第7話 覚えのない記憶 弐

「あれ……?」


 水戸瀬から面と向かって告白された記憶を思い出していた。

 というか、なんで今まで忘れていたんだろう。

 記憶のカギを空けたら、中から土石流みたいに水戸瀬と過ごした中学時代の思い出があふれ出してきた。

 なんだか今まで蓋でもされていたみたいだ。


「たしかに……、電話じゃなくて直接だったな……」

『ほらやっぱり!』


 なにか釈然としないが、今記憶を振るい起してみると確かに水戸瀬はあのとき、家を直接訪ねてきていた。なぜ、電話で告白されたなんて思っていたんだろう。いや、確かに電話でもされたような気がするんだが……。なんだろう、混乱してきたぞ。


『じゃあ私が誰かはわかるよね?』

「本当に水戸瀬なんだな……」

『そうよ、久しぶり。って信じてなかったの?』

「いや、今更連絡してくるとは思わんわ」


 電話の相手が水戸瀬だとわかると、急に緊張してきた。

 そもそも、彼女が今頃連絡をよこしてきた理由はわからないままだ。なにか返しそびれたものとかあっただろうか。


『それで? そのあとは?』

「あとって?」

『まだ私たちって、そのまま付き合ってた?』


 ……。

 どうだっただろう。

 なんですぐには思い出せないのかはわからないが、改めて考えてみると妙だ。

 中学時代しばらく付き合っていた記憶はおぼろげにあるのに、なぜかその後のことが不透明すぎて何も拾えない。


「すぐには別れなかったと思うけど……」

『うそ、別れたの?』

「なんで他人事なの?」

『いいから、答えて』


 不機嫌な調子で返されて、何も言い返せなくなる。

 仕方がないので今一度思い出してみるが、高校に上がってからの彼女との記憶はあまりない。別れた、んだと思う。どっちからとかは特になくて、やはり自然消滅だった。

 やはりってなんだ?

 ただ奇妙な違和感はありつつも、これだけははっきりしている。


「とりあえず事実として今の僕は、水戸瀬とは付き合ってないよ」


 思ったことをそのまま話すと、水戸瀬は目に見えて声を低くして、唸った。


『なら、いつ別れたのよ』


 完全に機嫌を損ねているのが声で伝わってくる。

 なんか怖い。でもそれを伝えればさらに怖くなりそうなので、平静を装いながら彼女の疑問に答えようとした。


「えっと……たしか高校の受験に僕が失敗したんだ」

『で?』

『……僕だけ遠くの私立の滑り止めに入学してから疎遠になったんだ……」


 話しながら、自分の黒歴史の一部が頭に思い浮かんできた。

 というか水戸瀬も当事者なら知ってるはずだろ……。

 あの頃は携帯電話も持っていなくて、学校が変わってしまってからは音信も滞ってしまいがちだった。

 そのうち連絡を取ることもなくなって、自然消滅――。

 たぶんこれが、正解?


『地元同士ならしょっちゅう遊べるじゃない。なんでそんなので別れちゃったのよ』


 だからなんで微妙に他人事なんだろうか。


「わからないけど僕に愛想つかしたんじゃないか? 予定も合わなかったし――」

『浮気してたんじゃないでしょうね』


 とんでもない疑いをかけられた。

 というかなにこの、現在進行形で恋人に咎められているようなノリ。怖いぞ。


「そんな器用なことできないって……」

『……まあそれもそっか』


 そもそも僕が滑り止めで進学した私立は男子校だ。出会いなんぞあるわけがない。


 そうだ……。僕が恋人って立場にあぐらをかいて、水戸瀬から愛想をつかされたのだ。

 いや……なんだこの違和感。

 ついさっきまではろくに恋愛なんてしてこなかったし、恋人らしいことなんてほとんどしたことがないと思っていたのに、いくつかの甘酸っぱい思い出が急に水底から浮かび上がってきた。

 突然頭の中に記憶だけ詰め込まれたみたいでなんだか気分が悪い……。


『なるほど……とりあえず、一緒の学校に行けなかったのが良くなかったのね』


 別にそれを理由にするつもりはないが、特に口をはさむ必要性は感じなかった。

 それにおしゃべりに夢中で忘れていたが、僕は仕事中だ。


「そろそろ……」と言いかけたところで、水戸瀬は遮るように言った。


『まあもう二時だし……続きはLIMEにしよっか。ID教えてよ』


 LIMEはスマフォ用のチャットツールのようなものである。

 しかし恐ろしく軽いノリだ。というか、良いのだろうか。そんな簡単に水戸瀬秋沙と連絡先を交換していいのか? 合コンではろくに相手にされないような冴えない男だ。

 そんな奴があの水戸瀬とLIME交換とか、現実味が無さすぎるぞ。


『早く教えなさいよ』

「わ、わかった」


 聞き間違いではないらしい。一応仕事用に使っているが、誰かにID教えたことなんて今まで一度もない。

 とりあえず言われるがままに彼女とのID交換に応じた。


『ふうん、アイコン猫なんだ、ふうん』

「実家の猫だよ」


 そのふうんはどういう意味を含んでいるんだろうか。

 何にしても、ただの電話なのに心底つかれた。体力の限界だ。


『じゃあ遅いし、一旦切ろうか』

「相変わらずマイペースなんだね……」

『どういう意味?』

「元気みたいでよかったって言ったんだよ」

『いや言ってないでしょうが!』


 何やら口論が始まりそうな気配があったが「まったく……」とあきれたようにため息をつくと、


『じゃあそろそろ終わろうか』


 もう満足したのか、そう口にした。気分屋なところはやはり相変わらずみたいだ。

 これで終わりか、と脱力する一方で、どこか寂しい気持ちも沸いた。


 いや、何を期待してるんだ……。

 水戸瀬との関係はもう何年も前に終わっているんだ。向こうも単に懐かしくなって気まぐれに連絡してきただけだろう。


 期待するだけ無駄なんだ。

 深く考えるのは止めた。


『ねぇ? 今週久しぶりにどこかでまた会わない? 色々積もる話もあるでしょ?』


 そう思ってたのに、水戸瀬がそんなことを言ってくる。

 まだ戸惑いもあるけど、誘ってくれたことは素直に嬉しかった。

 ただ今のスケジュールでは時間を作るのは厳しいが、


「……金曜日なら、開けられるかも」


 とっさにそう答えていた。

 無理にでも調整するつもりだった。

 たぶんまたあの時のように浮かれている。生まれて初めて彼女に告白された時のように。


『ほんと? じゃあ金曜日の夜に会いましょう。詳細は後でね』

「ああ……」

『うん、おやすみ』

「おやすみ……」


 疲れからか、反応もおざなりになってしまった。これでようやく終わりかと、そう思ったのだが、

 なんでか、電話がなかなか切れない。


『切らないの?』

「いや、切るよ。じゃあな……」

『またね』


 結局こっちから切った。職業柄こういうやり取りでは先に切らないのが常である。

 別れを惜しんで躊躇ちゅうちょしたわけじゃない。

 でも向こうは、どうなんだろう。


「まさか名残惜しいなんてことないだろ……」


 浮かれても、ろくなことにはならないと知っている。

 自分の頬を叩いて、気合を入れた。

 週末時間を作るために、もう少し仕事を片付けようと思った。


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