第24話 対岸の毒花と毒蝶 弐
水戸瀬に嫌われたら、きっとそれはそれで後悔するだろう。
あるいは老いてよぼよぼになって、孤独死する間際に「あのとき水戸瀬の告白を受け入れていればよかった……」などと未練がましく思いながら息絶えるかもしれない。
『もしかして私の告白を受ける気になったの?』
通話がつながった瞬間、水戸瀬が開口一番に放ったセリフだった。
「今何してる?」
『布団に寝そべったまま天井を見てる』
「……いまちょっといいか?」
『というか、私の第一声を無視して話をはじめないでよ』
夕刻――公園のベンチに座りながら、水戸瀬に久しぶりに連絡を入れた。
まだ水戸瀬からの告白からさほど経過していない時期だ。無視されても仕方がないと思っていたが――
「相談したいことがあって……」
水戸瀬はスマフォの向こうでつまらなそうに溜息を吐いた。
『なに? いそがしいんだけど』
さっき寝そべってるって言ってなかった?
「夕霧理の名前に覚えがあるか?」
『ゆうぎり? 誰?』
スマフォ越しに聞く水戸瀬の声は、以前会社で徹夜していた時に聞いたものよりもトゲがあった。
「最近知り合った女の子の名前」
『へぇ? へぇー?』
急に声のトーンが低くなる。
『なに? モテるじゃん。オモテになるんですね。そんなこと言うために電話してきたの?』
「まって、勘違いしてる。夕霧さんとはただの友達なんだ」
『タケルにこんなタイミングで友達なんかできるわけないでしょ』
「それは、酷くない……?」
その罵倒はさすがに心にくる。なんの言い訳も思いつかないじゃないか。
『その夕霧さんがどうしたの?』
「信じてくれるの?」
『とりあえず聞くだけ聞いてあげる』
電話で水戸瀬の声を聞くのは、とても不安だ。
僕の言葉を聞いて、彼女が何を思っているのか、その声音からでしか判断ができない。つまりほとんどわからない。
「水戸瀬に会いたいって……言われてる」
『何でよ?』
「あー……」
どう説明しようか言葉に詰まった。
夕霧さん本人に頼まれているなんて言っても、彼女のことを全く知らない水戸瀬は聞く耳を持たないんじゃないかと思う。
それに夕霧さんがどこか普通じゃないということにも起因している。
だってほら、今だって目の前に……。
「……(にこ)」
微笑んでいる彼女がいる。ベンチに座る僕を見下ろしながら、天使みたいな笑みを浮かべている。
なにこれ? リモートワークならぬリモート修羅場?
夕霧さんとは今日初めて顔をあわせた。それが、こんな状況になってしまうとは、夢にも思わないではないか。
『タケル?』
「ああえっと……実はその子とは通勤電車の中で知り合って――」
とりあえず夕霧さんとの馴れ初めから話すことにした。
僕が通勤途中に女子高生を手助けしたこと。そのお礼にお菓子の贈り物をもらったこと。さらにそのお返しに昼食をごちそうしたこと。その後に水戸瀬に会いたいという要求を突きつけられたこと――
導入は分かりやすいはずだ。特に何か邪な気配は感じ取らないはずだ。
なんでそうなったの? って感じだが、嘘はついていない。
『女子高生……?』
水戸瀬は一番触れて欲しくない部分に素早く気づいた。
「いや、それは、些細な問題だ」
『重大な問題だよ』
声が低くて、怖い。生きた心地がしない。
どうしてこう、最近の対人関係は空回りばかりするんだろう。
『なに? もしかしてそんな年下の相手がいるから私をふったの?』
「いやいや!そんなんじゃない! そうだったら正直に話したりなんかしないだろ!」
慌てて否定する。下手をしたら通報されかねない雰囲気だった。
「とにかく、ちょっと手違いがあってスマフォの中身を見られて、通知履歴にあった水戸瀬の名前を見つけられたんだ」
『え? 怖』
まあそれは、そう。
「友人としてどういう人間とお付き合いしているのか確かめたいんです」
「友人として、どういう人間とお付き合いしているのか確かめたい。というのが彼女の言い分だ」
『今の声だれ……?』
経緯はこんなところである。ちょっと無視できない要素がいくつかあるが、まずは水戸瀬の反応を確かめたかった。そしてあわよくば、今この場での夕霧さんへの対応のアドバイスをいただきたいという所感である。
今日何度目かわからない水戸瀬のため息が聞こえてきた。
「それで、どう思う?」
『どうって?』
「夕霧さん、会ってみる? 一応彼女の頼みもあって相談はしてるけど、無理強いはしないけど……」
『……』
しばし沈黙が続いた。
YESかNOかの二択のはずだが、やはり無理があるか……。
「あの、マジで無理はしなくていいぞ?」
夕霧さん、表情は変わらないけど、なにやら笑顔のまま眉をひそませている。
無理にでも押し通せと、その目が訴えているように思えた。
でもそれはさすがに、水戸瀬の意志を優先すべきだろう。
むしろ、断ってくれた方がありがたいまであるかもしれない。
『いやあのさ、そもそもタケルの方は今後その子とどんな風に関わっていくつもりなのよ』
思考が停止する。どう関わっていくんだろうと考える。
「たぶん、友達として関わっていくことになるのかな……」
『私とは?』
「ええと……?」
どうしよう。この流れはまたいつものパターンだ。
すでに彼女には答えを伝えたつもりではいたのだが……。
「前に言ったように友達とは思ってる……。でもそれって、都合が良すぎるよね……?」
『調子に乗るなって思うよ』
案の定、水戸瀬は怒り出した。声の圧が大きくなったのがわかって、耳からスマフォ離した。
『そんな優柔不断な態度とって、私が愛想つかせて離れていくとか考えないの?』
「ごめん……」
自然とベンチの上で中腰の態勢になっていた。
誰もいない方向に向かって必死に頭を下げている。
『なら、私と付き合いなさいよ……。その子とは友達。これでほら、ちゃんと仕分けできるわ』
「え……どゆこと? いやそれは――」
水戸瀬に囁かれ、思わず目の前に立っている夕霧さんに視線を送ってしまう。
電話の音声が聞こえない彼女は、僕と目が合うと首を傾げて不思議そうな顔をした。
「あの、そういう大事なことはまた今度にしよう……」
『なんで?』
「今は夕霧さんについてだよ。会いたくないならそう伝えるだけだし、嫌なら無理強いはしない」
水戸瀬に要件を伝えながら、ふと冷静になる。
水戸瀬のこの不可解な好意にも、未だ謎な部分が多い。
こんなに執着されるほど、僕は彼女に好かれるようなことしていない。中学の頃だって、むしろ情けない姿ばかり見せてきたように思う。
『まあべつに、会いたいっていうなら会うよ。私もその女子高生とかいう友達にタケルが騙されてないか確かめてあげる』
「女子高生は名前じゃないよ……」
なんだろう。
『揚げ足とらないの!』
なぜ水戸瀬はこんなにも僕に執着するんだ?
考えに耽っている途中で、水戸瀬の深いため息が聞こえてきた。
『タケルが未だに彼女いない理由がよく分かったよ』
よくわかったなら、どうして? とは聞けなかった。
『わかった、もういいよ……この話はおしまい……。たしかにこんなバカな会話で交際をスタートなんかしたくないもの』
水戸瀬は疲れたような声でぼやいた。
「わかった、夕霧さんに伝えておく。日程が決まったらまた連絡するよ」
『うん……』
電話を切り、夕霧さんを見る。
彼女は複雑そうな面持ちで、自分の指を咥えながら視線を落としていた。何かを考え込んでいるみたいだ。
「水戸瀬、会ってくれるってさ」
「……そうですか」
それきり、またしばらく沈黙が続いた。
電話口では色々言ったが、水戸瀬との友人関係が続いている間に、他の人に目移りするつもりはなかった。
水戸瀬は、面倒な僕にも、足を踏み込んでくれる稀有な相手だ。
胸の奥では、好ましいという気持ちもあるんだと思う。
そんな気持ちが、目の前の少女にも伝わってしまったのだろうか。
約束は無事取り付けたのに、どこか浮かない顔をしている。
「これからデートの続きって空気じゃないですよね……」
彼女の声は、消え入りそうなほど小さくなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます