在りし日の喫茶店
そこは平凡な喫茶店だった。
仲睦まじいカップルが、視界の端でこれ見よがしにいちゃついている。
そちらを気にするのも一瞬、今は向かいで美味しそうにイチゴパフェをつついている少女に意識を向ける。
彼女は、僕と目が合うと小さく口を開けて、何か言った。
――ああゆうの、羨ましいですか?
カップルの方をチラ見している。
「いや、別に……」
「別に……ぷっ」
なぜか口真似されて、クスクス笑われた。
「六条さんって、もしかしてロマンチストですか?」
一瞬、動悸が速まった。
今日まで目の前の女の子とは何度かメッセージのやり取りをしてきた。
仕事に忙殺される毎日の中で、それはとても癒しになっていた。そんな、少なからず親しみを抱きはじめていた彼女に、自尊心を傷つけるようなことを言われたと思ったからだ。
「あ、別に悪い意味じゃないんですよ? 夢見る少年て感じで素敵です」
「そ、そう……」
褒められたのだろうか。
少なくとも、そう補足してくれた彼女に、僕を傷つける意思はなかったのだと思いたかった。
申し訳なさそうに目じりを下げて、それからふっと笑みをこぼしながらも、僕の足をつまさきでつついてきた。
「蹴らないでよ……」
「もっと元気だしてくださいよー。せっかくこんな若くて可愛い子とお食事してるのに」
そういいながら僕の足を突っつき続ける。
「蹴られてもうれしくない」
「クラスの男子は喜ぶんですけどね」
「変な性癖でもあるんじゃない?」
夕霧さんは僕よりもずっと年下で、見た目こそ可愛らしいけれど、ふと見せる表情やどこか余裕のあるさまが小悪魔的で、なんだか圧倒されていた。
これが若さかと、感心するほどだ。
ただでさえ年代の違う相手なのに、気持ちリードされているような気がするのだ。
「六条さんってなんだか、少女漫画の主人公みたいなんですよね」
「……少女漫画の主人公って女の子だよね……?」
またからかわれている……。
今日初めて会って、話しはじめてからまだ数時間ほどしか経っていない。
だというのに、会話の主導権は常に彼女の方にあるように思えた。本当に男を手玉に取るのが上手なんだ。
からかって、楽しんでる。それを嫌だと感じさせないくらいに、彼女の反応は軽妙で、楽しくて、誘惑的なのだ。
恐るべしだな、女子高生。
「六条さんの恋愛観って、たぶん子供の頃から何にも変わってないんですよ」
「なんでそう思うの?」
「セールスレディの人にときめいてだまされそうになった話とか、出会い系サイトで海外留学の人に会いに行くためにパスポート作ったけど、実はただのさくらだったときの話とかを聞くとそんな風に感じます」
LIMEのやり取りで話題にしたエピソードだった。
ただの笑い話もつもりで話題をふっただけなのに、ここでネタにされて顔がものすごく熱くなった。
「め、めっちゃ率直な意見ありがたいね……」
「六条さんにはどーしたら素敵な恋人ができるんでしょうね?」
溶けかけたパフェをスプーンでかき混ぜながら、彼女は嬉しそうに言った。
しょうもない悩みを、ただなんとなく口にしただけなのに、さっきからそんな話題でずっといじられてる。
「あ、童心を忘れないのは素敵なことだと思います! 大人になると汚いことしまくる人たくさんいるし!」
急な力説だった。
「そうなの……?」
「だって大人の男が女性に期待することって、ヤれるか、ヤれないかでしょ?」
飲んでいたカフェラテを拭きこぼしそうになる。
「……いやそれは極端でしょ……」
「でもそうじゃないと、まじめで良い人で終わりそうな感じありません? 結局体のつながりが、気持ちを優先させちゃって、そういう肉食な人に女って
「やめてよ!」
自分の情けなさに耐え切れず、叫んだ。
さっきからサンドバックである。
夕霧さんは見た目にそぐわずサドっぽい気質もあるらしい。僕を煽って楽しんでいる節がある。
「褒めてるんですよ? 変わってるなぁって」
「それは褒めてないし……僕からしたら夕霧さんも相当変わってると思う……」
「そうです?」
「十も離れた相手に全く遠路がないし、常に僕のことをからかってる感じがするし。そうやって男を怒らせて、いつかひどい目に合うんじゃないかって心配になるよ」
自然と早口になっていた。
本気でこんな子供に怒ったりはしないけど、感情が声に出てしまうの癖みたいなものだ。
「こんなこと六条さん以外に言いませんよ」
「……」
反応しづらいことを言う。
夕霧さんは少し照れたように自分の頬を掻いた。
それからせわしなくパフェ残りをストローで啜りはじめる。
彼女には余裕があるんだ。
まだ前途多難な未来に、希望を抱いている。そういうところから若さみたいなのを感じて、なんだかさみしい気分になる。
もう僕には絶対に取り戻せないものを彼女は持っているんだ。
「私たちって似てますよね」
「似てる?」
女子高生と三〇才のおっさんに似てるところなんてあるだろうか?
「うちのお母さんも、大恋愛で結婚したんです。相手は小学校からの幼馴染で、ずっとそばにいたのに大人になるまで手すらつながなかったんですよ。なんだか純愛って感じ。そういうのをそばで聞かされてきたから、あこがれちゃうのは分かります」
「……」
「六条さんはもうそういう恋愛はできないって、諦めてますか?」
「……」
急にじっと見つめられて、年甲斐もなく動揺する。
でも、同時にその余裕ありありな態度に腹も立ってきた。
「……君は若いから、そうやって気軽に自分を晒せるんだ。嫌われても、次があるからね」
悪いスイッチが入ってた。
目の前の、今日顔を合わせたばかりの少女に気を遣うのが嫌になったんだと思う。
「だからきっと、君はそういう相手をいつか見つけるんだと思うよ。近い将来、キミの不躾な態度を受け入れて、それでも君を好きでいてくれる都合のいい相手が現れるんだと思う」
どこにも根拠なんてないけど、でも自信満々に会話をする彼女を見ていればわかる。
彼女には、人を引き付ける魅力があるからだ。
「でも、もう僕には無理だ。嫌われたら次なんてない。少ない人とのつながりを保っていくのが精いっぱいなんだよ」
自分でも、偉そうなことを言ってるな、なんて思った。
そして目の前でパフェを食べてるこの子にも「なにマジになんってんのよ」呆れられるんだろう。
僕の人生は、否定の連続だった。
今まで何度か良いなと思って交際を申し込んだことはある。
でもそのたびに、いろんな理由をつけて断られてきた。そのたびに自分には価値がないんだと思い知らされてきた。
誰かに好かれる価値がない。そういう気持ちが、恋愛がうまくいかないたびに大きくなった。負の連鎖だ。上手くいかないほど、自信を失って、そういうチャンスから遠ざかってしまう。
目の前に座る彼女とは、今までも、これからも、たどっていくストーリーが違うのだ。
だから、他人に期待するのも疲れてしまった。
言い切ったとき、目の前の夕霧さんは目を丸くして驚いているみたいだった。でもすぐに驚きは消えて、頬杖をついて、にっこりとほほ笑んできた。
「次はいつ会いましょうか?」
「……今の話、聞いてた?」
「難しいことわかりません」
夕霧さんはまだニコニコ笑ってた。
それも、気まぐれに大人の僕を揶揄っただけなんだと思った。そう思わなきゃ、ありもしない可能性に期待を抱きそうで、怖かった。
だから本気にはしなかった。
一度目の時は。
「ねえ六条さん」
「はい?」
「タケルさんって、呼んでもいいですか?」
「……これってパパ活ってやつ?」
「お金なんて欲しがりませんよ」
キラキラした目でそんなことを言われ、胸が高まりをごまかすために、そっけないセリフを吐く。
だけど彼女は決して笑みを絶やさない。
胸の動悸を抑えるために、自分の胸を右手でグッて握りしめた。そうやって感情を押し殺そうとした。
期待しすぎるなって、自分に言い聞かせていた。
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