第2話 知らずに人助け

「くそぉ…… コイツ、なんて強さだ………」

僕は思わず己の無力さに歯噛みする。周囲を見渡すと他の同僚の騎士達も同じように悔しげな表情を浮かべている。


急いで立ち上がろうとするが、足にズキリと鈍痛が走る。どうやらさっきの一撃を躱した時に足を挫いたらしい。だが、それを敵に悟られる訳にはいかない。なんとか堪えないと……


目の前には、全身が青い鱗やトゲで覆われ、大きな腕や鋭い牙が無数に生えた長い口、大きくて太い尻尾を持った爬虫類のような姿をした魔物、リチャードが唸り声を上げて僕達に威嚇している。


ただし、このリチャードは通常のものよりも3倍ほどの大きさをしており、しかもパワーやスピードも桁違いだ。なので、奴にはまだ全然まともなダメージを与えられていない。



ーーーーーーーーーー

僕が子供の頃からの憧れだったミグランス騎士団に入るために故郷の小さな村を飛び出してから、もうかれこれ1年経つ。入団する前から村でずっと真面目に鍛錬を重ねてきて、その甲斐あってか同期の中でも比較的強かった僕は自分の実力には自信があった。だが、今回のことでまだまだ自分が未熟であることを思い知らされた。


僕が所属する部隊に与えられた今回の任務は最近カレク湿原に出没したという凶暴な魔物の群れの討伐だ。魔獣軍の侵攻やオーガ族、果てには東方同盟だの、このミグランス王国には色々なことがあったが、こういった仕事はいつまで経っても変わらない。だが、騎士の仕事の本分は民を守ることなのだから文句など言ってられない。


そして任務だが、なんとか例の大型リチャード以外の魔物達は倒すことは出来た。


だが、こいつだけは他の魔物達とは別格で本当に手強い。図体の割には素早く動くので騎士達の剣や槍が全然当たらない上に奴が振るっている奴と同じくらいの大きさをした包丁の一撃はとてつもなく重たいのだ。


それによって隊の陣形が大きく乱れてしまう。隊長も必死に指揮を執っているのだが、今一つ決定打に欠ける。


しかも、カレク湿原は常に霧が出ているのだが、今日は特に霧が濃い。そのせいか視界が悪く奴を捉えにくいのだ。逆にリチャードは鼻が効くため僕達の位置が簡単にバレてしまい、段々とこちらが追い詰められていく。


リチャードは他の騎士達から離れてしまった僕を見付けるや否やニタリと笑みを浮かべる。


その笑みはまるで悪ガキが弱った生き物を見つけた時のように悪辣で残虐で、恐ろしいものだった。それを見ただけで奴が次に何をしようとするのか大体の察しがつく。そして、やはりリチャードは楽しそうに包丁を大きく振りかぶった。


くっ………僕の足のことに気付いたか………


僕は急いで躱そうとするがよろけてしまい倒れてしまった。躱すのはもう間に合わない。


クソ……! ここまでか…… まだ死ぬわけには…………… 僕は無念さを噛み締めながら目を閉じて死を覚悟した。


「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………………………」


うん?


何か叫び声のような音が聞こえて、僕は思わず今の状況を忘れてその声がした方に目を凝らす。遠くをよく見ると、霧でボンヤリしているが何か……人のような形をしたものが物凄い速さでこちらに向かって来ているのが分かった。僕だけでなく他の騎士達やリチャードでさえもその異様な光景に目を点にしている。


やがて、その悲鳴は段々と大きくなっていく。それに気付いた隊長が顔を引き攣らせて叫んだ。


「た、退避! 退避ーーー!! 急いでその場から離れろーー!!」

騎士達は隊長の指示に従って瞬時に散らばった。僕も仲間の騎士に身体を支えられてすぐにその場を離れた。数秒後、リチャードも本能に従って急いでその場を離れようとしたが、その時にはもう遅かった。


「うわあああぁぁぁぁぁ!! どいて、どいてくれええぇぇぇーーーー」


ドカン!!!


そのは僕達が散々苦戦していたリチャードの巨体をあっさりと吹っ飛ばしてしまった。リチャードを勢い良く吹っ飛ばしたその何かはそのまま止まることなくカレク湿原を駆け抜けて行ってしまった。


そして、吹っ飛ばされたリチャードはと言うと……2〜3回程大きな身体を回転させた後、地面に勢いよく背中から叩き付けられてしまった。それだけでもかなりの大ダメージなのだが、更にリチャードにとって運の悪いことに自分の持っていた包丁が腹に深く突き刺さってしまっていた。


どうやら凄い速さで迫ってきた何かによって吹っ飛ばされた時に包丁が手から離れてしまい、地面に叩き付けられてから少し遅れて包丁が深く突き刺さってしまったのだ。リチャードも背中から叩きつけられたショックで動けずに刺されてしまったようだ。


それによってリチャードは先程まで猛威を振るっていた姿とは一転、息も絶え絶えな状態になっていた。完全に致命傷を負ってしまっている。


奴に殺されかけていた僕達ですら、思わず哀れさを感じさせてしまう光景だった。僕を含めた騎士達は呆然としていたのだが、突然我に返った隊長が叫んだ。


「……い、今がチャンスだ! 全員急いでトドメを刺すぞ!! このチャンスを逃すな!」

「……お、おおおぉぉぉ!!」

…………こうして、僕達の任務は無事に終了した。こんな幕切れで少し複雑な気分ではあるが。


任務の後始末をして、僕の足も応急処置によってなんとか1人で歩けるくらいには回復した頃ーーー同僚の騎士の1人が僕に話し掛けて来た。


「なぁ、結局あのリチャードを吹っ飛ばした奴は一体何だったんだろうな?」

「……………さぁ。何なんだろう、あれ。人……みたいだったけど………」

「でもまぁ、ラキシス様なら何か知っているかもしれないな……」

「ああ、後で尋ねてみよう………」

そう言って僕は荷物を持って仲間の騎士達と共に王都へ向かった。



ーーーーーーーーーーーーーーー

王都ユニガン。王城ミグランス城が奥にそびえ立つ城下町だ。多くの家や店が立ち並び、人口もバルオキーの比ではない。そのユニガンに立っている1本の街路樹の所に心配そうな顔で佇んでいる幼い少女がいた。


「ど、どうしよう………」

「どうしたのですか? 何かお困りのようですが」

そんな少女の近くに大きな手裏剣を背負い、忍び装束を身に纏った少女が音もなく現れた。アルドの仲間の1人のツバメだ。妹のスズメも一緒にいる。少女は突然現れたツバメとスズメに驚いたようだが、すぐに気を取り直したように話し始める。


「わわっ! えっと…… 私の猫のメリーが木に登っちゃったきり降りられなくなっちゃって………」

そう言って少女が木を示すと枝の方には白毛の子猫が心細そうに鳴いているのが見える。


「お姉ちゃん、お願い。メリーを助けて」

少女の必死の頼みにツバメは頷き、メリーを助けようと集中した次の瞬間ーーーーーー


「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………………」

遠くから悲鳴と共に何かが物凄い速さでこちらに向かって来ているのが見えた。ツバメは急いで少女を抱えてその場から離れて、隅に移動した。


そして、何かはツバメ達がいた場所をあっという間に凄い速さで通り過ぎて行き、セレナ海岸の方に向かって行ってしまった。


すると、思いがけないことが起こった。その素早い何かが通り過ぎたことで強い突風が起こり、木を大きく揺らしたのだ。すると、哀れな猫のメリーは必死で捕まろうとするが、足を滑らせて木の枝から振り落とされてしまった。


「ああ、メリーちゃん!!」

少女が悲鳴交じりに叫んだと同時にツバメは走って何とかメリーをキャッチした。優しく抱き抱えて捕まえたのでメリーには怪我1つ無かった。ツバメはメリーを少女に渡した。メリーは安心したからか嬉しそうに鳴き声を上げる。少女は大喜びでツバメにお礼を言った。


「ありがとう、お姉ちゃん! メリーを助けてくれて」

「いえ。これは私だけの力ではありませんよ。あの風のように通り過ぎて行った人のお陰でもありますから」

ツバメはそう謙遜しながら答えた。そして、後でその人にもお礼を言っておくように伝えた。


それから少女と別れた後、ツバメはスズメと共に酒場に向かった。仕事のためだ。その道中ツバメは先程の何かについて考えていた。

「………それにしてもは一体いつの間にあのような高度な術を……… 私も負けられませんね」

「……ニャーーー(違うと思うけど……)」

ツバメは先程の何かの正体を見抜いていた。クノイチというのは任務をこなすために視力も鍛えておく必要があるので目が非常に良い。なので、高速で走り抜けて行った者がアルドだということは見抜いていた。


しかし、彼女はそれを忍術によるものだと勘違いしていた。スズメは呆れた様子で鳴き声を上げるが、ツバメには届かなかった。

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