エピローグ

 桜咲く季節となった。

 新宿御苑の入り口に立つと、鮮やかなピンク色が視界一面に広がっている。

 その桜並木を闊歩していると、仲睦まじいカップルを何組も目にした、僕の頭の中までピンク色になりそうである。


 グループチャットで最初にメッセージを入れたのは水戸瀬だった。


『デートしよ』


 僕が「わかった」と打ち込むと、すぐに既読が二つになった。

 そこでまた、チャット欄が荒れに荒れたのだが、それはまあ割愛しよう……。


「とりあえず、どっちが悪いとかは無しにしよう」


 左右に並んでいる二人に話しかける。顔は怖くて見れない。


「なかったことにはできないけど……。それぐらい好かれてるのがわかっただけでもまあ、なんか人生捨てたもんじゃないなって思えたからね」


 なんか偉そうな物言いになっていないだろうか。

 二人が僕の言葉にどんな反応を示すのか怖かった。


「つ、つまり、それだけで十分、得るものはあったと思うんだよ」

「それじゃあ、怒らないの?」


 右手に見えますは水戸瀬秋沙――大人の魅力を備えながらも無邪気で繊細な表情が愛おしくなる。

 洗脳についてはまあ、種明かしをされれば、そこまで目くじらを立てることはないと思ってる。


「ああ、むしろありがとうって感じかな」


 とくに逢坂ちひろの件については。

 過去改変なんてふざけた事象が本当に起きてるのかは、まだ信じられないけど……。


「それじゃあ調子乗るから駄目だよ、その女」


 左手には、夕霧理――可愛いらしい洋服を身にまといながらも、そのセクシャルなルックスが僕の煩悩を刺激してやまない。

 ちなみに僕はその言葉には反応しなかった。


「そ、それじゃあ、どっちと付き合う……?」


 水戸瀬が僕の腕にふくよかなものを押し付けながら、顔を覗き込んできて、

 うわっとなる。


「ふ、二人の気持ちはとても嬉しいし、僕にはもったいないぐらいに僕のこと好いてもらってるのもわかる。だからこそね、二人にはまっとうな相手とちゃんと恋をして欲しいというか――」


 顔は例のごとく見ない。発言した瞬間、左右から殺気にも似た圧がかかってきたからだ。


「ぼ……僕なんかと関わることになって、視野が狭くなっちゃったのは、本当に申し訳ないことをしたって思う……」

「……」

「とくに夕霧さんなんてまだ女子高生だよ? 最初に捕まえた男が僕だなんて、そんなの……神様も酷なことするよね?」

「どっちと付き合うんですか」


 夕霧さんも先ほどの水戸瀬と全く同じセリフを発しながら、冷たい目で僕を睨みつけてきた。顔の怖さで言えば、夕霧さんに軍配が上がりそうな迫力である。


「わ、わかった……」

「なにが?」「なにがよ?」


 参ったな、ここ数十秒の僕の発言で、場の空気が様変わりしている。

 なんでだろ。なんでだ?


「しょ、正直、好意をもらえただけで僕は報われすぎてるし、そんな今更、付き合うとかしても、どうせ愛想つかされる未来しか見えないし……」


 左右から溜息が聞こえる。


「僕も昔みたいに、その、まともな人間ってわけじゃなくなってるから……二人のことは大事に考えたいからこそ、その、不幸せな結末にはなって欲しくないから……」

「もしかして、どっちも選ばないの?」


 水戸瀬は首を傾げた状態で、恐ろしい眼光で俺を睨らみながら言った。顔の怖さだけで言えば二人とも同程度だった。


「な、なんで二人ともそんな怖い顔してるの!?」


 自分でも情けないと思えるくらいに声が裏返った。

 そんな僕の悲鳴を前にして、二人はお互いの顔をあわせて、


「なんにもわかってないわね」

「なんにもわかってないですね」


 ほぼ同じようなタイミングで呟く。


「こっちはもう添い遂げる覚悟でいたのに……」

「あたしなんて一度手に入れてるんだよ? 苦労してモノにしたのに……最悪だよ……」


 なにやら思い思いのうっぷんが、彼女らの胸の中にため込まれてしまったみたいだ。

 どうしよう。

 婚活をあきらめた身の上もあってか、この状況を全く喜んでいない自分がいるのも事実である。

 独身貴族万歳! 独り身上等! と開き直っていたあの頃が、今は懐かしい。

 そんな気持ちをよそに、二人はお互いの顔を近づけてこそこそと話をしだした。


「あの……」


 声を掛けようとしたところで、二組の双眸に睨まれる。怖い。

 見守るしかない僕は、じっとただ時間が経つのを待った。


 両手に花だ。

 傍目には、羨ましく映っているのだろうか。

 通りがかったおばさんが、ぎょっとした目を僕らに向けていた。


 そんな時間が数分だか、数十分だかあって、胃に穴が開きそうな空気に耐えていると、

 突然耳打ちをやめた二人が同時に僕を見て意味深な笑みを浮かべる。

 明るく、無邪気で、清々しいぐらいに闇の深い裏がありそうな笑顔だった。


「タケルさん、まあそんなにすぐに結論を出さなくてもいいじゃないですか」

「そうよ。せっかく再会したんだし、慌てる必要もないわ」


「だからまずは」

 二人の声が綺麗に重なる。


「「友達になりましょう」」


 そしてほぼ同時に、こちらに手を差し伸べてきた。

 桃色に咲き誇るソメイヨシノを背景に、すでにバチバチと、二人の間に目に見えない火花が飛び散っているように見えた。

 そんな二人に向けて、僕も同時に左右の手を差し出す。

 たぶん僕は、二人の微笑んだ笑みを見つめながら、引きつった笑みを浮かべていると思う。

 二人の瞳はそれぐらいに、恐ろしいぐらいに輝いていたから。

 でも、そんな視線が胸を熱くするほど嬉しく感じる。


 あきらめていたもの。

 一度手にしたけど、もう二度と手に入らないと思っていたもの。

 そんなかけがえのないものを手渡されたような気がして――


「僕って幸せになれるのかな……?」


「なれるよ」

「なれます」


 即答する二人。

 二人はまた怒った顔で見つめ合って、


「わたしと!」

「あたしと!」


 左右の腕に力いっぱいしがみついてくる。


「……と、とりあえず……」


 僕の声は震えるばかりだ。

 何を言っても、この二人が納得するビジョンが浮かんでこない。

 とりあえず? と言いたげに、二人が下から僕の顔を覗き込んでくる。


「か、カラオケにでもいく?」


 僕にはそれを言うのが精いっぱいだった。

 

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