第25話 対岸の毒花と毒蝶 参
最寄り駅のホームからはいつも草木が腐敗したような臭いがした。開けたホームからも見える丘に原生している
丘のふもとにはジャングルジム、ブランコなどの遊具が置かれている。明るいうちは遊びに来る子供たちでにぎわっていたが、夕刻になれば人気もまばらな閑散とした場所になる。
中学時代に記憶を遡れば、丘の上にあるここは、僕が一人になりたいときによく利用していた。
思い出の場所だけど、決して懐かしんで郷愁を抱くような場所じゃなかった。
丘から見える夕焼けに染まる駅、そこを行き交う電車の姿を、ただぼーっと眺めていたのを覚えている。
心穏やかになるまでじっとしていれば、次の日も学校へ行こうという気持ちになれた。
そうやって子供の頃を思い出しながらベンチに座って二人が来るのを待っている。
持っていたスマフォが二度震えた。
どちらかが駅に着いたのかなと中を確認すると、LIMEにはメッセージではなく写真が貼られていた。そこには夕焼けに照らされる公園を背景に、ベンチに座ってぼーっとしている誰かの後姿が映し出されていた。
僕の背中だった……。
哀愁漂う一枚だ……。
「こんにちは」
背後から呼びかけられ、悪寒が走った。同時に足音が近づいてくる。
振り返ると、そこには夕霧さんが制服姿で立っていた。
今日は平日だ。きっと学校帰りにここに足を運んでくれたんだろう。
それはとてもありがたいことなんだが……。
「今、写真撮ったの……?」
「はい」
目が合った僕に、夕霧さんは自然な表情で微笑みかけてくる。
夕霧さんは先日のような派手めの化粧はなく、年相応のおちついた顔つきになっていた。
制服姿と相まって、これが彼女の自然体なのだろうと思った。
その分おかしな背徳感が付きまとうが……。
「水戸瀬って人は?」
夕霧さんは周囲を見回しながら、冷たい声を発した。
微笑んでくれたのはほんの一瞬だった。
今は冷然と、水戸瀬の姿を探している。
「彼女に合わせる前に、夕霧さんの様子を確かめたくて、ちょっと早めの時間を教えたんだ」
「えっ?」
そうネタばらしをすると、なぜか夕霧さんは嬉しそうに軽やかな足取りで近寄ってくる。
「二人きりで話したかったんですか? それならそうと言ってくれればよかったのに……」
そういう反応をされるのが怖くて言わなかったんだ。
夕霧さんは僕のそばまで来ると、しなだれかかるように肩に寄りかかってくる。
「ここで君に悲鳴でも上げられたら、僕の人生はおしまいかも」
「ひどいっ、そんなことしませんよ」
夕霧さんは苦笑いを浮かべてはいたが、目は笑っていない。
まだ彼女とこうして顔をあわせるのは三度目だ。
突然取り乱して、泣きださないとも限らない。前回の彼女にはそういう危うさがあった。
「これから水戸瀬が来るけど……いきなり飛び掛かったりしない?」
「ええ」
「ほんとに? 物を投げたりとかもだめだよ?」
「私をなんだとおもってるんですか」
「……」
僕は肩を落として、うなだれた。
この後どんな胃の痛いイベントが待っているのか、考えるだけでめまいがしてくる。
「そんなに僕のことかき乱して楽しい……?」
「そうやって不信感はあるのに、友達にはなってくれるんですね?」
さりげなく、僕の隣に夕霧さんが座ってくる。
近い。彼女の足がぴったり僕の太ももに密着している。
「そんなのただの下心かもよ……」
「下心でそんな危ない橋を渡る人じゃないでしょ」
彼女は自信満々に言い切った。
なんだろう。
僕の頭の中と直接つながっていたりするんだろうか。
「ねぇタケルさん。色々変だと思いません? まだ出会ってわずかなのに、それほど交流のない女子高生のわがままに付き合ってしまってるこの状況」
「それ、君が言うの……?」
「自分の気持ちが知らないうちに誰かにいじられてるって感じたことありませんか?」
「どういう意味?」
「タケルさん、だまされてるんですよ」
突然の発言に、僕は意味が解らず首を傾げた。
夕霧さんは笑みを浮かべたまましゃべり続ける。
「その水戸瀬って人に騙されてるんです。だってこれは、本来の展開じゃないんですから」
高揚したような口調だった。その瞳は興奮したようにギラついていて、呼吸もどこか荒い。
本来の展開じゃない? 意味がいまいち理解できないのは、僕が頭の悪い子だからだろうか。
「その女は、絶対にタケルさんを不幸にします」
「だまって聞いてればずいぶんな言い草じゃない?」
別の声が耳に入って、僕は無意識に夕霧さんから距離を取った。
大樹の陰に隠れていたその声の主は、さらっと僕と夕霧さんの前に姿を見せた。
水戸瀬だ。
いつの間にか役者がそろってしまったことに、混乱する。
水戸瀬にはここに着いたら連絡するように伝えていたのに。
「……あなたが水戸瀬?」
夕霧さんは、刺激物でも口にしたように顔を歪めた。
目を見開いて、歯を食い縛るその表情はまるで親の仇でも目にしたかのよう……。高校生とは思えないほど迫力があった。
おもむろに彼女は立ち上がって水戸瀬を指さすと、
「この泥棒!」
大声を上げた。怒りをぶつけるような声音だった。
「はっ?」
驚いたのは、僕だけじゃなかった。
水戸瀬も一瞬、何を言われたのかわからない、という顔で目を丸くしている。
「とぼけないで! もういい大人でしょ!? 他人の旦那を寝取るなんて恥ずかしくないの!?」
少女とは思えない叱責に、水戸瀬は怯んだ。
というか、寝取るってなんだ。旦那ってなんだ?
「ま、まだ寝てないんだけど……」
「まだってなによ」
顔を真っ赤にしてうつむいた水戸瀬。それを指さす夕霧さんの体が小刻みに震えている。
というか――
「その回答はおかしいだろ……」
水戸瀬もかなり混乱している。
「なんで子供にそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
水戸瀬が思い出したように反論する。
「だいたいなにが旦那よ。犯罪よ! は・ん・ざ・い! 高校生がなに浮ついたこと言ってるのかな? 未成年はお家に帰ってママのご飯でも食べてなさい!」
犯罪云々は、たぶん僕にも言ってるんだろうな……。
夕霧さんは歯を食い縛り、水戸瀬を睨み返した。
ヤバいな、と思った。何がヤバいって、この前代未聞の女同士の喧嘩の渦中に、自分がもろに間に挟まっているという状況がヤバい。
恋愛モノの小説なんかでよくある「私のために争わないで!」みたいな構図だ。
そんな冗談みたいなことがあるかな。
無いな。僕なんかを奪い合うより、美味しいスイーツを奪い合っている方が現実味がある。
「まあまあ二人とも、おちついて――」
「「タケル(さん)は黙ってて(ください)!」」
シンクロした二人の声が、耳に叩きつけられるように響いた。
あまりの迫力に、腰が抜けそうになる。
「そもそもタケル、あなたどっちの味方なの?」
水戸瀬の言葉が胸に刺さる。
「タケルさん! その女の言葉に耳を貸しちゃダメです!」
夕霧さんの悲痛な叫びに、全身が震える。。
二人の顔を交互に見る。
間に立たされた僕が、ここで取るべき行動を、脳をフル回転させて考えた。
どちらかの味方になるべきなのだろうか。それとも――
無意識に水戸瀬の方を見ていた。
今日までの経緯を振り返れば、付き合いは水戸瀬との方がずっと長い。
中学時代に恋人同士だった。
自然消滅という形ではあったけれど、嫌いになったわけじゃなかった。かつての想い人だった。
彼女との記憶に女々しくすがって、彼女とみたいな出会いはできないものかと夢見ていた。
でもそんな日には恵まれなかった。
彼女と恋人としてすごした日々が一番幸せだったことは、僕の頭が覚えている。
だから、水戸瀬しかいないはずなんだ。
なのに――
「タケルさん……ッ!」
何かおかしくないか。
背後から少女の叫び声を聞いた瞬間、なにか、心の中で古い傷が疼いた気がする。
電流が頭の中を駆け巡ったように思えた。
それは深夜のオフィス、水戸瀬から久しぶりに連絡をもらったあのときと、近しい感覚だった。
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