第36話 仕事熱心な嫁

「ご飯よ」

 着替えたらリビングから彩芽の呼ぶ声がする。

 リビングに行くと、テーブルの上には炒飯が乗っていた。

 二人で、遅くなった昼ご飯を食べると、ふと昔の炒飯対決を思い出した。

「昔さ、彩芽と山本先輩とミイで炒飯対決した事があったじゃないか。あの時は、山本先輩の勝利だったけど、彩芽の炒飯も美味しいよな」

「またぁ、本音を言っても良いのよ」

「本当さ、でも山本先輩って、あんなに料理が上手くて女子力も高そうなのに、何んで結婚出来ないんだろう」

「うーん、彼女はお茶の水女子大卒だし、相手もそうなると構えるからじゃないの?」

「えっ、そうなんだ。山本先輩って秀才だったんだ。ところでさ、彩芽ってどこ出身なんだっけ?」

「えっー、今更それを聞く?」

「そう言えば、聞いてなかったなと思って。なんだか、急に結婚って事になって、良く考えれば、彩芽の事も知らない事ばかりだ」

「もう、結婚してから3年も経つのよ」

「確かにそうだよな。俺は夫として失格かもしれないな」

「そんな事ないよ。圭くんは、ちゃんとした立派な旦那さんだよ」

「それで、彩芽の出身は?」

「私は東大法学部卒よ」

「ええっー!そうだったのか!」

「もう、今更よ」

 うちの嫁は、以外と天才だったのかもしれない。

「彩芽って1種合格なのか」

 1種とはキャリアの事だ。

「ええ、そうよ。知らなかったっけ?」

「知らなかった。でも、そうだとすると、今頃は警視正じゃないのか?」

「私は現場に居たかったから断って来たし、今は圭くんのお嫁さんで育休だから警視正待遇で止まっているわ」

「えっ、警視正待遇?」

「育休に入る前に内示を貰って、そのまま」

「ちょっと待ってくれよ。もし、彩芽が警視正になると、どうなるんだ?」

「情報鑑識センターの福山所長の後任でって事になっているけど、育休に入ったから、福山所長も、そのままって事になってる」

 もし、彩芽が育休から復帰したら情報鑑識センターの所長になり、それに反して俺はただの平警官ということになる。

 もちろん俺はノンキャリなので、そんなに出世出来る訳がない。

 彩芽が仕事に復帰すると妻が所長、旦那が平という夫婦が出来上がる。

「彩芽が仕事に復帰すると、俺は彩芽の部下ということか」

「でも、私、圭くんと一緒に仕事がしたいから、それを断ろうと思っているの」

「そんなの出来るのか?」

「それは分からないけど…。でも、もし所長になったら逆に何でもやれるから、その時は私が圭くんと一緒に組もうかな」

「いや、それはマズイじゃないか?」

「そうかな?」

 昼食を摂りながら、そんな話をする。

「でも今って、若い人が少ないから、中々警官の成り手もなくて、福山所長も早く復帰してくれって言っているのよ。今は子供が居る夫婦のために保育所とか完備されているから、問題ないだろうって」

「なら、復帰するのか?」

「取り敢えず日奈子が1歳になるまでは育休を貰う事になっているから、それまでは復帰しないつもり」

「そうか」

「でも、家に居るのも暇だから、時々は仕事場に行ってみようかな」

「えー!」

「良いじゃない。妻は夫の仕事ぶりを見て見たいものなのよ。食事が済んだら片付けるわね」

 彩芽はそう言うと、汚れた食器を片付け、そのまま日奈子に授乳する。

 俺は流し台に置かれた食器を洗うのが最近のルールになっているが、俺には強い味方がいる。

「ミイ、食器洗いを頼めるか?」

「分かりました。ご主人さま」

 食器洗いと言っても、茶わんや皿は食器洗い機があるので、そちらで洗う。手で洗うのは鍋やフライパンなどの調理器具だけだ。

 ミイは食器洗いを直ぐに終えると、俺の方にやって来た。

「ミイ、いつもありがとう」

「愛情1ポイントアップ」

 授乳を終えた彩芽が、隣の部屋から出て来た。

「日奈子は?」

「うん、寝ちゃった」

 食事も終わり、片付けも終わったら、二人する事も無い。俺は何気なしにテレビを点けると、ちょうどニュースをやっていた。

「今日、朝9時頃、千葉県にあるショッピングセンター近く交差点で高齢者が運転する自家用車が突然暴走し、歩道を歩いていた家族連れに突っ込みました。

 この事故により、両親と幼い子供2人が怪我をし、4人とも重体です。

 なお、車はそのまま街路樹にぶつかり止まりました。

 運転していたのは83歳の高齢の男性で、ブレーキを踏んだが止まらなかったと言っています。警察では、アクセルとブレーキの踏み間違いが原因として捜査しています」

「また、高齢者の運転ね。緊急停止ブレーキ付の車にすれば良いのに」

「年金暮らしだと、中々買い替えるのも難しいんじゃないか」

「そうかもしれないわね」

「ちょっと、センターに行ってくるよ」

「えっ、どうして?」

「今の事故で、ECUの解析依頼が来ているかもしれない」

「えー、なら私も行くわ」

「日奈子はどうする?」

「うーん、一緒に連れて行こうか」

「それは、不味いんじゃないか?」

「今日は休日だから良いでしょう」

 彩芽はそう言うと、寝ている日奈子を抱いて来た。ミイも連れて私服姿のまま親子4人で山川署に向かうが、この姿からは、どこから見ても親子連れだろう。

 俺たちは山川署のエレベータホールでエレベータを待っていると、制服姿の若い警官から声をかけられた。

「もし、このエレベータは一般の人は乗れません。どちらに行かれるのですか?」

「えっと、情報鑑識センターに」

 寝ている日奈子を抱いたまま彩芽が答える。

「情報鑑識センターは一般人の立ち入りは禁止されています。と、いうか、どうしてここに情報鑑識センターがあるのを知っているんですか?」

「これは失礼しました。我々はこういう者です」

 彩芽は警官の身分証を取り出し、その警官に見せると、警官が敬礼する。

「これは失礼しました」

 そんなところに、森田刑事が来た。

「おや、ご家族連れでどこに行くんです?」

「あっ、森田刑事。今から仕事場の方に…。そうしたら、ちょっと不審者と思われたようで…」

 まあ、子供と赤ちゃんを連れているから、そう思われても仕方ないけど。

「それはまた、仕事熱心ですね。それから君、この人は、見た目はこんなだが、桂川警視だから失礼の無いようにな」

「えっ、警視…」

「そうだ、失礼のないようにな」

「はっ」

 若い警官は再び敬礼した。そうしているとエレベータが来たので、乗り込んで地下の情報鑑識センターに向かう。

「森田刑事、それでは」

「ええ、また協力して貰う事がありますから、よろしくお願いしますよ」

 森田刑事がそう言うと、エレベータの扉が閉まった。

 地下に到着したらエレベータを降りて、自分たちの部署に向かう。

「山本先輩、何かありますか?」

 今日の出勤当番だった山本巡査部長に聞いてみた。

「あら、圭くん。それに彩芽先輩。どうしたんですか?」

「いや、家に居ても暇だったので来てみました」

 山本巡査部長の質問に俺が答えた。

「えー、信じられない」

「それより、何かあります?」

「えっーとね、今のところ、逆走が2件、煽り運転が3件、照会が入っているわ。後は、特殊詐欺の依頼が2件といったところね」

「特殊詐欺って、まだあるんですか?」

「そうよ、手を変え品を変え、色んな手段を使って騙し取ろうという輩はまだ居るから」

「ちなみに、どんな依頼ですか?」

「相手先の特定ね。今はネットバンキングが主流でしょう。家から振り込みが出来るから、注意喚起してくれる人もいないし。

 なので、メールとフィッシングで釣ってそのまま振り込みっていう訳で、中には1年以上も詐欺って分からないケースもあるし。

 そういった意味では発表されている詐欺被害額は、公表されている額の5倍はあると言われているし」

「そうなんですか?では、その依頼の一つを教えて下さい」

 俺が言うと、山本巡査部長がモニターに依頼を出した。そこには事件の概要が書かれている。

『市役所からメールが届いたが、そこには住民税の払い戻しがあるので、指定のホームページにアクセスして金額を確認して欲しいとあった。

 男性が送られてきたホームページにアクセスすると、10万円が戻ってくるとあったので、記載のあった指定の銀行口座からの振り込み手順に従い、手続きをした』

 モニターに表示されたのは文字だけなので、読むだけでも大変だ。

「それで、何を調査すれば良いんですか?」

「このメールの発信元ね」

「メールはいろんなサーバを経由しているから、発信元って分からないのでは?」

「だから、うちに調査が来ているの」

「分かりました。ミイどうだ?発信元は分かるか」

「探索しています」

 ミイが黙った。入手してメールからその発信元を辿っているのだろう。

「このメールは、日本国内のいくつかのメールサーバを経由していますが、その元は中国国内から発信されています。

 その元サーバは分かりません」

「中国から発信されているのに日本語として自然な言葉使いになっていて、まるで日本の役所が作った文のようじゃないか」

 昔は海外から届くメールは日本語が不自然だったが、この文には変な言葉使いが無い。

「中国に日本人が行って、犯行を行っている可能性もあるわね」

 彩芽が俺の質問に答える。

「後は、このフィッシングのホームページの方か。ミイどうだ?」

 ミイがフィッシングのホームページにアクセスしている。

「こちらのホームページも中国のサーバにあります。ホームページを破壊しますか?」

「そうだな、いや待ってくれ。破壊するとそれを修復しに来るだろう。そこに、ウィルスを仕込む事は出来ないか?

 こちらだけ、やられっぱなしも嫌だからな」

「分かりました。ホームページを破壊し、そこにウィルスを仕込みますが、ウィルスはどのような機能にしますか?」

「発信元が分かるようなウィルスを仕込んでくれ。もし、日本に拠点があるなら、そこを叩きたい」

「分かりました。ミイ特性ウィルスを仕込んでから、ホームページを破壊します」

 ミイがホームページを破壊したようで、モニターに映るホームページの画像が乱れ、 そこには『これは特殊詐欺です』と表示されている。

「こうしておくと、このホームページを修復するためにアクセスしたら、そこに仕込まれているランサムウェアが自動的に相手先に送り込まれ、サーバの位置情報をこちらに送り返してきます。

 それと同時にクライアントにも増殖していき、それらのランサムウェアはこちらからの指示で相手先のデータを破壊することが可能です」

 ミイが説明してくれるが、ミイはコンピュータウィルスも作れるのだろうか?

「ミイは、コンピュータウィルスも作れるのか」

「ネット上にある様々なコンピュータウィルスと、そのワクチンは全て取り込み済でAIで予防が出来ますし、新しいウィルスの製造も可能です」

 ITとネットワークが発達した現代で、ミイを敵に回すとそれこそ世界が大混乱に陥ってしまう。

 しかし、そうなるとあちらは操作出来るのだろうか?

「ミイ、仮想通貨のコントロールも出来るのか?」

「はい、所詮仮想領域ですから、いかようにも出来ます。仮想領域でなくても、銀行口座、証券会社の口座もアクセス出来ますので、ご主人さまの預金残高を増やす事は簡単です」

「えっ、そうなの、ミイちゃん?」

 ミイの言葉に反応したのは彩芽だった。

「可能です。いくら厳しいセキュリティをとっても所詮、PCとネットワークですから、対応することは難しい事ではありません」

「圭くん、絶対犯罪を犯さないでね。私と日奈子を路頭に迷わせないで頂戴」

「当たり前じゃないか。彩芽は夫を信じられないのか?」

「いえ、そういう訳じゃなくて…」

「ホホホ、彩芽先輩、砂上の楼閣にならないようにしないと」

 山本巡査部長が彩芽を揶揄う。

「わ、分かっているもん、私は圭くんを信じているもん」

 彩芽が、やや涙目になりながら言う。

「彩芽、山本先輩は単に揶揄っているんだから、そう本気にするな」

「う、うん」

 彩芽が日奈子を抱きながら言う。

「あっ、日奈子が今、笑った」

 彩芽が我が子を見て、微笑んでいる。

 俺と山本巡査部長も日奈子を覗き込むと目を覚まして、笑っている。

「あっ、本当だ。我が子ながら可愛いな」

「そうですね、日奈子ちゃん、可愛い」

 山本巡査部長も連れられて笑顔になっているが、赤ちゃんの笑顔はみんなの顔を笑顔にする。

 見ると、ミイも笑っている。

「ミイも笑っている」

「私だって笑います」

「そうだな、ミイもお姉ちゃんだから、一緒に笑うか」

「私は、お姉ちゃんです。愛情2ポイントアップ」

 俺はミイの頭を撫でてやると、ミイも嬉しいのか笑っている。人間にプログラミングされたAIだって笑うんだ。

「それより、詐欺に使われている口座ってわかっているんだろう。こっちから口座を凍結させれば被害は少くなるんじゃないか、ミイ出来るか?」

「ちょっと、待って!」

 俺の発言に待ったをかけたのは彩芽だ。

「どうした?」

「例え犯罪に使われている口座でも勝手に凍結は出来ないのよ。それこそ裁判になって負ける可能性もあるわ。それに、それが出来る事が分かれば、それこそ一大事になるわ」

 確かに彩芽の言うとおりだ。ミイの事が公になるとミイを軍事に利用される可能性がある。

 いや、下手すると他国のスパイに連れ去られる事だってある。

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