第8話 変形

「食い逃げだ!」

 俺が叫ぶと、ミイが外に出た男を追いかけ出した。

 俺も外に出て、もう一度叫ぶ。

「食い逃げだ。誰か捕まえてくれ」

 俺の言葉を聞いたスーツを着た女性が、逃げた男の前に立ち塞がった。それは紛れもなく、星野女史だ。

 食い逃げの男はちょっと立ち止まったが、相手が女性と思ってそのまま殴り掛かっていく。

 だが、星野女史は男が殴り掛かって来た腕を躱すと、その手を取り一本背負いで地面に叩きつけた。

「現行犯で逮捕する」

 星野女史はそう言うと、手錠を取り出し、男の手に手錠をかけた。

「星野さん、ありがとうございます」

「いえ、たまたま通りかかったら、丁度こんなことになって、私も無事に解決出来て良かったわ」

 たまたまじゃないだろう。朝から俺たちをつけていたことは既に知っているが、その事は言わない方が良いだろう。

 そんな事をしていたら、ミイが呼んだのだろう。制服警官が二人来た。

 星野女子は、その制服警官に警官の身分証と警察スマホを見せて経緯を話している。

 すると今度は、パトカーも来た。結局、食い逃げ犯人は手錠をかけられたまま、パトカーに乗せられて行ってしまった。

 結局、食い逃げした男からは料金は貰っていないので、その分は損失処理しないといけない。

 俺とミイが店に戻ると、直ぐに店長の水谷さんに俺から電話をする。

「今、食い逃げが出ました。犯人は警察に捕まりましたが、損失は4000円ほど出ています」

「警察にはこちらから状況を聞いておく。君たちはそのまま勤務を続けてくれ」

 こういう仕事をしていると、たまに食い逃げに出くわす。最初の頃は驚いたが、最近では対処の仕方も分かってきた。

 第一、店内の各箇所にカメラも付いてるし、食事を頼む場合は、身分証明も提示しなければならない。

 なので、食い逃げしたところで直ぐに誰かは分かる。

 俺たちは、食い逃げ犯人の登録してあるマイナンバーカードの情報を見てみる事にする。

 どうせ、そのうち警察が証拠のために情報を貰いに来るだろうから、その前に犯人の情報を見ようという訳だ。

 5番B0Xに登録されたデータを見てみる。

「犯人は、橋本裕也、23歳か」

 身分証明は免許証となっているので、電子マネーはついていない。これがマイナンバーカードになると、電子マネーがついているので、そもそも食い逃げなんてしない。

「ご主人さま、あの男性は橋本裕也ではないです。カメラに写っていた顔映像からネットで画像検索した結果、陳浩然という人物です」

「だとしたら、その免許証は?」

「警察に紛失届が出ています。恐らく、それを拾ったのではないでしょうか?」

「陳という名前からすると中国人なのか?」

「そうです。来日は3年前、最初は飲食店に勤めていましたが、1年程でそこを辞めて、その後はアルバイトで生活しています」

 そんな事まで分かるのか。

「ミイ、どうしてそんな事まで分かるんだ?」

「今はネットに繋がっていますから、そういった情報はクラウドで全て分かります」

「だけど、パスワードとかあるだろう。そんな簡単にセキュリティを解除出来るとは思えないが…」

「私の場合、セキュリティホールのバグをついて潜り込めますから」

 ええっー、そうなのか。それはある意味凄いが、反対に犯罪でもある。もし、これが例の星野女史に知られると、俺とミイは警察にお世話になる事になる。

 それを考えると、ミイの事は絶対、秘密にしないといけない。

 だけど、ここで食い逃げしたということは、生活に困窮していたということだろう。でも、今の中国なら日本に来て働くより仕事があるだろうに、それでも、日本に来る中国人はいる。

 今、日本に働きに来る外国人は、中国人より東南アジアの人の方が多い。

 食い逃げ事件はあったが、8時まで仕事をした俺とミイはアパートに帰って来た。

「今日は大変でしたね」

 ミイが言うが、食い逃げは年に2,3回はある。

「まあ、年に何回かはあるから、そう珍しい事ではないよ」

「そうなんですか?今度から私がその犯人を捜します」

「警察もいるから、そう頑張る必要もないぞ」

「今日の星野女史のように?」

「やけに星野女史に絡むな」

「あの人は、私たちをつけてきています」

「もしかして、まだ外に居るのか?」

「彼女のスマホの位置情報から、そう考えられます」

「もう、諦めて貰いたいな」

「彼女も生身の人間ですから、そう何日も張り込みは出来ないと思います」

 ミイの言う通りだろう。そのうち、彼女も諦めると思いたい。

 そう思ってベッドに入ると、いつもの通りミイが照明を消した。


 星野女史の張り込みも2日目までで、3日目にはいなくなった。ミイのスマホ探知機能で星野女史が居なくなった事を知った俺は、ちょっとホッとする。

「はーあ、やっと居なくなった。彼女はどうしたら良いものだろうか?」

「今は家で眠っているようです。気になりますか?」

 ここで、変な事を言うと、またミイが変な事をすると困る。

「いや、ならないよ。また、来られると困るじゃないか」

「そうですね」

 今日は大学へ行く日なので、俺はスマホの形に姿を変えたミイを持って、家を出る。

 いつもの通り、授業を受けた後、今度はアパート近くのアルバイト先に向かうが、その途中でミイをスマホの姿から人型に戻さないといけない。

 アルバイト先であるワーキングレストランは監視カメラがあるため、ミイを人型に戻す様子を見られると騒ぎが大きくなる。

 俺はアルバイト先に向かう途中にあるビルに入り、そこのトイレに入る。そのトイレでミイを人型に戻す訳だ。

 個室でミイを人型に戻し、外の様子を伺ってビルの外に出る。

 そして、アルバイト先に二人で向かい8時までの4時間、仕事をしてワーキングレストランを出た。

 もう少しでアパートというところで、俺たちの前に立ちふさがった人物がいる。

「待っていたわ」

 見ると星野女史だ。

「星野さん、今は家に居るんじゃないですか?」

 ミイも星野女史を見て困惑した顔をしている。

「スマホは家に置いてあるから、私の居場所は分からないわ」

「でも、時々、動いています」

 星野女史の言葉にミイが反論する。

「スマホは掃除機の上に置いてあるから」

 つまり、ロボット掃除機がスマホを動かしていたという訳か。

「どうやら、あなたたちは人のスマホの位置情報を知る事が出来るようだと言う事が分かったの」

 星野女史は得意げに言う。

「それで、ちょっと教えて貰いたい事があるの。桂川君が家を出る時は一人だったし、大学でも一人だったけど、ビルに入って出てくると二人になっていた訳を説明して欲しいの。それも男子トイレから二人で出て来た訳をね」

 全部、見られていたという訳か。

 こうなると、知らばっくれる訳にもいかなくなって来た。星野女史にはミイの事を説明して、納得して貰う方が良い。いや、俺たちの味方になって貰いたい。

「その事については、家で説明しましょう」

「ご主人さま!」

「ミイ、良いんだ。星野さんは悪い人ではないから、話せば分かってくれると思う」

 俺たちは星野女史を連れて、俺のアパートに入った。

 リビングのテーブルを挟んで向かい合う。

「星野さんの他につけて来ている人は?」

「後は、森田くんが…」

 森田くんと言うことは、森田刑事の方が星野女史より後輩って事で良さそうだ。

「では、森田刑事も呼んでから話をしましょう。でも、星野さんは電話を持っていないんですよね」

 さっき、スマホは家に置いてきたと言っていたから、森田刑事に電話する事は出来ないだろう。

「ちょっと、待って、外に居るハズだから呼んでくる」

「えーと、私なら電話を掛けれますが…」

「では、ミイ、森田刑事を呼んでくれ」

「ちょっと待って、どうしてあなたたちは森田くんの電話番号を知っているの?」

「それも、森田刑事が来たら、説明します。それとも、一個一個説明した方が良いですか?」

「そうね、森田くんが来てから、纏めて説明して貰いましょう」

 ミイが、森田刑事のスマホに電話をする。

 すると、ミイの方から森田刑事の声がしてきた。

「はい、森田です」

「桂川です。今、星野さんが私のアパートに来ているのは知っていると思いますが、来て貰っても良いでしょうか?」

 森田刑事は暫く黙っていたが、そのうち答えた。

「分かりました。直ぐに行きます」

「なっ、今、ミイちゃんから森田くんの声がしたけど、どう言う事?」

「全部纏めて話した方が良いと言ったのは、星野さんですよ」

 俺がそういうと、星野女史が黙った。

「ピンポーン」

 電話を切って2,3分過ぎただろうか、玄関のインターホンを鳴らす音がする。

「ミイ、連れて来てくれ」

 ミイが玄関の方に向かうと、森田刑事を連れて帰って来た。

 俺とミイ、反対側に星野女史と森田刑事がテーブルを挟んで座った。

 星野女史は、俺の発言を待っている。その雰囲気を察した森田刑事も黙っている。

「さて、何から話した方が良いものか…」

 俺がそう言うと、星野女史が畳みかけるように聞いてきた。

「まずは、そのミイという子の事から話して頂戴」

「分かりました。ミイ、スマホになってくれ」

 俺が言うと、ミイが人型からスマホの形に変化した。

「「ええっー!!」」

 それを見た、星野女史と森田刑事が驚いている。

「ミイ、元に戻って貰って良いぞ」

 今度は椅子の上にあったスマホが人型になる。

「「ぐはっ!」」

 最早、二人とも声にならない声を出している。

「あっ、あわわ、あの…」

「見て頂いた通り、このミイは人間ではありません。ミイの正体は第三世代AIスピーカです」

 俺の説明に、二人とも無言で首を何度も縦に振るだけだ。

「そ、それは僕も買った。だが、そんな人型になる機能はない」

 確かにその通りだ。アバターがスピーカの上に出てくるだけで、人型になる機能はない。

「何故、人型になるかは私も分かりません。ですが、このミイは荷電粒子結合体という物体で出来ているという事です」

「「荷電粒子結合体?」」

 二人がハモった。

「お二人、仲が良いですね」

「「そんな事はない」」

「ほら、仲が良い」

 また、何か言うと仲が良いと言われると思ったのか、今度は二人とも黙ったままだ。

「黙ったままのところも、仲が良いのですね」

「「そんな事はない」」

 またまた二人がハモる。さすがに、こうなると二人とも見つめ合ったまま、驚いた顔をしている。

「いっその事、二人付き合ってみれば、良いパートナーになるかもしれませんよ」

「「余計なお世話だ、よ」」

 またまた、二人がハモる。さすがに、これだけハモると二人とも黙って何も言わなくなった。

「いや、だから、どうしてそのミイちゃんは、いろいろ出来るのかって話よ」

 星野女史が言うと、森田刑事も頷いている。

「ミイはAIスピーカなので、ネットに繋がっていて、音声でいろいろと検索出来るのです。それと、通信機能があるので、他の人のスマホとリンクを張って、そのスマホのデータを読み取る事も出来ます」

「それって、もしかして私のスマホから、電話帳のデータを読み取って、森田くんに電話をかけたという事?」

「ええ、星野さんの言う通りです」

「それって、犯罪じゃない!」

「いや、星野先輩、そうとも言えません。この桂川くんが、それをやらせているなら桂川くんの犯罪ということになりますが、このミイちゃんが自主的にやっていれば、彼女は人間でないし、日本の法律の適用を受けません」

「だって、さっき森田くんのスマホに電話を掛けたじゃない。それは犯罪にならないの?」

「彼は単に電話を使っただけということです。僕のスマホの電話番号をミイちゃんにやらせたという証拠があるなら、犯罪になるでしょうが、ミイちゃんが勝手にやったというなら、犯罪に問うのは難しいでしょう」

「そ、そんな…」

「もしかして、もう僕のスマホの電話番号も、既に調べてあるんじゃないのか?」

 その言葉にミイが頷いた。

「と、言う事ですので、桂川くんの指示は無かった、という事になります」

「ふう、なるほどね。彼女はいろいろネットに繋がる機械からデータを吸い上げる事が出来るということね」

「それだけでは無い。ネットに繋がっているカメラや他人のスマホも操作出来るし、そのデータ分析から犯人の位置特定も可能という事じゃないのか?」

「その通りです。なので、この前犯人の逮捕が出来ました」

「矢張り…」

 星野女史が言う。

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