第3話 アルド、海を渡る

セレナ海岸。王都ユニガンとその先にある港町リンデとを繋ぐ岩ばかりの海岸である。ここは元々人通りが少なかったのに、しかも以前の魔獣軍侵攻によってリンデが大分寂れてしまったことで益々人通りが少なくなってしまっている。


それにより、一部の場所はならず者や魔獣軍残党の溜まり場になってしまっている。そのため、治安はお世辞にも良いとは言い難い。


「きゃあぁぁぁ!! 誰かーーー!!」

そんな時、どこからか女性の悲鳴が響く。しかし、その悲鳴はすぐにかき消された。布を口に突っ込まれて口を塞がれたのだ。縛られて岩陰の方に押し込まれた女性の前には4人の男が立っていた。


女性は王都ユニガンに住んでおり、今日はリンデの方に用事があったので出かけていたのだが、その途中で運悪くゴロツキ達に攫われてしまったのだ。薄汚い格好で武装した男達はその女性に下卑た目を向けている。男の1人が嫌らしく笑った。どうやらゴロツキ達のリーダー格のようだ。


「よし。これで動きは取れないし喋れねえだろ」

「しっかし、兄貴。この女はどうするんで?」

「そんなもん決まってんだろ。この女は王都でもかなり大きな商会の会長の娘だぜ。定期的にリンデの方に行くからここで待ち伏せしておいて正解だった。上手くやりゃたんまり身代金が貰えるだろうよ」

「なるほど、流石兄貴だぜ!!」

「………!」

女性は目を見開いた。ゴロツキ達に自分の正体を見抜かれたからだ。リンデへの用事というのも取引先への商談という商会の仕事に関わる大事なものだった。女ではあるが、交渉が上手く男にも引けを取らない。その手腕を認められて今の重要な仕事も任されている。決して会長の娘だからという理由ではない。そう彼女は自負していたし誇りに思っていた。


しかし、まさかゴロツキ達にそれを察知されていたなんて…… もっとも、ゴロツキ達は会長の娘という所しか見ていなかったが。彼女にとってそれはある意味、屈辱的なことだった。


女性は目に涙を浮かべながら必死に身体を動かして抵抗しようとするが、身体を縛る縄は固く結ばれていて無駄だった。


「ギャハハハ! 無駄だよ。さて、俺達をたっぷり儲けさせてくれよ」

リーダー格の男は下品な笑い声を上げながらそう言うと、女性に向かって手を伸ばそうとする。女性は悔しさを噛み締めながら、目を瞑る。


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………………」

その時、どこかからこのゴロツキ達とは別の男の声が聞こえて来た。かなり遠くの方からだ。それはまるで悲鳴のようだった。しかし、不思議なことに最初は虫の羽音のような大きさだったはずのその悲鳴はどんどん大きくなっているように感じる。


女性は恐る恐る目を開ける。ゴロツキ達はその悲鳴がする方向に胡乱げに目を向けた。すると信じられない光景が飛び込んできた。


「お、おい…… なんかあの人みてえな奴……俺達に向かって来てないか………?」

「てか人があんなスピードで走れる訳……… 魔物か何かじゃねえのか?」

「でもよぉ、あんなの見たことあるか……?」

何人かのゴロツキはこの状況がよく分かっていないのか呑気にそんな感想を漏らしているが、ゴロツキ達のリーダー格の男がハッとした様子で急いで部下に指示を出そうと怒鳴り声を上げる。


「おい! 何をボケッとしてやがる! 早く避け………」


ドカン!! ドカン!! ドカン!! ドカン!!


その何かはゴロツキ達を1人残らず勢いよく吹っ飛ばしてそのまま風のように駆け抜けて行ってしまった。女性は幸いなことにゴロツキ達によって岩陰の方に押し込められていたので無事で済んだ。岩陰の方にいたのは誘拐の現場を目撃されないようにするためのゴロツキ達の用心だったのだが、それが幸運にも女性の身を守ることに繋がったのだ。


吹っ飛ばされたゴロツキ達は全員仲良く海にダイブしてしまった。水飛沫が勢いよく上がる。幸いにもゴロツキ達は掠っただけなので、死にはしなかった。もし直撃していたら今頃はただの肉塊になっていただろう。それ程までにそのは高速で動いていたのだ。それは不幸中の幸いだったと言える。


だが、彼らの悪運はまだ続いていた。


「クソが……! 何なんだよ、ありゃ……」

「せっかく金になりそうだったのによ……」

そんな風に悪態を吐いていたゴロツキ達が海に漂っているところは丁度、獰猛な魚の魔物、エイヒ達の縄張りだったのだ。彼らは非常に縄張り意識が強く、獲物や余所者が入ると速攻で泳いで攻撃を仕掛けて来るのだ。そんな訳でエイヒ達は縄張りに入り込んだゴロツキ達を狙って泳いで来たのだ。


ただでさえ突然海に放り出されて何が何だか分からず動揺しているゴロツキ達はエイヒの群れが自分達に迫っているのを見付けるとより一層パニックになった。


「おい! あれ、魔物じゃねえか!?」

「嘘だろ!?」

「馬鹿野郎! んなもん、見りゃあわかる!! 早く逃げるぞ!!」

突然の事態にパニックになっている部下達を尻目に、リーダー格の男はそう怒鳴るとさっさと1人で泳いで行ってしまった。その様子に部下達も慌てて泳いで付いて行く。


「ちょ! 待ってください、兄貴!」

「置いて行かないで!」

「うるせえ! おめえら、付いてくんな!!」

泳ぎながら醜い言い争いをしているゴロツキ達をエイヒの群れは冷静に追いかける。魚型の魔物は泳ぐのが速い。その差は着実に狭くなっていた。必死で泳ぐゴロツキ達の表情はやがて恐怖と焦りと絶望に染まっていく。



その後、セレナ海岸に巣食っていたゴロツキの集団が行方不明になってしまったそうだ。彼らを見た者は誰もいないらしい。


ーーーーーーーーーー

「うむん、んんんーーーーー!! ………ぶはぁっ!!」

その頃、1人取り残されていた女性は縛られて身動きの取れない身体を何とか動かして近くに落ちているナイフ(恐らくゴロツキの1人が吹っ飛ばされた時に落としたものと思われる)を手でやっとのことで掴む。そして、それを器用に使って縄を切ってほどいた。所々刃こぼれしていて切れ味が悪かったが、何とか切ることが出来た。女性は口に押し込められていた布を出してやっとのことで自由の身になった。


「はぁ…はぁ……助かりました。でも、あの風のようなものは一体………」

女性はゴロツキ達を吹っ飛ばして行ったものが向かった先を見つめた。もう既に姿はない。


「はっ……! こうしてはいられません。早くリンデに行かないと……」

リンデで行うはずだった商談の時間が迫っている。幸いにも予定よりも早めの時間に王都ユニガンを出ていたので遅刻するという最悪の事態は避けられそうである。女性は早くリンデに向かおうとするが、その時に足元の方にが落ちているのに気が付いた。


「あら? これは………」



ーーーーーーーーーー

「うわああぁぁぁぁぁぁ!! 一体いつになったら止まるんだよ、これは!!」

アルドは走りながら叫んだ。バルオキーを飛び出してカレク湿原、王都ユニガン、セレナ海岸をすごいスピードで走り抜けているが、一向に止まる気配がない。寧ろ少しずつだが、確実に速くなってきている気がする。道中、魔物みたいなものを吹っ飛ばしたような気がするが、分からない。気が付いたら何も残っていないからだ。


やがて港町リンデが見えてきた。バルオキーを出てまだ半日も経っていないのに……


「これはまずい。早く止まらないと海に飛び込むぞ」

リンデの奥は海だ。このまま止まらなければ俺は海にそのまま飛び込むことになりそうだ。俺はその光景を想像してゾッとした。俺はあまり水に入るのが好きじゃない。サイラスだったら多分問題は無さそうだけど。……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


そんなことを考えているうちに俺は既にリンデに入っていた。なんとか他の人にぶつからないようにスレスレで躱しているのだが、すれ違う人達は俺が走ったことで起こる突風で吹き飛ばされそうになっている。だが、彼らは俺が通ったことにすら気付いていないらしい。それほどまでに今の俺は速くなっているらしい。


やがて木で出来た桟橋を抜けていき目の前には海が見えてきた。俺は必死で止めようとするが、全く効果がない。それどころか変に力を入れてしまったせいなのか、もっとスピードアップしていく。


もう駄目だ!! 飛び込む!!


俺は思わず目を強く閉じた。


タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッ………………………………


あれ………………変だな。


いつまで経っても水を浴びたような感覚が無いうえに、何故か水を弾くような変な音が下から聞こえてくる。まさか…………


俺は恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「な!? 俺……海の上を走っているのか!?」

改めて薬の効果は本当に凄い。まさか水の上を走れる程の速さが出せるとは…………


「……って感心してる場合じゃないぞ! 早く何とかしないと………」

だが、やはりと言うべきか一向に止まる気配はない。俺が思わず後ろを振り向くともう既にリンデの姿は無い。完全にミグレイナ大陸を飛び出してしまったようだ。ついでに周囲を見渡すと他の大陸はおろか小さな島すら見えない。周りには海しかない状況だ。


「あれ………待てよ。もし……もしもこの海のど真ん中で薬の効果が切れたりでもしたら…………」

俺はそう考えていくうちに血の気が引いていくのを感じた。


そうだ。ここで薬が切れたら俺は今のように早く走れなくなり、そのまま海に沈んで海の藻屑になってしまう。そして、魚の餌に…………


「うわああぁぁぁぁぁぁ!! 早く陸に向かわないとーー!! 陸はどこなんだーー!?」

恐ろしい未来図を想像してしまった俺は途端に恐ろしくなって、急いで足に力を込めた。すると、俺の足はみるみるうちに加速されていき、今までとは比べものにならない程の速度になっていく。


それに伴い、今まで以上の強い風が俺の身体を押し返そうとしてくる。やがて息をするのもキツくなっていく。フッと気を抜けばあっという間に意識を失いそうな程の強い風だ。しかも、日が沈み始めてきたこともあって段々と寒くなってきた。流石にクンロン山脈程ではないが、状況は最悪だ。


だけど、気絶なんてしていられない。もしもここで気絶なんてすれば間違いなくその時が俺の最期だ。


止まっちゃダメだ。止まっちゃダメだ。止まっちゃダメだ。止まっちゃダメだ。止まっちゃダメだ。止まっちゃダメだ………………………


俺は必死に自分にそう言い聞かせる。そして、なんとか身体中に感じる風の圧力に堪えながらも海を走り抜けて行った。俺が走り抜けた後には船が通り抜けた後に出来る白い波のようなものが出来ていた。



ーーーーーーーーーー

「あれ? 今日はここの海域で船なんて俺たち以外、1隻も通ってないはずなのに何で航跡があるんだ?」

「本当だ。うーーん、近くに船も見当たらないし、航跡の状態から見るにそれほど時間は経ってないはずなのに……ん? そういえば、ここって先週小さな船が事故で沈んだって聞いたことがあるな…… まさか………」

「お、おい…… 冗談よせよ……」

「で、でもよ……… もしかしたら……………」


数日後、リンデを出て少し離れた海域では幽霊船が出るのではないかという噂が立ち、リンデの船乗り達は震え上がったと言う。

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