性に髪飾りを返して別れた後、俺は今度こそバルオキーに帰ることにした。朝から人助けをしたのは良いが、村を飛び出して既に何日も経っているので早く帰りたい。もうエイミ達はバルオキーに来ている頃だろう。


恐らく合成鬼竜はイナナリ高原にでもいるはずだ。さっきはブンブクを探すのに夢中で気付かなかったが間違いないだろう。イザナでは人の目もあるし、何より場所の広さの問題もある。ああ、人が多いと止まれないし。早いところ乗せてバルオキーまで送ってもらおう。


そう思いながら俺がイナナリ高原に向かっていると、突然身体全体が雷属性の攻撃を受けた時のように痺れるような感覚がした後、とてつもなく身体が重くなったような気がした。


まるで身体が石で出来ているかのようだ。まともに動かすことも出来ない。しかも、足が特に酷かった。さっきまで何ともなかったはずなのに足の裏が剣で滅多刺しにされたかのような激痛が走り、歩くどころか真っ直ぐ立つことすらも困難になっていく。


「な……なん……だ………これ…………… まさ……か……く…すりが………切れ…………」

やがて、俺は平衡感覚も狂い始めて立っていられなくなり、バランスを崩してバタリと倒れてしまった。いつの間にか呂律も回らなくなり、上手く話せない。足はおろか腕にも力が入らない。それにより顔も上げられそうになかった。


どうやら、薬の効果が完全に切れてしまったようだ。効果が切れたことで今まで散々走り回った疲れなども一気に出て来たのだろうが、恐らくこの薬の副作用も少なからず含まれているのかもしれない。そのせいか突然現れた身体の痛みや倦怠感で俺は1歩も動くことが出来ない。


(くっ…………身体が全然動かない。もしかして俺、このまま行き倒れるのか……… まだ歴史を元に戻せていないのに…… エデンだって助けられていないのに………… まだ………終わるわけには……………)

段々と目が霞んできた。このままでは俺は行き倒れてしまう。なんとか意識を保とうとするが………無駄だった。身体だけでなく瞼も重くなっていく。


その時ーーーーーーー


「む……? こんな所で行き倒れか?」

聞き覚えのある声が聞こえて来た。そして、少し魚の匂いもする。俺はなんとか力を振り絞ってゆっくりと顔を上げ、声のした方に目を向けると、そこには紫色の髪をした侍の青年が立っていた。あまり表情を変えないその顔には僅かにだが驚きの色があった。だけど、これで助かった。


「シ……シオン……………」

「アルドではないか。一体どうしたのだ、こんな所で。随分顔色も悪いようだが」

シオンが心配そうに話しかける。手を差し伸べてくれているが、今の俺にはその手を掴むだけの力が残っていない。


「シ……オン……… 悪い…………んだけど………合…成……鬼…………りゅうまで…………は…こ…んで……ほしい……………… そこか……ら、バ…ルオキー……に…………………」

呂律があまり回らない中、俺はなんとかシオンにやって欲しいことを伝えた。シオンは何が何だか分からない様子だったが、非常事態であることは察してくれたらしく、力強く頷くと肩を貸してくれた。俺は仲間に会えた安心感からか、途中で意識が途切れてしまった。だが、仲間思いで責任感の強いシオンなら間違いなく俺を合成鬼竜まで連れて行ってくれるだろう。


俺にはそういう確信があった。

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