第19話 好意と疑念の狭間で
逢坂と別れて三〇分ほど経過した頃、ロビーに水戸瀬が顔を出した。
僕を見ると、ものすごい嫌そうな顔になってそのまま素通りしようとする。
逢坂に続いて水戸瀬まで、なんでこんなに態度を急変させてるんだよ。
「ま、まてって」
慌てて彼女の服の袖を掴むと、さらに迷惑そうに顔をしかめられる。
なかなかキツい目だ。つい最近の僕だったらたぶんここでポッキリ心が折れてたと思う。
でも今は、どうしても彼女に聞きたいことがあった。
「一緒に帰ろう。待ってたんだ」
水戸瀬は僅かに目を泳がしてから、はあと観念したように溜息を吐いた。
二人そろって地上に出ると、まだ空は僅かに明るかった。
水戸瀬が早足に歩き出したので、僕もそれに続く。
ここ新宿都庁の周辺は静かな市街地だ。行き交う人々がそれほど多くない代わりに、タイル張りされた遊歩道の間を、先ほどから何台ものタクシーが通り過ぎている。
地下鉄につながる入口を見つける。スムーズに帰宅するならここに入る必要があるが、水戸瀬は一瞬僕に目を向け、それから無言で遊歩道の方を歩きだした。
しばらくはそのあたりを歩こうということらしい。
夕焼けの空に、徐々に黒いカーテンが下りてくる。ネオンがぽつぽつと灯りはじめた頃、僕は隣を歩く水戸瀬に切り出した。
「逢坂と知り合いだったんだな」
「……」
「いつから知り合いだったんだ?」
「中学……」
「あ、へぇ……」
水戸瀬は淡々と述べた。以外なほどあっけなく。
どうやら、嘘をついたりごまかすようなことをするつもりはないらしい。
「あんまり言いたくないから、できればもう今日はお開きにしたいんだけど」
「言いたくないなら言わなくてもいいけど……」
「嘘つくと、嫌われる」
僕の心でも読んだのだろうか。
「別に嫌いになんてならないが……」
「好感度バラメーターなんてものがあったら2,3は下がるね」
「なんだよその例え」
僕に嫌われると何か不都合でもあるのか?
その言葉尻だけを拾って素直に受け止めるなら、僕に嫌われたくない、好かれたいなんて解釈もできるが、どうにも、しっくりこない。
水戸瀬はうつむいて、僕に表情を見せないようにした。
「もしかしてさ、同級の奴らに色々されてるの、知ってた?」
「え? ああ、うん……」
僕の言葉に反応して顔をこちらに向けた水戸瀬は、だけど思い出したように再びうつむいてしまう。いつもなら明るい話題で場を和ませていた彼女が、今は嘘みたいに落ち着いている。
「いつから?」
「タケルと付き合ってた頃から知ってたよ。ちひろから聞いてた……」
「ああなるほど」
そういえばさっき逢坂も、僕のことについて話をしているみたいなことは、言ってた。
「水戸瀬にだけは知られたくなかったんだけどね」
けど水戸瀬に知られているとわかってみると、なんだか一つ肩の荷が下りたような気がした。
言いたくないことをずっと胸にしまっておくのも、それはそれで疲れるものなのだ。
「酷いんだぜあいつら、女子の前でズボン脱がせたり、何もしてないのに廊下で出合い頭に突き飛ばしたりするんだよ。先生さ、喧嘩は仲裁するけど、何も言ってくれないんだ。一方的に殴られたような喧嘩でも、殴ったやつと一緒に叱ってくるんだ。問題を起こすなって」
「知ってる……」
彼女は暗い声で答えた。
同情してくれているのだろうか。
思い出すたびに、泣きたくなる時期もあった。でも、もう過去の事だ。そんな深刻な顔しないで欲しい。
「でも、かっこ悪くて、親にも、水戸瀬にも言えなかった。気を遣わせたみたいでごめんな」
「かっこ悪くはないでしょ」
水戸瀬の声は苛立っていた。
「なんでちひろには言って、恋人だった私には言わなかったかな」
「それは……まじでごめん……」
なかなか痛いところを突いてくる。
射貫くようなその視線を向けられると、心臓が止まりそうになる。
でも――
「けど水戸瀬は全部知ってたのに、それでも、僕とずっと付き合ってくれてたんだな。それはすごく、嬉しかったよ」
そんな事実に気づくと、なんだかとても、胸の奥に暖かいものを感じた。
水戸瀬がこんな僕のどこを気に入ってくれてるのかはよくわからないけど、でも僕のことを本当に大事にしてくれてたんだなってのが今更ながらに気づいて、嬉しいのだ。
どう考えても分不相応だと思うけど。
「ありがとな」
感謝を口にすると、水戸瀬は立ち止まり、しばし黙り込んで、僕の顔をじっと睨んでいた。
鋭い視線をこちらに向けながらも、彼女はうんともすんとも言わない。
ただ時間だけが流れた。
沈黙に気まずさを感じ始めた頃、
「もう、後悔はしたくなかったから」
水戸瀬は、ぽつりと言った。
「後悔?」
「前の時は、逃げたからね」
「……?」
前って、どの瞬間を言っているのだろうか。
「子供って残酷だよね。自分でもドン引きするぐらい残酷なことができるんだよ」
「うんと……?」
話の文脈がつかめず、考える。
「最初に付き合った時さ、君がいじめられてるって知らなかった」
それはそうだ。水戸瀬に悟られないようにやってた。上手く隠せてたとは思わないけど。
「あれ? でも逢坂経由で知ったんじゃ」
「ちひろから聞いたのは二回目からだから」
二回目――?
なんの回数だろうか。
水戸瀬は、哀しい顔をして、自分の足元を見ている。深く息を吐くと、僕を改めて真正面から見つめてきた。
「私ずるいんだ。周りからキミの噂を聞いたとき、それなりに葛藤はあったけど、キミと話をするのがたまらなく恥ずかしくなって、こっちから全然声をかけなくなった。逃げちゃったようなもんなんだよ」
「……いったい、なんの話だ?」
「それで自然消滅した」
「……」
僕が嫌がらせを受けていたのは中学時代だけだ。水戸瀬は逃げてない。ずっと僕の傍にいてくれた。
だから彼女の言葉は真実ではないはずなのに、笑って受け流すことができない。
なにか引っ掛かりを覚えたからだ。
彼女が逃げた――急に態度を変えた水戸瀬に、挽回のチャンスすら与えられずに破局した。
それはまるで――
水戸瀬とたった一週間だけ恋人関係だった方の記憶を指しているように思えた。
でもあれは、夢だろう。現実じゃない。
「私逃げたの。でもずっと後悔してた。だから次は、ちゃんと付き合おうって思ったのよ」
水戸瀬は淡々と語っている。
「だからやり直したの。君ともっと深く恋仲になって、君を知るためにちひろにも近づいたの」
「全部、十五年前のことだよね?」
思わず口をはさんだ。
「うん」
「やり直しなんてできないだろ? 僕と水戸瀬は初めから付き合ってた。一週間で破局したなんて事実はないはずだよな?」
「……そうだね」
水戸瀬はうつむいて、呟いた。
僕にはその時の水戸瀬の表情の意味が理解できなかった。悲しそうにも見えたし、何かを諦めたようにも見える。それから不意にこちらの顔を見て、ニコッと笑って指で僕のお腹をさしてくる。
「あんた、なんで逃げるのよ」
いつもの、無邪気な笑みを見せる水戸瀬に戻っていた。
「公立高校を受ければ、同じ中学にいる奴がたくさんいたから?」
「ええと……」
急な逆襲に狼狽える。
それはまさに図星だったからだ。
公立自体は、悪くない偏差値だった。滑り止めで私立に行くよりはずっと、学費も安く済むし、水戸瀬と一緒にいる時間だって今まで通りだったはずだ。
でも僕は――
「あんたが私から絶対に逃げるから。いじめとかもひっくるめて何とかしようと思ったけど……上手くいかないんだよね……」
タケルは卑屈すぎるんだよ、と水戸瀬は泣き笑いの表情で、声を震わせていた。
「だから今に託すことにしたの」
「今……?」
自分なりに水戸瀬の言っていることを理解しようとしているが、まだ頭が追いつけない。
そんな状態で水戸瀬の声が、僕の耳にまとわりつくように響いてくる。
「ねぇタケル、またやり直さない?」
そっと彼女の両手が、僕の手を包み込んだ。その瞬間、余計な思考が遮断されてしまう。
「えへへ、わたしもうすぐ三〇になっちゃうけどさ……」
目尻に涙を浮かべたまま、
「やっぱりこれからの人生は好きな人と過ごしたいんだ……」
彼女の二度目の告白に、僕はしばし茫然としていた。
「ど、どう……また付き合ってみる?」
いじらしく視線を手元に落とす水戸瀬――
一瞬、誰かの泣き顔を見た気がする。
僕は……。
「……ご、ごめん」
気づいたらそう返答していた。
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