第15話 いないはずの同級生
ホテルの地下にある広いスペースを貸し切って催されるその会場には、見覚えのある顔がいくつもあった。
でも、どの顔も嫌な思い出を想起させるものばかりで、懐かしむような気持にはならない。
受付の女性に自分の名前を言ったときも、奇異な目を向けられた。
「もしかして……六条?」
この子は、誰だっただろうか。
思い出そうとして、すぐにそれは無意味な考えだと気づいた。
当時の僕を知る人物との間に、ろくな思い出があるはずなどないからだ。
聞こえないふりをして、さっさとその場を後にした。
会場入りして真っ先に水戸瀬の姿を見つけた、までは良かったのだが……。
「ごめんっ!」
彼女は僕の顔を見るなり、いきなり手を合わせて謝ってきた。
「ついさっき会場準備の手伝いお願いされちゃって、しばらく裏方に回ることになったの!」
まじか。
それはとても、残念というより、マジか……という気持ちだった。
水戸瀬と一緒ならこの空気に堪えられると、僕はそう思ってこの場所に来たのに。
「あとで必ず会いに行くから、先に入ってもらっても大丈夫?」
捨てられた子犬みたいな目で見つめられる。
「いや……無理はしなくていいよ。中に知り合いもいるしな」
「そうなの?」
嘘だけど、そう言う他なかった。
知り合いの一人もいないなんて、恰好がつかないだろ。
水戸瀬はう~んと難しい顔でうなったが、
「平気だから」
そう後押しすると、こっちが気の毒に思うぐらい悔しそうに頭を下げた。
「ごめんね! この埋め合わせは後でするから、とりあえずタケルの方はお友達と時間潰してて」
「ああ……」
本気で反省している相手に怒るほど鬼じゃない。むしろ水戸瀬の言い分は思いやりがある。よほど救われた気分だった。
ただ、僕には時間をつぶすお友達なんてものはいないのである。
「待ってるから、後でな」
内心では早く来てほしいと切実に願っている。。
「うん! 後で!」
水戸瀬はもう一度頭を下げてから、人がたくさんいる方に向かって走っていった。
レクリエーションみたいなものがあるらしい。ビンゴとか、多分そんな程度の催しだろう。
特に気にせず、会場内を歩き出した。始まるまではまだ時間がある。
しばらく後なら、水戸瀬が相手をしてくれるみたいだし、とりあえず話しかけれるような人間がいるか見て回ることにした。
*
十五年前担任の教師だった長谷川先生は、当時の出来事や僕たち生徒の印象を面白おかしく話しだした。
会場の皆に向けてのマイクパフォーマンスだ。はきはきと話す彼は、僕たちの担任だった頃よりも貫禄があった。
でも、僕はその演説を複雑な心境で聞いている。
当時様々な悪意をまわりから向けられていた僕に、彼が救いの手を差し伸べることは無かった。
いい大人になった元教え子たちに人生のすばらしさを語る長谷川を、僕は遠くから冷めた目で見つめていた。
それからは自由時間になり、本格的に同窓会が始まった。
僕はというと、ただ黙々と料理を食べていた。
小規模な立食パーティのような雰囲気だが、参加者たちは思い思いのグループで輪を作って、好き勝手に雑談している。
僕にはそういうグループが存在しないので、仕方なく食べること意識を向けていた。
広場の隅っこで、皿に盛った食事に手を付けながら、会場全体を見回している。
やることが無い……。あれからだいぶ経つのに、水戸瀬が戻ってくる気配も感じられなかった。
独りでいると、誰かに声を掛けられそうで怖かった。
世のいじめられっ子が同窓会なんぞに来る理由なんぞ、そもそもあるのだろうか。
参加する必要性すら感じないのではないか、とすら思う。
「よお! お前、もしかして六条か?」
低くドスの利いた声にはっとした。
振り向くと、浅黒い肌をした恰幅のいい男が立っていた。
大柄で、目に凄みのある顔だ。
その瞬間、中学時代のことを思い出して、動悸が速まった。
水戸瀬と付き合っていたあの頃、いつも彼女と一緒だった。
釣り合いのとれていないカップルだ。
まわりの連中はよほど面白くなかったんだろう。
僕を狙った悪質ないたずらがさらにエスカレートしていた。
そのときの屈辱の数々も、当時の関係者の顔も、忘れたくても忘れられない。
「お前、さっき水戸瀬と話してたよな? なにお前ら、まだ続いてたの?」
男の目が、悪意に爛々と輝いているように見える。歯を見せて口角を吊り上げるその下品な笑みは、覚えがある。
僕に暴力を振るっていた不良の一人だ。あの頃の柄の悪さを引きついだまま大人になったような雰囲気がある。
でも――
「いやぁ! 変わったなお前! なんかちょっとイケメンになってね?」
大声を出しながら背中を叩いてくる。
当時のような敵意は無い。まるで、本気で久しぶりに見た同級生の再会を喜んでいるようだった。
「まあでもあんな美人と付き合ってたら自然と変わるよな」
何かに納得するように頷いている。その顔には邪な感情など読み取れなかった。
さっき垣間見えた悪意も、トラウマが見せた錯覚だったのかもしれない。
「俺も近々結婚するんだ。お前も愛想つかされないように気をつけろよ?」
男の言葉に、めまいがした。
「ああ、そうだな……」
答えながら、僕の気持ちは沈んでいった。
中学時代の奴らと顔を合わせたところで、話すことなんてないと思ってた。
でも、そうやってうじうじと過去のことを考えているのは、もはや僕だけなのかもしれない。
向こうはそんな過去の事、気にも留めていないのかもしれない。
「僕、ちょっとトイレ……」
なにかに耐え切れず、男の元から離れた。
僕を陥れた連中は、今はもう年相応の大人になっている。結婚相手だっている。
この会場で、僕だけがまだ、中学時代のままだ。あの頃の苦しみから抜け出せないでいる。
一人だけ、取り残されているんだ。
*
会場の喧騒から逃れて、廊下で立ち尽くしていた。
こんな状態で水戸瀬の元に向かえば、またおかしな発作が起こるかもしれない。
今だってもう、泣きそうな気分だった。
水戸瀬は、もう僕の恋人でも何でもない。
ずっと前に別れた。
僕が彼女の元から逃げたからだ。
同じ高等学校に行くと約束したのに、それを果たせなかった。
彼女の近くにいるよりも、自分が楽になる道を選んだんだ……。
「帰ろうかな……」
独り呟いた。
ここに自分の居場所はないのかもしれない。
遠くで誰かの笑い合う声が聞こえる。
こんな空気の中で、きっと水戸瀬は、懐かしい顔ぶれに囲まれて思い出話に花を咲かせていることだろう。
卑屈な気分になっていた。
まるで心だけ、あの頃の自分に戻ってしまったみたいだった。
「はあ……」
重いため息を吐きながら、壁に寄りかかって自分の足元を見つめる。
もうここから抜け出そうかと考え始めた頃――僕の視界に、誰かの足が入ってきた。
ヒール付きのサンダルだった。
水戸瀬が来たのかと顔を上げると、恐怖映画でも見たかのようにぎょっとしてしまった。
「やっぱり、タケルくんだ」
女性が立っていた。僕に笑いかけている。
そんなセリフと共に破願する彼女の顔を、僕は一目で誰かわかってしまう。
でも、記憶にいる彼女は、そんな風に眩しい笑顔のできる子じゃなかった。
当時はおかっぱで、前髪で目が隠れるような地味な印象しかなかった。本当は目元が整っていて、瞳は大きくて、笑うと僅かにえくぼができる。
僕だけはそのことを知っている。
逢坂ちひろ――
彼女が、元気な姿で目の前に立っていたのだった。
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