第32話 二人の夢の続き 終
僕の記憶に、全然覚えのなかった思い出が増え続けてる。
その原因を、水戸瀬秋沙は端的にこう告げた。
『タイムリープ』と。
それは僕が知ってるタイムリープの同じ意味なのか、再三確認した。でも水戸瀬は、決して首を横には振らなかった。
「冗談とかじゃなくて?」
「今から説明する」
彼女は洟をすすりながら言った。
「懺悔の時間だね?」
夕霧さんが水戸瀬を横目で見ながら、からかうように言う。
水戸瀬は深いため息を吐いてから、ゆっくり話しはじめた。
「私、タケルに中学の時に告白した」
それは、知っている。当事者である僕が知らないはずはない。
「タケルは、電話で告白された記憶と、直接家を訪ねた記憶、どっちも持ってるの?」
「ええと……たぶん、うん」
言われて、自分の記憶を改めて確かめてから、答えた。
どちらかが靄がかかっているということもない。ただ思い出そうとすると、矛盾する相互の記憶に、得体のしれない不快感が生まれる。
苦悶の表情を浮かべていたであろう僕に、水戸瀬は心配そうな顔でさらにたずねた。
「中学時代にわたしにフラれた記憶と、大学まで交際が続いた記憶、どっちもある?」
「不自然極まりないけど、あるね……」
どっちが真実かも、判断ができないという事態だ。そういうのが積み重なって、混乱している。
そこまで質問に答えて、水戸瀬は改めて『タイムリープ』という先ほどの言葉を引用した。
「まず私はタイムリープで過去に戻って、中学時代に自然消滅しちゃったタケルとの恋愛を、自然消滅させないようにしたの」
タイムリープ――時間遡行、過去に戻って、何かをするという行為。
「過去に戻ったってどうやって……?」
「ええと……」
すると水戸瀬は自分のスマフォを手に取る。
「自分に電話をしたの」
「……? そのスマフォで?」
テーブルに置かれた彼女のスマフォを指さすが、首を横に振った。
「ちがう、私にしか見えない端末がね、あるの」
水戸瀬はおもむろに何かを手で持ち上げるような仕草をした。そこには何もない。
馬鹿にされてるんじゃないかと疑ったが、とにかく最後まで聞いてみようと思いとどまる。
「この私にしか見えない携帯電話でね、中学時代の私に電話を掛けたの……。すると電話を出た瞬間、当時の私を、今の私とつなげることができるの。本人になって行動できる。……たぶんそういう仕組みだと思うわ」
思ったよりもずっとファンタジーな話で開いた口が塞がらなくなった。
「それで中学時代の私になった私は、とにかくタケルに構ってあげたの。あと、当時の私に色々メモ書きを残したりもした。ちゃんとお付き合いが継続するようにね」
泣きはらした顔で、ちょっと自慢気に鼻先をふんとさせる。
同じ年代とは思えないほどに子供っぽい仕草だった。
「泥棒猫……」
その横でぼそっと夕霧さんがなんか姑みたいなことを言ってる。
「ただ中学時代の私として行動できるのは数時間程度だった。最初はなんだか、都合のいい夢を見てる気分だった。でももしかしたらと思って、その後にタケルに電話して確かめてみたの。あのときは深夜だったわね」
「ああ、そうだね……」
「タケルの話を聞いて、少しだけ過去が変わってることに気づいた。未来を変えられるって気づいたの。だから――」
水戸瀬は言葉を飲み込んで、一度深呼吸する。
「過去を操作して、タケルとやり直そうって思ったの」
荒唐無稽ではあったけど、色々と合点のいく部分もあった。どう見繕ってもにわかには信じられない内容だが……。
「でも今度はタケルってば、中学卒業と同時に違う高校に逃げちゃったわけ」
ああそれも、心当たりはある。
「色々と調べてみたら、なんか知らないけどいじめ? みたいな目にあってたのが分かったから、何とかできないかと思ったけど、そっちは上手くいかなかった……」
二回目の記憶の混乱があった時の事だろう。
確か同窓会の時の逢坂ちひろとの会話で思い出した記憶だ。
「あでも、特に進展なかったけど……」
そのとき水戸瀬は一瞬言いよどんだ。
「……ちひろとは友達になれて、色々タケルの話を聞けたから、それはそれで意味があったのかな……」
「……そう」
到底頭に入る内容ではないけど、とりあえず頷いておく。
今水戸瀬が言った話で、逢坂ちひろが自殺したという記憶のある部分に理由付けができた気がする。
つまり、水戸瀬が逢坂ちひろの自殺を阻止した、ということになるんだろうか。
それが事実なら……彼女には、少なからず感謝したい気持ちがわいた。
ふと夕霧さんを見ると、若干蚊帳の外にされているせいか、不服そうな顔をしていた。
それから水戸瀬は高校時代に僕の家に遊びに行ったエピソードも話してくれた。
僕と水戸瀬の交際が明確に大学まで延びるに至ったあのシーンだ。
「それで最後は、お台場のデート……」
ついさっき思い出したことなので、それは記憶に新しかった。
「観覧車に乗る予定だったのに、変な子に邪魔されたわ……中途半端すぎてなんの成果もなかった……」
水戸瀬は思い出しながら、不満そうに息を吐く。
そんな彼女を、夕霧さんはなぜかニヤニヤしながら見ていた。
夕霧さんの様子がおかしい理由は、何となく気づいている。
とはいえまずは、水戸瀬について話を進めることにした。
「そこまでしてなんで恋人関係維持したかったの……?」
そこまでされるような理由がまだわからない。だから思わずそう口にしていた。
「ち……ちが……」
さっと顔を赤らめる。今まで淡々とした語り口だったのが嘘みたいに。
「ただやり直したいって思っただけよ! でも、中学時代のあなた、結構というか……すごく……その……良くて……タイプだったから」
彼女は一度言葉を濁らせて、それから意を決したように言った。
「本気で好きになったのは、本当なの……」
水戸瀬の声が消え入りそうになる。
その横で、夕霧さんがまたもぼそりといった。
「あんたの方が犯罪じゃない。このショタコン」
「さっきからこの子うるさい!」
またバチバチと言い争いがはじまりそうな雰囲気になる。
僕な慌てて口をはさんだ。
「ま、まあ、経緯はよくわかった。まだちょっと信じられないけど、仮定としてはうん……」
概ね、予想の範疇。そういうことにしておく……。
色々と詮索するのも野暮なのだろう。夕霧さんの前でこれ以上咎めても、おそらく話がこじれるだけだろうし……。
「……」
水戸瀬は顔を赤らめたまま、うつむいていた。
急に借りてきた猫みたいに大人しくなってしまった。
「……じゃあ次は夕霧さんについてだね」
とにかく水戸瀬の言い分としてはここまでにすることにした。真偽はともかく……。
なので――もう一人の方に話を移すことにする。
「えっ?」
夕霧さんは素っ頓狂な声をあげた。
どうやら自分が話を振られるとは思っていなかったらしい。
「いや、夕霧さんも十分にへんだから。色々おかしな発言してきてるからね?」
まさか自覚がないわけじゃないだろうに。
「水戸瀬の言ったこと、全部信じれるものでもないけど、でももし本当だとしたら、夕霧さんも戻ってるんでしょ?」
僕の言葉に、水戸瀬は訝しそうに顔をしかめた。
「どゆこと?」
「……今の水戸瀬の話した内容が真実なら、彼女もしてるんだと思うんだよね」
何を? とは水戸瀬も言わない。口にしなくても予想がついているのだ。
夕霧理――
初めて出会ったのは満員電車の中だった。
「君もしてるんだよね……? しかも、現状進行形で」
タイムリープなんてファンタジーな言葉は使いたくないけど……。
言うと夕霧さんは目を見開いて、口元を引き締める。何か不味いものでも食べたみたいな顔になる。
「水戸瀬のこともあったからあまり注意深くは見てなかったんだけど、今思うとところどころへんなこと言ってるんだよね、夕霧さん」
「……」
「例えば、水戸瀬に対してあたりが厳しすぎる」
「……初めて三人で会ったときからそういえばそうだね」
水戸瀬はまだほんのり顔を赤くしたまま、むすっとした表情で言った。
「その前にも突然、告白めいたこと言ってたんだ……」
当時は冗談かと思った。
でもきっとあの時の彼女は、本気だったんだと思う。
夕霧さんの言葉が、彼女の必死な叫び声が、演技なんかじゃなくて、本当に僕のことを想って言ってくれていたんだと、今ならわかる。
「ほとんど夕霧さんのこと知らなかったから、ずっと冗談だと思ってた。でも、ちがうんだよね」
もしもこれで間違っていたりしたら、死にたくなるほど恥ずかしいが……それはたぶん、ないと思う。そうでなければ、説明がつかないから……。
「お台場デートの時にも、夕霧さん僕に会いに来たでしょ」
「なにぃ?」
不思議がる水戸瀬に向き直って言った。
「あの時僕の足にしがみついてた子がいただろ? あの子が僕を呼び止めて、水戸瀬とのデートを邪魔しようとしてた。その時、僕だけに聞こえる声で言ってたんだ」
正直、言われた時は何のことかわからなかった。でも、水戸瀬の話を聞いて、色々と納得がいったのだ。
「過去の恋人と自分、どっちをとるのか、聞いたよね?」
夕霧さんは目を泳がしながら、所在なさげに両手の指をあわせていじいじとしている。
「たぶん、水戸瀬と自分の事を言ってたんだよね……? 間違ってたらかなり恥ずかしいんだけどさ……」
「いや……」
夕霧さんは何かに堪えるみたいにうつむいたまま、呟いた。
「あってるよ……」
よかった。
心からほっとする瞬間だ。
僕の自意識過剰なんかではなかった。
一方で、水戸瀬の方からはなにやら刺すような視線を感じるのは、多分気のせいじゃない。
なぞは解けたね。やったね。
でも問題はたぶん、これから先の事なんだろう。
安心した瞬間、なんだか力が抜けて、座席に背中を預けていた。
店内の喧騒に耳を傾けていると、二人が少し困った顔で僕に視線を送っていることに気が付く。
まるで毒気が抜けたように、いつぞやの穏やかな二人に戻っている気がした。
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