第4話 綾乃ちゃんのアピール
「今日は残業だな」
こんな事は特に珍しい事ではない。夏場は特にそうだが、異常気象とかで夕方になると一部の地域だけ集中豪雨になる場所がある。ゲリラ豪雨と言うらしい。だが、ゲリラ豪雨は数時間で止む事が多い。
いつもは勤務時間は8時までだが、その頃には大分、雨も収まってきた。
「先輩、交代の方が来ませんね」
厨房担当の綾乃ちゃんが、インターホンで連絡してきた。
「ゲリラ豪雨で交通機関が乱れているらしい。交代の人が遅れる可能性がある」
「今日は残業ですね」
「そうだろうな。綾乃ちゃんも申し訳ないが頼む」
「はーい、分かりました」
彼女だってここでのアルバイトも既に半年以上やっているので、こんな事も数回あったので慣れたものだ。
そんな時、俺のスマホの呼び出し音がなった。
スマホはもちろん、ミイが変身しているスマホだ。
「ミイ、繋いでくれ」
俺がそう言うと、スマホから声がしてきた。その相手は経営者の水谷さんだ。
「桂川くん、実はゲリラ豪雨が移動したらしくて、電車が動かないらしい。なので、交代の手配が出来ないんだ。
申し訳ないが、今夜は夜勤を頼めないか?」
「俺だけですか?」
「高橋くんにも、お願いしたい」
「分かりました。彼女にも確認してみます」
俺は一旦、電話を切った。
「綾乃ちゃん、実は電車が止まっていて、交代要員が来れないらしい。なので水谷さんから、このまま夜勤をやって貰えないかと連絡があったけど、出来るかい?」
「私が帰ると、先輩だけになるでしょう。それは可哀そうなので、私も夜勤をやってもいいですよ」
「そうか、申し訳ないな」
俺は、二人で夜勤をやっていく事を水谷さんに連絡する。
「桂川ですが、綾乃ちゃんも夜勤は良いそうです」
「そうか、電車が不通だから、今日はお客さまも多いと思うが、よろしく頼む」
確かに、こんな日はお客さまも足が無いので、このまま宿泊するという人も多い。
しかし、雨が止んだ10時過ぎにはお客さまも一人、二人と帰り始めて、午前零時を過ぎる頃にはお客さまは誰もいなくなった。この時間になると、お客さまは来ない。
「先輩、お客さまはみんな帰りましたね」
厨房から綾乃ちゃんが出て来て、受付のところに来た。
「はい、これ」
綾乃ちゃんが出したのは、店で出しているスパゲティだ。
夜勤になると、店の食事を摂る事が出来るので、綾乃ちゃんが作って持って来てくれた。
「ああ、ありがとう」
俺と綾乃ちゃんは受付で食事を食べ始めた。
「車、通りませんね」
午前零時を過ぎると、店の前を通る車も少なくなった。既に雨は止んでおり、たまに通る車もワイパーは動かしていない。
しかし、道路には水溜まりがあるのだろうか、車が跳ね上げる水は時折、歩道にも跳ね上がって来る。
「こんな日はここに泊まるより、家で過ごしたいだろう」
俺は綾乃ちゃんの問いに、答えにならない答えをした。
お客さまが来ないので二人で受付のカウンター前で話をするが、そのほとんどは綾乃ちゃんの大学の事だ。
「それで、ですね、友だちと構内にあるカフェに行ったんですよ。そしたら、カフェラテが600円もするんですよ。時給の半分ですよ。信じられます」
「ブーン」
スマホの振動音がする。
俺は綾乃ちゃんの言葉に答えずにスマホを見ると、そこには、
「楽しそうですね」
の文字が表示されている。
また、ミイがヤキモチを焼いているらしい。
「どうかしました?」
綾乃ちゃんが聞いてきた。
「いや、何でもない。お客さまもいないから、交代で休まないか?」
「えっ、私は先輩と話をしている方がいいかな。明日は学校も休みだし」
確かに、明日は土曜日で学校は休みだ。
「でも、まだ午前1時だ。少しは休んていないと明け方は辛いよ」
「でも、どこで休みます。休憩室ですか?」
「休憩室でもいいけど、個室でもいいよ」
お客さま用の個室でも、今日はいいだろう。個室の方だと寝る事も出来るから、身体は楽だ。
「じゃあ、先輩からどうぞ」
「いや、綾乃ちゃんから先に休んでくれていいよ」
「では、お先に休みますね。何かあったら連絡して下さい」
俺は綾乃ちゃんのために、受付にあるパソコンを操作して16番のBOXのキーを解除した。
「16番のBOXを解除したから」
「はい、それでは失礼します」
綾乃ちゃんは16番のBOXに向かった。彼女がBOXに入るのを見たミイはスマホの姿のまま話しかけてきた。
「楽しそうでしたね」
「普通の会話だろう」
「そうは見えませんでしたけど」
「考え過ぎだよ。彼女との間には何もないし」
「私は、あの女と付き合うのは反対です」
「じゃあ、どの女なら良いんだ」
「ミイとなら良いです」
「ミイは荷電粒子結合体で、人間じゃないだろう」
「愛情1ポイントダウン」
愛情ポイントがダウンした。
「人間とじゃなきゃ付き合っては、いけないのですか?」
「いや、そんな決まりは無いが…」
「なら、私でも良いって事ですよね」
「まあ、そう言えばそうだが…」
「私は全力で、ご主人さまの為に尽くします」
「うん、分かっている。ミイはいつも可愛いし、役に立っているよ」
「愛情1ポイントアップ」
今度は愛情ポイントがアップした。本当に、このAIは大丈夫だろうか?
綾乃ちゃんが休憩に入ってから1時間が過ぎ、午前2時になった。
外を通る車も既にほとんどない。もちろん、人も通らないので、お客さまも来ない状態だ。
こうなると、夜が明けて勤務時間帯にならないと、お客さまも来ないだろう。
だからといって、俺まで休む訳にはいかない。
「ご主人さま、代わりに私が留守番しますので、ご主人さまは休んで下さい」
「いや、ここは録画されているから、そういう訳にはいかないよ」
「録画装置は私の方で加工しますから問題ありません」
「そんな事も出来るのか?」
「はい、問題ありません」
いや、それはそれで問題有るだろう。だが、それは有難い申し出だ。正直、とても眠い。
「なら、ミイに任せようかな」
「はい、お任せ下さい」
ミイは人型になると、俺の隣に座った。
「では、32番のBOXを解除します」
ミイはパソコンを操作せずに32番B0Xを解除した。
「ミイはパソコンを使わなくてもBOXを操作出来るのか?」
「はい、問題ありません」
「ミイは何でも出来るんだな。それじゃあ、あとはミイに任せて、俺は休むとしようかな」
「はい、ご主人さま。後はお任せ下さい」
俺は受付をミイに任せて、32番のBOXに入った。BOXは机とパソコンがあり、長椅子もあるので、人一人が横になれば、ぎりぎり寝る事も可能だ。
俺は長椅子に横になると、そのうち眠ってしまった。
「先輩、先輩、起きて下さい」
朝、俺はBOXの扉を叩く綾乃ちゃんのノックの音で起こされた。
「先輩、先輩」
「うーん、どうしたの?」
「誰か知らない人が、受付にいるんです」
それはミイだ。そう言えば、綾乃ちゃんはミイを知らないんだっけ。
俺は綾乃ちゃんと一緒に受付に行ってみると、そこにはミイが座っている。
「ミイ、おはよう。受付、ご苦労だった」
「ご主人さま、おはようございます」
「へっ、先輩、この人とは知り合いですか?」
「ああ、知っているけど…」
「圭一郎さまは、私のご主人さまになります」
俺の言葉を遮るようにミイが言う。
「えっ、ご主人さま?」
「そうです、一緒に住んでもいますし」
「え、えっー!」
「あっ、いや、このミイは…」
「それに私たち恋人なんです」
「先輩、そうだったんですね」
ミイはとても可愛い。それは女性から見てもそうだろう。それもそのはずで、3Dホログラムで作られた言わば人工的な人形だから、その可愛さも作られたものだ。
しかし、それは人型となったミイを見ても区別はつかない。
「だから、他の人に興味がなかったんですね」
男性の目から見ると、綾乃ちゃんは可愛いと言われる女子に違いない。しかし、ミイは作られた美しさがある。
「私と、ご主人さまの間に入る事は許されません」
「ミイ、あまり誤解を受けるような事は言わないでくれ」
「えっ、誤解?どういう事でしょうか?」
「ミイの言った事は半分当たっていない。ミイは恋人と言ったけど、そんな関係ではない」
「ご主人さま、それは酷いです。今まで尽くしてきた私に対して…」
「えっ、先輩はそんな人だったんですか?」
「あっ、いや、ミイ、いい加減な事は言うな」
「だって、ご主人さまが帰って来ると、照明を点け、お風呂を沸かして、料理もしているじゃないですか。それに寝る時、一緒にベッドに入って、温めています」
確かにその通りだが、それはAIスピーカとして利用しているだけであって、人としての彼女ではないだろう。
「先輩…」
綾乃ちゃんが、白い目で見てくる。
「いや、違うって。第一、このミイは第三世代AIスピーカであって、人間じゃないんだ」
「そんなAIスピーカって見た事がありません。嘘をつくにしても、もっとましな嘘をついて下さい」
「いや、この前発売されたHAMAZONのカレクサってやつだよ。そのアバターだよ」
「それは私も買いましたけど、こんな人の形をしたアバターはありません。スピーカの上に3Dホログラムが表示されるくらいです」
えっ、そうなのか。そういえば、ミイも最初は3Dホログラムだけだった。そう言えば、いつから人型になったのだろう。
「私は先輩の事を勘違いしていたようです。こんな女心を弄ぶような人だったなんて…」
綾乃ちゃんとそんな話をしていたら、交代要員が出勤してきた。
昼間の店員は近くの主婦がやっている。
「あら、どうしたの?」
そう声を掛けてきたのは、主婦の「山口恵理」さんだ。
「何でもありません」
綾乃ちゃんが、ちょっと怒った感じで言う。
「昨日は鉄道が不通になったので、そのまま夜勤だったんでしょう。お疲れだったわね」
「でも、お客さまもいなかったので、そんなに大したことはありません」
「そう、ところで、この人は?」
この人とはミイの事だ。
「先輩の彼女さんで、昨日の夜、手伝ってくれたらしいです」
「ええっー、そうなの?圭一郎くん、中々やるわね」
「中々、やってませんから」
「同棲しているそうです」
綾乃ちゃんが更に言う。
「いや、綾乃ちゃん、そんな事はない」
「だって、そのミイさんと言う人が、そう言っていたじゃないですか」
「はい、ご主人さまとは一緒に住んでいます」
「まあ、そうだったんだ」
俺は反論する事の虚しさを知った。
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