第31話 二人の夢の続き 弐


『用事って程でもないんだけど』


 通話に出たアキサ――水戸瀬の声は、心なしか少し弾んでいるように聞こえた。


『最近の様子はどうかなって』


 良いってことは無い。

 気分が良いことなんて、ここ最近は無かった。

 水戸瀬と出会う以前もそうだったけど。水戸瀬と出会ってからはもっと胸にもやもやしたものが生まれている気がする。


「おかしいんだ……」

『え?』

「水戸瀬と話をするたびに、頭の中にある水戸瀬の存在が大きくなってる気がする……」

『……あれ?』


 ファミレス前の駐車場で、僕は壁を背にしてスマフォを耳にあてていた。

 時刻は七時半――

 五人組を乗せた乗用車が、ちょうど目の前の空いた駐車スペースに入り込んできたところだ。


「でも同じくらいに、違和感もある。気分が悪い」


 覚えのない記憶。その根幹をたどろうとしても、何も見つからないことがある。

 夕霧さんをファミレスに残し、この駐車場に来るまでの間でも、そんな違和感に襲われている。

 

 水戸瀬との記憶は、どれも楽しい思い出だった。

 でも、その記憶は酷く断片的で、全容を思い出すことができない。尻切れの記憶のまま、最果てに取り残されてしまったみたいだ。それが頭の中に点々と存在している。


「僕ら、お台場に観覧車に乗りにデートしたことがあったよな?」


 水戸瀬は、すぐには返事をしなかった。

 スマフォの向こうで、息を飲んだと思われる音がした。


「でも、観覧車に乗った記憶がないんだ」


 いくら考えても答えは出ない。僕の記憶なのに、こんなのは絶対におかしいんだ。


「これって、本当にあったことなのか?」


 だから、そんな疑問を口にするに至った。

 彼女が答えを知っているという確信はなかった。でも彼女がこの違和感に関係しているのは確かな気がした。


『今、どこにいるの?』


 彼女は落ち着いた声で返答した。





               *


 時刻は八時――

 夕霧さんは実家暮らしだが、帰ろうとする気配はない。

「親御さんが心配しない?」とたずねた。

 彼女は「へいきだよ」と気のなさそうな返事をしただけで、所在なさげに自分の爪をいじっている。


 水戸瀬は彼女からは顔を逸らすように、窓ガラスの向こう――真っ暗な外の景色を眺めていた。

 気まずい空気が流れている。

 それも当たり前で、今僕たち三人は同じテーブルを囲い、二人と向かい合うように座っている。隣り合う二人はお互いに目線をはずして、シリアスな空気を作っている。


 ついさっき夕霧さんが僕の隣に座ろうとして水戸瀬と口喧嘩をしていたからだろう

 修羅場だ。

 リアル修羅場だ。

 それを肯定するにはどうにも、現実味がない。

 しかし否定するにはあまりにも、空気が重い。


「それで? なんでこの子もいるのよ」


 最初に口火を切ったのは水戸瀬だった。

 気だるそうな目を向けられ、僕はぎこちなく笑い返す。


「仕事帰りにたまたま会って……」

「また仕事してたの? 休日なのに」


 心配そうな顔をされる。

 こういうところはずるいなぁと思う。


「そういう会社なんだよ。って今はそんなことどうでもいいんだ……」


 本題に入ろうと思う。あまり夜遅くまで付き合わせるのも悪い。


「ここで二人を一緒にさせたのは、ちゃんと理由があるんだ。最近になって急に増えた僕たちの接点に、作為的なものがないか確かめるためだ」


 二人とも目を丸くしてから、お互いの顔を見つめ合った。こうしてみると、非常に端正な顔立ちの二人だ。仲の良い姉妹に見えなくもない。

 そんなことを言えばまた余計な口論がはじまるので言わないが……。


「ちなみに、二人して示し合わせて、僕のことを騙していたりとかは……」


 とりあえず一番濃厚そうな動機を口にしようとしたが、二人の目に怒りの色が浮かんだので押し黙った。


「しないよな、いや、ごめん……」


 心外そうな顔をされたので、即座に思いとどまった。


「念のためだよ。まあ、一応そっちの可能性も疑ってみただけなんだ」


 女二人が共謀して、一人の男をだます。

 現実的に考えるなら、妥当な状況ともいえる。一人は隙のない美人で、もう一人は可愛い女子高生、対峙するのは金も名誉もないアラサー男。

 でも、どうやらそれも違うらしい。


「一つ一つ明らかにしていきたいんだ」


 ある程度の憶測はついているが、やはり確信がなかった。

 だから質問を続けることにする。

 夕霧さんは退屈そうに息を吐いた。水戸瀬はただじっと僕のことを見ている。


「まず、僕はここ最近とても混乱している」


 深呼吸をしてから、話を切り出す。

 とても、切実な問題を口にする。


「記憶が、混濁してる。無理やり詰め込まれたみたいに、いきなり過去の記憶を思い出すようなことが頻繁に起きてるんだ」


 思えば、水戸瀬があの夜、深夜残業中にかかってきた電話に出た時から、妙なことが続いているように思える。

 水戸瀬から電話を受ける以前の段階では、僕は中学時代、一週間で彼女にフラれていると思い込んでいた。

 否――今の段階で”思い込んでいる”と思わされているのが正しいのかもしれない。

 実は水戸瀬とは数年ほど付き合っていたことになっていたり、自殺していた逢坂が生きていたり、不可解なことがいくつも起きている。


「すごく、気味の悪い状態だ。もしかしたら気がふれたんじゃないかと思われるかもしれないけど、でも確かに矛盾してる記憶は存在する」


 自分の頭を指さして、訴える。


「……何か、心当たりはないか?」


 そして二人ではなく、水戸瀬の方に目を向ける

 彼女は、視線を逸らしてしまう。


「教えて欲しいんだよ……」


 懇願するように言うと、あれだけ雰囲気を悪くしていた二人が、一瞬見つめ合った。何かの合図なのか、判断はできない。


「それを知ってどうするの?」


 水戸瀬は恐る恐るという感じで反応した。


「わからなくて、もやもやするから、知りたいんだ」


 頭を抱えたくなるくらいに、今の僕の記憶は支離滅裂だ。


「水戸瀬とのたった一週間だけ恋人だったと思い込んでいた僕は、もうあんな幸せは手に入らないと絶望していた。それがどうして、そんな彼女と数年付き合っていたなんて記憶に変わる?」


「……」


「水戸瀬と恋人だった一週間の記憶は、つらかったけど、大切な思い出だったんだ。それなのに今は……よくわからない……」


 大切な思い出と一緒に、嫌われたくない、失いたくない、そんな苦しみを抱きながら恋愛をし続けてきた記憶が、僕の中に滞留している。

 心穏やかではいられない。

 絶対にこんなもの持ってなかった。


「だから、教えてくれ……」


 テーブルに頭を押し付けるように、水戸瀬に懇願する。

 いつの間にか声に、いつもの震えが出はじめていた。

 少しバランスを崩してしまえば、涙腺が決壊してしまいそうだ。


 返答はしばらくなかった。でも――


「最低よ」


 夕霧さんが低く、敵意に満ちた声を発した。

 顔を上げると、夕霧さんが隣に座る水戸瀬を睨んでいる。水戸瀬はその声に体を震わせ、血の気が引いたように蒼白となっていた。


「彼を苦しめて、何がしたいのよ」


「こ、こんなつもりじゃなかったの……」


 夕霧さんの叱責に、顔面蒼白となってうつむく水戸瀬。気の毒になるぐらいに小さく見えた。今にも倒れてしまいそうだった。


「ごめんなさい、タケル……」


 謝罪の言葉を口にする。

 僕にはその意図が、まだつかめてはいなかった。


「なんで謝るんだ?」


 少なくとも、酷いことをされたとは感じていなかった。

 だって仮にも、数年を共に過ごした元恋人だ。たまにすれ違うようなことは会っても、ずっと好いていた。最後までそばに入れなかったことを悔やんでもいた。


 そんな彼女が、ぽたぽたと涙を流し始めたのはそれからすぐだった。

 彼女の嗚咽が、騒がしいファミリーレストラン内部にひっそり木霊している。僕はそれを見守ることしかできなかった。


「ただ、もう一度あなたとやり直したかっただけなのよ……」


 彼女は涙を流しながら、おずおずと話し始めた。

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