第6話 覚えのない記憶 壱


「水戸瀬……さん?」


 深夜の真っ暗なオフィスで、スマフォを耳に当てたまま棒立ちしていた。

 他に社員が誰もいないこんな状況を、有難いと思う日が来るとは思わなかった……。


『そう、久しぶりだね?』

「ああ……」


 まったく、久しぶりなんてもんじゃない。

 十五年以上も連絡なんてとってなかった。

 告白されて、流されるように付き合って、そしてすぐに自然消滅して、それからは廊下ですれ違うことがあっても目すら合わせない関係になった。

 卒業までずっとだ。

 こうしてまともに話をするのだって、もう二度とないと思っていた。


『ごめんね、こんな夜中に……今ちょっとだけ大丈夫?』


 相手の声は、僕の勘違いでなければ、なんだか喜んでいるように聞こえた。まるで旧来の友人と再会したときみたいだ。

 でも僕は、フラれたんだ。笑い話にできるぐらいには、長い年月は経っていたけど、正直戸惑いしかない。


「いやまあ……大丈夫だけど……なんで僕の番号知ってるの……?」

『それについては……まあいいじゃない! とにかくね? あのね、いきなりで戸惑ってるとは思うんだけど……まず確認したいことがあって』


 まだ、電話の相手が水戸瀬を装って嘘をついてるんじゃないかと疑っていた。

 だって彼女が僕に電話をよこすはずがないんだ。

 中学時代にたったの一週間だけ付き合った女だぞ?

 元カノ――なんて呼ぶのもおこがましい。それぐらい、水戸瀬とのつながりというのは些細なものだった。


『わたしたちってさ、中学二年の時に付き合いはじめたよね?』

「……」


 その話題に触れられて、全身が冷えていった。

 まさか、本物の水戸瀬なのだろうか。ありえない。

 

『聞いてる?』

「はぁ……」

『だよね!? 付き合ってたよね! それでね――』


 声の感じで、相手が興奮していることが伝わってくる。というか別に肯定したわけじゃなく、ちゃんと聞いてるというぐらいの意味なんだが。


『私たちって、どれくらいまで付き合ってた?』

「……は?」


 今、彼女はなんと言ったのだろう。


『中学終わりぐらいまでは付き合ってなかった? ちがう?』

「いや……ちがう……」


 そんなはずはない。

 告白を受けて、週末一度だけデートへ行って、次の週はすでに――


『……まって。私からの告白はどこで受けた? 私、タケルの家にいったよね? そこで告白して、そっちは受け入れてくれた。ハグもしたよね? そこから割と仲良く卒業まで一緒だったんじゃない?』


 タケルって呼び捨にされたこと、今まであっただろうか、などととずれたことを考えていた。というか異性に呼び捨てされるのは家族以外では初めてではないだろうか。だいたいハグってなんだよ。ハグなんてガキの頃に田舎のおばあちゃんに無理やりやられた以外記憶にないぞ。


「ちょっとまて……、そもそも告白は電話だったろ? それで僕が、OKして、一週間だけ付き合ったんだ……」


 まさか自然消滅だったから、実質まだ別れてないなんてことはないだろう、

 なんか自分で言ってて悲しくなってきた。


『え? そうなの? 一週間……? たったの……?』

「そう、だよ……というかこんな夜中に……なんなんだよ……」


 だんだんイライラしてきた。

 たった一週間で彼女から見限られて、フラれて、追い打ちのように、学校ですれ違うことがあっても、見て見ぬふりをされた。ぞんざいな扱いを受けてきた。

 それでも、今でも覚えてるぐらいには、印象に残る記憶だった。嫌なことばかりの学校生活で、唯一あの頃だけは楽しいと思える時間だったのだ。

 

 別れるまでの一週間は毎日のように電話で話したし、たった一度だったけどデートだってした。楽しい記憶もあったのだ。

 それをこの女は、土足で踏み荒らしに来た。


「誰から聞いたか知らないけど、もう終わったことなんだよ……。切るぞ……」


 だからもうこの女とは話したくない。心底そう思った。


『まって、切らないで!』


 電源を押そうとした手が止まる。。


『本当に一週間だけだった? お願いだからよく思い出して! これは大事なことなの!』


 なおも引き下がってくる。


『お願い!』


 電話越しの彼女の必死さは、演技とは思えなかった。切実さが滲み出ていた。


『思い出してみて! もう一度だけ!』


 彼女の言ってることを信じたわけじゃないけど、僕も鬼ではない。

 思い出すぐらいならと瞳を閉じて、当時の記憶を呼び起こす。

 何か見落としがあるのか――?

 僕が知りえない間に、何か、水戸瀬ともっと長いこと付き合っていたと言えるような解釈があるのか? ばかな、なんだそのファンタジー。


 ここは現実で、あきれるほど無慈悲だ。

 しかし当時のことを改めて記憶から振るい起こすと、なにか、妙なことが起こった。


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