第39話 金愛姫の確保

 今、俺たちは山川署の中央会議室に居る。一番前の説明をする机に曽我刑事と彩芽、ミイと一緒に座っている。

 ミイは日奈子を抱いているので、この姿を見ると親子連れの会見のように見え、集まった刑事たちも不思議に思っているのか、会議室自体が騒ついている。

「えー、それでは、これより金愛姫に関する捜査の説明を行う」

 話を始めたのは曽我刑事だ。

「今回は、情報鑑識センターの桂川警視の方から捜査の説明を行って頂く。では、警視お願いします」

 紹介された彩芽が立ち上がり、マイクを持った。

「情報鑑識センターの桂川です。これより金愛姫についての捜査説明を行います。

 我々は金愛姫の電話番号を入手しました。その番号に電話をかけて金愛姫を誘き出しますので、各人は周囲を固めて逮捕して頂きたいと思います。

 場所はここになります。ミイちゃん、モニターに出して」

 指示されたミイが、モニターに地図を出した。

 そこは新宿からほど近い小さな公園だ。その公園を取り囲んで、やって来た金愛姫を逮捕するというものだ。

「そこに現れるという確証はあるのですか?」

 会議に出てる刑事から質問が出た。

「これは、この前逮捕した前田英二という売人の携帯から判別しました。前田は金愛姫と連絡を取った後、必ずこの公園に行った事がGPSの軌跡から判明しています。

 恐らく、そこで麻薬の受け渡しをしていたと思われます」

 刑事の疑問に答えるように彩芽が言う。

「期日は、いつになりますか?」

 前田はいつも日曜日の早朝に会っていた事が、これも履歴から判明しています。従って今度の日曜日の朝7時にアポを取ります」

「他に質問は?」

 曽我刑事が言うが、誰も手を上げない。

「それでは配置は別途連絡する。解散」

 金愛姫逮捕の手順は整った。


 日曜日の朝になった。いつもより、かなり早い朝5時に山川署に集合し、各自変装して指定の公園に行く。小さい公園で、名前も知らなかったが、行ってみると「スワン公園」と言う名だった。

 見ると、公園の入り口に白鳥の作り物がある。これがこの公園の名前になったのだろう。

 公園の周辺には、浮浪者に変装した刑事、サラリーマン風の刑事、若者風の刑事、飲み屋のママ風の女性刑事が、配置についている。

 俺は普段着で来た。それは彩芽が、その方が自然に見えると言ったからだ。

 彩芽は日奈子を抱いて来ている。その姿は我が子を抱いている主婦そのものだ。

 そしてミイだが、ミイは姿を変える事が出来るので、前田の姿になってベンチに座っている。

 相手が怪人二十面相なら、こっちは荷電粒子結合体だ。

 7時になると、公園から刑事たちの姿が消えた。日曜日の朝7時だ。公園に多くの人が居る事の方が可笑しい。

 なので、今は誰もいない。そして、時計が7時を指す。

 前田に姿を変えたミイの座るベンチに、女性が近づいて行くのが目に入った。

 その女性はミイの前に来ると、持っていたバッグから封筒を出した。ミイはポケットから金を出す。

 お互いに一言も話さずに、動作だけが行なわれる。

 ミイが封筒を受け取り、女性がミイから金を受け取ろうとした時だ。ミイが女性の腕を掴んだ。

「バシッ」

 その瞬間、ミイが電撃を発して、女性がその場に倒れた。

 そこに、公園の周りに居た刑事たちが一斉に走り寄る。だが、女性は気絶しており、抵抗することなく捕まった。

 手錠を掛けられると、女性が目を覚ました。

「金愛姫こと前田由紀だな。麻薬所持の疑いで逮捕する」

「私が渡した封筒が麻薬だと調べもしないで、逮捕なんて可笑しいでしょ。それに私は金愛姫なんて名前じゃない」

「封筒に付着していた反応から薬物反応を検出しています。それに顔認証から前田由紀であることを確認しました」

 金愛姫の言葉にミイが答える。

「連行しろ」

 曽我刑事の命令で、私服刑事たちが金愛姫をパトカーに乗せて連れて行った。

 俺たちも山川署に行ってみる。この間、金愛姫のスマホは女性刑事によって、回収されている。

 今の時代、スマホ一つあればかなりの情報が得られるからだ。

 取調室に連れて行かれた金愛姫は、早速取調べが行われる。

「金愛姫こと、前田由紀で間違いはないな」

 曽我刑事と隣には白鳥刑事もいる。

「…」

 金愛姫は黙っている。

「では、この男を知っているか?」

 モニターに前田英二の写真が写った。金愛姫はそれをちらっと見ただけで、目線を外した。

「恐らく、名前も知らないだろうから教えてやろう。この男は前田英二、本当の名前は朴哲男と言い、お前の母の兄さんだ。つまり、お前の叔父ということになる」

「し、知らない…」

 明らかに動揺している様子が伺える。

「では、お前の他に金愛姫は何人居るんだ?」

「…」

「そっちもダンマリか。さて、何をしたら話してくれるんだ」

「では、スマホからあらゆるデータを出します。まずは、着信履歴から」

 ミイが言うと、モニターにスマホの着信履歴が表示される。

「この李博浩という人物に主に電話をかけているな。この人物を徹底的に洗うか」

 曽我刑事が言うので、俺がミイに指示を出す。

「ミイ、この李博浩に関する情報を収集して、モニターに出してくれ」

 俺の指示により、ミイが検索して結果をモニターに出てくる。

「性別:不明、国籍:不明、年齢:不明、住所:不明、職業:不明、入国の時期:不明、出国の時期:不明。名前の確認:取れず」

「何だこりゃ!全て不明じゃないか。しかも名前の確認が取れないと言う事は、本人かどうかも分からないと言う事じゃないか。いやはや困ったな」

 曽我刑事も頭を抱えた。

「今の携帯電話にはメモリ機能があり、会話の録音が残っている場合があります。履歴から、前回の会話を取り出しましょう。ミイ、頼む」

 俺が再び指示をするとミイが前回の会話を取り出し始めた。

『由紀です。指定の場所で、指示された男に渡しました』

『では、次の指令を出すので、いつもの場所に来てくれ』

『分かりました』

 電話の会話はそこまでだった。

「いつもの場所とはどこだ?」

 曽我刑事が前田由紀に聞くが相変わらず、由紀は何も答えない。

「スマホに残されたGPSの軌跡を追いましょう。ミイ、由紀の行動履歴を出してくれ」

 モニターに地図が表示され、そこにGPSの軌跡が表示されていく。

 その軌跡は主に二つある。調べたところ、そのどちらもマンションのようだ。曽我刑事が捜査本部に連絡し、待機の刑事たちが直ぐに現場に向かう事になった。

「お前も叔父に会いたいだろう。今、ここに居るから連れて来させよう」

 曽我刑事が近くに居た刑事に指示をすると、指示を受けた刑事は部屋を出て行った。しばらくすると、刑事は一人の男を連れてやって来た。

「前田、これが姪の前田由紀だ。お前も姪として会うのは初めてだろう。客としてなら会った事もあるだろうが」

「…」

 前田英二の方は、座っている女性を見つめたまま何も言わない。それは、由紀も同じだ。

「由紀なのか?」

 しばらくの沈黙の後に、前田英二が言う。

「…」

 由紀は、その言葉に答えない。

「お前が由紀だったのか?俺がグレてしまったばかりに、お前の母さんには悪い事をした。申し訳ない」

 前田英二は、由紀に向かって深々と頭を下げた。

「今更、頭を下げられても…」

 由紀が、言った言葉はこれだけだった。

 前田英二が幼い頃から悪さをしたため、一家は犯罪者の家というレッテルを貼られ、世間から後ろ指を指されながら生きて来た。

 それは、住居を変えようが、職業を変えようが、誰が探してくるのか、その秘密はバレてしまう。

 バレてしまうと、もうそこには居れない。結局、家族は離散となり、母親は由紀の母を連れて家を出て、女手一つで由紀の母親を育てたのだろう。

 由紀の母親が、どうやって生きてきたかは分からない。一度は結婚したのか、それとも私生児として由紀を生んだのか。そして今、母親はどうしているのか。本当は、生きているのか死んでいるのかさえ不明だ。

「弘子はどうしている?」

 弘子は英二の妹、由紀の母親だろう。

「死んだ」

 短く、由紀は答えた。

 その言葉を聞いた前田英二は崩れ落ち、顔を床に伏して泣き出した。周りに人が居るのも気にしていない。

 前田英二は涙に濡れた顔を上げると、そのまま由紀に聞いた。

「死因は何だった?死んだのは、いつだ?」

「もう22年も前、原因は入水自殺。私を連れて無理心中しようとしたけど、私だけ生き残った。でも、生き延びても地獄だった」

 その言葉を聞いたミイが、22年前の新聞記事をモニターに出す。その新聞記事には平成19年2月3日の日付がある地方紙の小さな記事だ。

『昨日、千葉県の海岸から子供を抱いた女性が、海に入って行くのを見た釣り人が警察に連絡したが母は死亡、娘は薬で眠らされていたおかげで、一命を取り留めた』という記事の内容だ。

 自殺なので、名前は書かれていない。

 その後の事もモニターに出て来た。ミイが調べたのだろう。

 生き残った少女は児童施設に引き取られて中学を卒業する。しかし、中学を出ると自立しなければならない。

 少女は、ある町工場に住み込みで働く事になる。しかし、その工場を1年程で退職し、後の行方は分からない。16歳の少女がその後、どのような経歴を辿ったかは、想像に難くない。

「この時の、工場の社長とかにも話を聞く必要がありそうだな。覚えていればだけど」

 曽我刑事の言葉で、部屋の隅に居た刑事が外の刑事に何か言っている。恐らくその社長に事情を聴くように指示を出したのだろう。

 モニターに表示された由紀の経歴を見ていた前田英二は、再び泣き出した。

「すまない、すまない…」

 由紀の母、弘子が自殺した事の由紀への謝罪だろうか、それとも、弘子自身への謝罪だろうか。

 前田英二の両親は前田の年齢から考えて、既にこの世に居ないだろう。

 静かになった取調室に、前田英二の嗚咽だけが響く。

「いいのよ、もう。今更、どうにもしようがないから」

「そうだ、由紀、由紀には子供とかはいないのか。それは男の子かそれとも女の子か?」

「私に子供はいないわ。子供が要ると、私も子供も辛い思いをするだけだから」

 由紀の目はなんだか優しい目に変わっている。それに話もするようになった。

「それでだ、お前たちのような被害者を出さないためにも、麻薬は根絶させないとダメなんだ。この、密売組織に関する事で知っている事が教えて欲しい」

 曽我刑事が宥める様に言うと、由紀が口を開いた。

「その李という男の素性は分かりません。本名なのか偽名なのかさえ。私が知っているのは電話番号だけ」

「その李とはどういう風に知り合ったんだ?」

「17歳になったばかりの頃、工場に私の叔父と名乗る人物が来て、私を連れて行きました。私にとっては親戚だと思ったのですが、実は組織の一員だった事は後から知りました」

 そこで一息ついた。その話は、前田英二も聞いている。

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