第9話 お返しのお返し

 自宅マンションに戻ると、一階の宅配ボックスに荷物が届いていた。

 何やら大きめの段ボールだ。

 母さんからの仕送り――?

 などと一瞬考えたが、母さんは都内在住で、会おうと思えばいつでも会える距離にいる。わざわざ贈り物なんてしないだろう。


 とりあえずマンションの入り口で中身を確認するわけにもいかないので部屋までもっていくことにする。

 実に三〇時間ぶりに帰った我が家は、相変わらず家具の少ない、味気ない場所だ。

 6畳ほどあるワンルームにはベッドと小さなテレビ、机が一つだけ。

 机の上には前の住民が使っていたのをそのまま引き継いだ電話機があるが、それが鳴ったところは見たことがない。


「あ?」


 ところが電話についた液晶画面に蒼い光が明滅している。


「留守番電話?」


 今まで使ったことが無いので操作方法がわからない。

 適当にいじっていると、何やら音声ガイダンスが鳴った。

 再生ボタンを押せとのことだったので言われるがまま押す。


『一二時、二十二分、一件です』


 電子音が鳴り響く。

 それを聞きながら、持ち込んだ段ボールの包装をはがしにかかった。


『――――どうも、ユウギリサトです』


 だれやねん。と思いながら段ボールを開ける。

 女の声だったのだが、どうせ何かのセールスだろうと考え、特に気にしなかった。


 中から出てきたのはいくつかの小さな箱だ。ラベルを確認すると、洋菓子のようだった。カステラやケーキの文字が目に入った。洒落たリボンなどで包装されたそれは、なかなか高級そうな品だ。


『この前は電車であた……わたしを助けてくれてありがとうございます。御連絡先だけ頂いていたので、誠に勝手ではありますが母に選んでもらってお菓子をお送りしました――』

「なぬ!?」


 思わず電話機に近づく。

 つい先日って、もしかして先週の? 満員電車で僕が手を取ったあの女子高生の顔がまっさきに頭に浮かんだ。

 直接声を聞いたことは無いので確かなことはわからないのだが……。


『――ご賞味いただければ幸いです。改めてありがとうございました。失礼いたします』

「……」


 たどたどしい話し方ではあったが、それが年相応らしくはあった。もしもあの子なんだとしたら、わざわざあの時のお礼に高級洋菓子詰め合わせを贈ってくれて、さらに電話までしてくれたということになる。


「めっちゃいいこじゃん……」


 最近の若い子も、捨てたものではないな……。

 なんだか泣きそう。


 さて、どうしたものだろう。

 もう開けてしまったぞ。

 とりあえず洋菓子の包装を一つ解いて口に放り込んだ。


「めちゃくちゃうまいじゃん……」


 なんだか大変申し訳ない気持ちになってきた……。


「ユウギリサトって言ったか? ユウギ、リサト? ユウギリ、サト?」


 くだらないことを考えはじめていた。徹夜明けで頭が回らないせいかも……。

 とにかく、僕からも折り返し電話をした方が良いんじゃないかと考えた。

 相手は高校生だし、大人が模範となるよう誠意を示すべきだと思ったからだ。


 時間はまだ午後六時過ぎだ。今なら夕食の邪魔にもならないかもしれない。

受話器を手に取って、履歴に残っている番号に電話をかける。

 コールが鳴りはじめ、三回目で誰かが出た。


『はーい、ユウギリです』


 ユウギリ、サトで確定みたいだ。


「……こんにちは」


 思い立って電話を掛けたが、話す内容までは考えていなかった。そもそもこの声は、本人なのか?

 さっきの声は似ているが、少し低い気がする。


『どなた?』

「えっと……先日サトさんが電車内で体調を崩された際にその場にいた者で六条尊と言います。家についたらそちらから贈り物が届いていたみたいで……」

『ああっ』


 電話越しの女性は何かに気づいたように声を上げた。


『さとー! お菓子届いたって電話が来てるよーっ』

「いやあのただ礼を伝えてもらえれば――」


 良かったのだが……。もう手遅れのようだ。トタトタと階段を駆け下りる音が近づいてきた。

 うーん、眠い……。


『ど、どうも、サトです!』

「うお」


 思わず、受話器を耳から話す。

 あの日ぐったりしていた彼女とは思えない声の大きさで、驚いた。


『……たけるさんですか?』

「そ、そうです」


 いきなり名前で呼ばれて、ちょっと目が覚めた。って高校生相手にこんなことで動揺してどうする。


「あ、今日お菓子の詰め合わせ受け取りました。あの、ありがとうございます。僕そんなたいしたことしてないのに……」

『そそそ、そんなことないです。おかげで助かりました』


 そう言ってもらえると、ほっとする。

 実際あの日、駅員たちには厄介払いされるように追い出されたし、今日まで余計なお世話だったかも、と考えていたぐらいだ。


「まあ、お役に立てたんなら良かったです」


 こうしてあのときのJKの元気な声を聞けただけでも、勇気を出して正解だったなと思えた。

 まあ、成り行きみたいなものだったが……。


『いえ……そんな……』

「いえいえ……」


 ところで、このやり取りはお礼を言えば終わりで良いのだろうか?

 僕としては要件を終えた気分になっていたのだが、それきり会話が途切れると、心の中に眠る良心が吠えた。

 貰うもんだけ貰って、はいさようならか? と。

 タダより高い物はない。

 母はよくそう言って、正月にお年玉をもらって大喜びしてい僕に冷えた目を向けていた。今思えば、もらった分だけ他の親戚の子にもたくさんのお年玉をあげていたのかもしれない。

 あの冷たい目ってそういう意味でしょ?


「……ちなみにこのお菓子って……君のお母さんが贈ってくれたのかな?」

『へ? いえ、わたしのバイト代からです。そうじゃないと意味ないですし』


 聞くんじゃなかった。これはますますタダでもらうわけにはいかない。


「やっぱり僕だけ贈り物なんて申し訳ないですし、こっちからもお礼させてください。なにか、欲しいものとかありますか? そんな高給なものは……厳しいですけど……」

『いえそんな……そんなの悪いです』

「いや、そんな遠慮なさらずに」


 今の僕、得意先と電話してるみたいだと思った。

 それぐらいに電話相手にぺこぺこ頭を下げている。


「だいたいお金、使ってるのユウギリさんだけですし、やっぱりどう考えても不公平ですよ。僕の方が確実に年上ですし」


 確実どころか犯罪レベルで上だろうな。

 そんな卑屈なこと考えても仕方がないが。

 それに、彼女は高級アクセサリを欲しがるようなタイプではない。きっと法外な品を求められることもないだろう。ないよね?


『じゃ、じゃあそれなら……』


 僕は息を飲みながら、ユウギリさんの次の言葉を待った。


『ご、ご飯とか……』


 ごはん。


『連れてってもらえませんか……?』

「……」


 ごはん?


『あの、ダメですか?』


 つやっぽい声が、耳を撫でるように響いた。

 過度な緊張からか、あくびが出そうになる。あくびを噛み殺しつつ、どう答えようか考える。


 食事、女子高生と食事、甘美な響きだ。

 ただしそれは大いなる危険を孕んでいる。

 僕はアラサーだ。とんでもないトラブルに発展する危険性は否めない。


「いいよ」


 トラブルね。何を今更と思う。仕事ではトラブルなんて日常茶飯事だ。

 今やってる案件も大炎上してる。

 節度をもって接すれば問題ないだろうと考えた。そんなものがお礼になるなら是非もない。


『いいんですか……?』


 僕は数多の馬鹿な大人がJKという存在によって失墜していった例をいくつも知っている。報道ステーションが教えてくれた。

 だからバカなことにはならない。


「お金ないから、あんまり高いお店とかは難しいけど」

『嬉しいですっ! あ、じゃあ、LIME使ってますか? 教えてもらってもいいですか?』

「ああ、はい」


 またLIMEか。ここ最近の僕はいったいどうしてしまったんだ。

 モテ期か? モテ期なのか? 恋を諦めた瞬間にそんなイベントを詰め込まれても困ってしまうぞ。

 電話機だったのでスマフォを開きながらLIMEのIDを口で説明した。


『みつからないです……』

「あれ……?」


 すごく悲しそうな声で言われてしまった。視界に靄がかかってる。眠すぎて間違って伝えたみたいだ。


『あ、見つかりました! アイコンの猫、可愛いですね』

「ああ、実家の猫です」


 なんか昨晩も似たような会話をした気がする。


『ありがとうございます。あの、じゃあ、細かいことはちょっとずつ決めていきましょう』

「はい」


 数週間後に食事をする約束をして、電話を切った。

 とりあえず何とかなった。死ぬほど眠い。いい加減、限界だ。


 直後にLIMEがポコンと音を立てる。ユウギリさんからだった。

 行儀よくお辞儀をするクマのスタンプだった。


「……いくつ下だ?」


 ふと気になった。年は聞いてない。

 仮に18歳でもアウトだが、どっちにしても十以上は離れてるなと察した。


「まあ他意はないし……」


 もうどうにでもなれという気持ちだった。

 徹夜疲れが祟って、最後の方はあまり頭が回らなかった。

 電話を切った瞬間、ベッドの上に身を投げ出した。

 それから、死んだように眠りについた。


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